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不定期日記(過去ログ)

2006年



2006.12.28
 昭島モリタウンのSクラスの書店へ行き、横溝正史の『横溝正史翻訳コレクション』(扶桑社文庫)と『喘ぎ泣く死美人』(角川文庫)を探査ロボットに採取させる。前者には、ヒュームの『二輪馬車の秘密』などが収録されている。後者は、以前出たノベルス版に、さらに2編の単行本未収録作品を加えたもの。

 井上雅彦さんらとの対談ゲラや、2月に光文社文庫から出る黒田研二氏との合作『千年岳の殺人鬼』のゲラが届く。『新・本格推理07』の選評も書かなくてはならないし。どうやら正月返上か(笑)。

「蔵開き 古書目録」で注文しておいたものが当選する――昭和30年代のカルタである。嬉しいが、支払いが(^_^;)。

 それでは――。
 皆さん。今年一年、ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。

2006.12.25
 武蔵村山市にできたダイアモンド・シティー・ミューというモールに出かけ、Mクラスの書店を探査。「Ski」2号、『原作完全版 鉄人28号 (15)』、「レコード・コレクターズ」1月号を転送収容。「レコード・コレクターズ」は、サディスティック・ミカ・バンド特集だったので。扶桑社文庫の『横溝正史翻訳コレクション』はレーダーに引っかからず。

2006.12.22
[情報館]を更新。

 小学館から出た『現代漫画博物館』を物質転送機でお取り寄せ。

2006.12.21
[情報館]を更新。

 ホームページビルダー11をインストール。しかし、10の時と同じで、ページを開くのに20秒以上かかる。一応、サポートへ電話をしてみたが、Windowsをセーフ・モードで立ち上げて確認したいとか言うので、面倒なので使用を中止し、アン・インストールした。私のマシンTNG号とは相性が悪いらしい。

2006.12.20
 ある人から、高校の国語の教科書を2冊もらう。どちらにも、手塚治虫のエッセイが収録されている。片方は「ぼくのマンガ人生」、もう片方は「宇宙からの眼差しを待て」。鮎川哲也先生の「達也が嗤う」あたりが教科書に載ったら、本格推理ファンがもっと増えるのではないか、などと思ってしまう。

2006.12.19
 大橋博之編『柳柊二 怪奇画帖』を読む、というか、見る。昔、「少年マガジン」などのグラビアに載っていた恐怖画や妖怪画がふんだんに収録されている。生々しくて、恐怖感たっぷりの絵が並んでいる。

 ジョン・ディクスン・カー『幻を追う男』には、名作「あずまやの悪魔」のオリジナル版が収録されている。これはフェル博士が出てくるバージョン。フェル博士の出てこない創元推理文庫「カー短編集5」版と読み比べてみるのも一興。前者は謎解き度が高く、後者はサスペンス感を強調してある。

 光文社文庫の担当編集者と話し合い、『新・本格推理07』収録作9編を決定する。
 今回も水準は高く、良い作品が集まりましたので、来年3月の刊行を心待ちにしてください。また、応募者の皆さんもありがとうございました。引き続き、『新・本格推理08』の原稿を募集しますので、よろしくお願いします。

2006.12.18
[新刊]
 大橋博之編『柳柊二 怪奇画帖』ラピュータ
 ジョン・ディクスン・カー『幻を追う男』論創社(論創海外ミステリ)
 喜国雅彦『日本一の男の魂(18)』小学館
 蒼井上鷹『ハンプティ・ダンプティは塀の中』東京創元社(ミステリ・フロンティア)

「蔵開き 古書目録」というのが届く。中に一つ、どうしても欲しいものがある。が、抽選なので、当たるのをじっと待つしかない。

2006.12.17
[新刊]
 佐々木丸美『崖の館』創元推理文庫
 谷原秋桜子『龍の館の秘密』創元推理文庫

 小学館クリエイティブから出た、牧美也子『マキの口笛』を物質転送機でお取り寄せ。今回の本は、雑誌掲載からの完全復刻なのが素晴らしい。カバー裏には、連載時の表紙まで刷り込んであるという凝り方。できれば、カラー・ページもカラーで収録して欲しかった。そこまですれば、本当の完全版だと思うし、どうせ、この本を求める人は値段が高くても買うのだから。
 前からうちにあった『マキの口笛』は、講談社漫画文庫版。これはトレース原稿なので比較すると、当たり前だが、線の伸びやかさや美しさがまるで違う。話も刈り込んである。やはり、原型の『マキの口笛』の方が圧倒的に良い。

2006.12.16
[情報館]を更新。

[新刊]
「ジャーロ No.26」光文社
 篠田真由美『仮面の島』講談社文庫
 菅谷充『燃ゆる海鷲』実業之日本社ジョイ・ノベルス
 野間美由紀『ジュエリーBOXデイズ(2)』白泉社
 野間美由紀『パズルゲーム☆はいすくーる』白泉社文庫
 楳図かずお『宿り花』小学館クリエイティブ
 楳図かずお『雪の花』小学館クリエイティブ

「ジャーロ」で連載の始まった笠井潔さんの『探偵小説論III』は、いろいろな意味で重要な評論であろう。

「本格ミステリ大賞」のアンケート回答用紙が届く。それにしても、今年も【評論・研究部門】が寂しい(笠井さん以外に評論の本って何か出たっけ?)。「該当作なし」とも思ったが、とりあえず、平野義久氏の『ジョン・ディクスン・カー ラジオ・ドラマ作品集』編纂・発行を推薦しようかと思う。これも立派な企画・研究だから。

2006.12.14
 立川駅まで打ち合わせのため出る。Mクラスの書店に寄り、吉田竜夫『少年忍者部隊 月光(1)』『同 (2)』『同 (3)』『同 (4)』(マンガショップ)を発見。即座に転送収容。全4巻がいっきに出たので読みごたえあり。

2006.12.11
 山田南平さんの『紅茶王子』文庫版の解説を書く。

「僕らの愛した手塚治虫」第37回の原稿を書く。虫プロ商事の単行本について。

 みなもと太郎先生より、同人誌3冊「日本武将伝」「きゃんぱす伝2」「戦場よこんにちは」を頂戴する。ここでも通販しているとのこと。

2006.12.10
 ローカルな話題。
 昨夜は、国立市の旭通りにある飲み屋「おばこ」で、〈昭和50年春国立一中卒業生〉の同窓会があった。ちょっと遅れていくと、いつものメンバーの他、国立市議の青木健氏や、一橋大学の北側にある木住野病院の次男坊・義信氏などがいて(彼も医者だそうだ)、懐かしい人たちに会えたのでとても嬉しかった。当方の帰り際に、声優の大塚明夫氏もやってくる。「新スタートレック」のファンである私は、ライカー副長の声をやっている彼とも会えて、さらに嬉しくなった(「ブラック・ジャック」の声もやっているし)。せっかくだから、握手をしてもらった。ドラマーちら氏は、わざわざ『僕らが愛した手塚治虫』を買ってもってきてくれた>サンキュー。ドラムのスティックにサインをしろと言われたのは初めてだ(笑)。

2006.12.09
 ハーレム・スキャーラムの新譜『ヒューマン・ネイチャー』を聞く。悪くはない。

『新・本格推理07』候補作のうち、Aクラス作品を読み終わる。ややベテラン勢強し、という感じ。

 立川ビッグカメラへ行き、レーザー・マウスを物色する。ロジクールのMX-Rが欲しいところだが、ロジクールはドライバーが心配なので(キーボード・ドライバーまで書き換えそう)、結局、マイクロソフトのワイヤレス・レーザー・マウス6000というものにする。マイクロソフトのマウスの形は大きすぎたり、下が広がっていて持ちにくいので、実は嫌いなのである(小指が痛くなる)。まあ、今回は、ワイヤレスとレーザーの試しということで購入。
 家に帰ってパッケージをあけてびっくり。ばかでかいレシーバーが入っている。ワイヤレスだから、当然、USBコネクター型の小さなレシーバーが入っていると思ったのに。よく確かめなかった自分が悪いか(と、諦める)。レーザーの読み取り精度は快適。側面にある左右ボタンは小さすぎる。ホイール・クリックによる拡大は便利。
 マウス全体に言えることだが、どうしてこう手や指にしっくりくるものがないのだろうか。キーボードも含めて、マン・マシン・インターフェースの設計や作りが悪すぎる。人間に負担をかけてどうする>パソコン関係のメーカー。

2006.12.08
[新刊]
「ミステリーズ! Vol.20」2006年冬号

 この日誌のトップには、以前より「禁無断転載・禁無断転用」と記してあります。そこにさらに、「著作権違反を発見した場合は、法的手段に訴えます」との文言を加え、当方の方針を明確化しました。一般的に言って、私のウェブサイトだけでなく、おおかたのサイトが、「禁無断転載・禁無断転用」となっているはずです。にもかかわらず、これが守られていないケースが非常に多いのではないでしょうか。
 たとえば、私や誰かの日記、あるいは、著作物(小説や評論)における記述を大量に丸ごと写して、そこに自分の意見を1行だけ(ほんの少し)加える、というようなもの。そのようなページを、ウェブサイトでは時々見かけます。当然のことながら、これは著作権で認めている「引用」の規定を完全にはみ出しています。したがいまして、そのようなサイトやページを発見した場合には、自分の権利を守るために、法的手段に訴えることもあるのだということを、ここに明記しておきます。心当たりのある方は、適切な対処を行ない、他人の権利を侵害しないよう注意してください。

 また、『金田一少年の事件簿』については、現在、講談社における私の窓口である文3(講談社ノベルスを出している部署)を通じて、苦情を申し入れています。『金田一少年』の場合、類似性は私だけの問題ではなく、たくさんのミステリー作家に被害が及んでいます。『金田一少年』を出しているのと同じ講談社の講談社ノベルスが、『金田一少年』によるアイデアの草刈り場になって良いわけがありません。また、マンガ界全体の地位を、この『金田一少年』が貶めていることにも憤りを感じます。故に、この件についても、しっかりと対応していくつもりです。

2006.12.07
[情報館]を更新。

 記録忘れの記入。坂木司氏の『シンデレラ・ティース』を読了。日常の謎派系。歯医者ネタでまとめたところが面白い。いい話系が好きな人にはお勧め。
 ヘレン・マクロイ『死の舞踏』を読了。出だしは良いが、後半は普通。

2006.12.06
[新刊]
 姉小路祐『特査検査官 疑惑のトライアングル』講談社ノベルス
 津原泰水『ピカルディの薔薇』集英社

 台湾版の『人狼城の恐怖 第2部フランス編』と『地獄の奇術師』の見本刷りが届く。蘭子シリーズは全部訳してくれるとのこと。
 そういえば、韓国でも、島田荘司先生の『占星術殺人事件』が出るそうだ。


2006.12.05
[情報館]を更新。

[新刊]
モーリス・ルブラン『戯曲アルセーヌ・ルパン』論創社
「ROM」127号
「このミステリーがすごい! 2007」宝島社

 本格ファンに喜んでもらえるような、大ニュースです。
 2007年1月に、新しい本格ミステリー・リファレンス・ブックが誕生します!
 詳細は以下のとおり(内容は予定)。
 御期待ください。

【本格ミステリー・ワールド 2007】 南雲堂発行
●刊行の趣旨
 (1)新しい価値観を基準とした、本格ミステリー読者に向けた本格ミステリーのリファレンス・ブックを作ります。
 (2)「本格ミステリー・ワールド」では、作家本人の発言や文章や作品解説(解題)等を積極的に活用し、新しくて有益な情報を読者に向けて発信していきます。
 (3)新しい作品の創造や本格ミステリーのよりいっそうの発展を目指し、未来志向を主体とした内容とします。
 (4)新人作家の発言の場を用意します。
●監修:島田荘司
●体裁、発行予定:A5判。ムック形式。150ページ前後。定価未定。
●発行予定日:2007年1月下旬(第2号からは、年末発行の予定)。
●内容
【1】巻頭言 島田荘司
【2】巻頭グラビア
 竹本健治、鏑木蓮(乱歩賞)+麻見和史(鮎川賞)、道尾秀介、森谷明子
【3】新人鼎談
 二階堂黎人×鏑木蓮(乱歩賞)×麻見和史(鮎川賞)
【4】作家の計画・作家の想い(以下、執筆依頼予定者)
 辻真先、島田荘司、笠井潔、山田正紀 竹本健治、山口雅也、北村薫、折原一、有栖川有栖、綾辻行人、我孫子武丸、法月綸太郎、麻耶雄嵩、芦辺拓、北森鴻、貫井徳郎、加納朋子、篠田真由美、太田忠司、柄刀一、鳥飼否宇、石持浅海、加賀美雅之、小森健太朗、北山武邦、柴田よしき、松尾由美、岸田るり子、森谷明子、道尾秀介、愛川晶、井上雅彦、乾くるみ、大倉崇裕、大山誠一郎、小林泰三、霞流一、霧舎巧、青井夏海、鯨統一郎、倉坂鬼一郎、倉知淳、黒田研二、近藤史恵、坂木司、高田崇史、辻村深月、鳥飼否宇、西澤保彦、伯方雪日、はやみねかおる、東川篤哉、藤岡真、三雲岳斗、関田涙、三津田信三、光原百合、若竹七海、奥泉光、石崎幸二、矢野龍王、桜庭一樹、米澤穂信、二階堂黎人(順不同)
【5】今年の注目作家の紹介
 竹本健治(小森健太朗)、鏑木蓮+麻見和史(二階堂黎人)、道尾秀介(大池洋子)、森谷明子(つずみ綾)
【6】女性作家による本格ミステリー鼎談
 柴田よしき×篠田真由美×加納朋子
【7】「読者に勧める 黄金の本格ミステリー!」
 (1)選者:小森健太朗、つずみ綾、二階堂黎人
 (2)作者の言葉:「黄金本格」に選出された作家による自作解説。
【8】「私の選ぶお勧め本格ミステリー」
 (1)国内部門 三田皓司、加賀美雅之、はやみねかおる、日下三蔵、森谷明子、鳥飼否宇
 (2)海外部門 つずみ綾、横井司、森英俊 二階堂黎人
【9】海外本格や評論を含む周辺書の紹介等 つずみ綾
 (1)海外古典の本格作品群について
 (2)ミステリ評論の現状と紹介
【10】ミステリーの古書に関するエッセイ 喜国雅彦
【11】ベテラン作家インタビュー 天城一(聞き手:つずみ綾)
【12】各社・各氏の計画(以下、執筆依頼予定者)
 東京創元社、文藝春秋、講談社、光文社、論創社、早川書房、南雲堂、原書房、森英俊、藤原編集室、山前譲、日下三蔵、横井司。
【13】本格ミステリー新人賞等の紹介
 (1)紹介文章 横井司
 (2)応募要項(各社)
 (3)新人賞応募者へのアドバイス
  (a)山田正紀 (b)二階堂黎人
【14】巻末評論 小森健太朗


2006.12.04
[情報館]を更新。

 タリスマンの「7」を聞く。けっこうよろしい。

2006.12.03
「別冊シャレード97号 青山狂介特集」
「別冊シャレード99号 最終号」
「本格ミステリ・ベスト10 2007」原書房

「24 シーズン5」のBOXセットが届く。仕方ないので見てしまった(笑)。今回は非常に面白かった。もちろん、細かい突っ込み所は多々ある。たとえば、空港で、テロリストが「ジャック・バウアー!」と呼びかける場面など。ということは、内部情報が敵に筒抜けになっているわけなのだが、バウアーもCTUも、ぜんぜん調査しない。

『新・本格推理』の箱をあける。下読みさんの選評をざっと見ながら、送られてきた候補作が揃っているかどうか確認する。この瞬間は本当にワクワクする。あの常連氏はいるだろうか、とか、今度はどんな新人がいるのだろうか、とか、どんな作品が送られてきたのだろうか、とか。私にとって、これは一足早いクリスマス・プレゼントなのである。

2006.12.01
 今月の論創社の論創海外ミステリがすごい。クリストファー・ブッシュの『失われた時間』とモーリス・ルブランの『戯曲アルセーヌ・ルパン』なのだが、もちろん、後者がすごいのだ。未訳だった戯曲が収められているのは当然として、何しろ解説が立派だ。120ページもあるのだから。戯曲の説明の他、ルパンの日本受容史から、詳細な書誌まで。もちろん、これまで知られていた書誌の間違いなども修正してある。
 たとえば、『813』。従来は、前編が1910年に出て、後編が1917年に出たとされていて、乱歩なども「何故だ?」と首をひねっていたわけだが、1巻本が1910年に出て、1917年には二分冊ものが出たことが説明されている。「そうだったのか」と、私も嬉しい納得。
 この『戯曲アルセーヌ・ルパン』は、今年度の、私の海外部門ベストに躍り上がった!

『新・本格推理』の候補作が届いたところ。これから、箱をあけます。

2006.11.30
 昨夜、国立リバプールで行なわれた『本格ミステリーの愉しみ』へお越しくださった皆様。どうもありがとうございました。おかげさまで、初めての試みとしてはかなりの成功だったと思います。内容も、なかなか楽しいものになったのではないでしょうか。実は、イベントの中でどんなことが起きるのか、出演者の我々も解りませんでしたので、まさか、あんなエア×××の話で盛り上がるとは(笑)。
 また、各社編集者の皆様、お手伝いをありがとうございました。遅くまでご苦労様でした。ここに深くお礼を申し上げます。

 写真の説明。左上から、(1)出演者の浅暮三文、霞流一、黒田研二、二階堂黎人、そして、特別出演の貫井徳郎(さて、誰が誰でしょうか)の5氏。(2)店内の雰囲気。(3)「狂喜準備集合罪」について、朗々と語り上げた霞流一氏。(4)最初のうちは、支離滅裂なことを言っていて、顔が脂ぎっていた黒田研二氏。(5)自作ヒットナンバー「ミステリーが分からない」を絶唱した浅暮三文氏。(6)抽選プレゼントを紹介する3氏。


2006.11.29
 最後の宣伝です(笑)。今夜です。よろしくお願いします。国立駅の南口を出たら、ロータリーを右手(西側)へ歩き、そのまま大学通りの右手(西側)歩道を歩いてきてください。スーパー紀伊国屋のすぐ先、クスリ屋の地下です。

名称:本格ミステリーの愉しみ
     〜作家と読者の団欒〜

内容:講演、対談,サイン会、プレゼント抽選など

講演予定作家:
 浅暮三文 「ミステリーが分からない」
 霞流一 「狂喜準備集合罪」
 黒田研二 「マンガ原作『逆転裁判』について」
 二階堂黎人 「本格ミステリーの愉しみ方」
(司会:おーちようこ)

場所:国立リバプール(ライブハウス)
 http://www.bekkoame.ne.jp/~liverpool/party.htm
 東京都国立市中1−17−27 関口ビルB1
 JR中央線国立駅南口下車・大学通り徒歩2分
 KINOKUNIYA先 ツルハドラッグ地下
 電話(042)577-2577 Fax(042)573-1428

日時:11月29日(水)夜 午後6時(開場)から9時30分
 講演&対談:午後7時から8時30分
 (講演の前後を、自由な感じのサイン会とします)

入場料:1000円

本の販売:会場内で、若干ですが、講演作家の著書を販売します。購入者には、特別プレゼント抽選券(当日、抽選)を差し上げます。

サイン本:基本的に持ち込みでけっこうです。当日の混雑具合などを見て、お一人ずつの冊数に上限を設ける場合もあります。御協力ください。

以上、内容に関しましては、予告なく変更になることもあります。御了承ください。

2006.11.26
[新刊]
 谷原秋桜子『天使が開けた密室』創元推理文庫

 今週水曜日、29日の夜、国立リバプール『本格ミステリーの愉しみ』が行なわれます。皆さん、ぜひ見に来てください。
 ということで、今日もその準備。講談社さんが、何人分か解らないが、文庫カバーを提供してくださるとのこと。それに、ちょっとびっくりするようなこともあるかも。

 物質転送機で、『ヘルマン・ヘッセ全集3』と『美人はいかが?(1)』忠津陽子を取り寄せ。

『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』を読了。大満足である。みんな凝っているなあ(笑)。何で、カーという作家(とその作品)に、こんなに熱くなれるんだろう(笑)。

2006.11.24
[情報館]を更新。

 11月30日に、東京創元社から発売になる『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』の見本刷りが届く。何しろ、執筆陣が凄いぞ。芦辺拓、加賀美雅之、小林泰三、桜庭一樹、田中啓文、柄刀一、鳥飼否宇、それに私、というメンバーなのだから。巻末に解題が載っているが、これからして濃い(笑)。今日はもう他の仕事はほったらかしにして、この本を読むのである。


2006.11.23
[情報館]を更新。

 苦節数ヵ月。ようやく、『僕らが愛した手塚治虫』(小学館)の見本刷りができてきた。左下の写真のとおり、帯では、喜国雅彦さんが絶賛してくれている(笑)。図版もふんだんに盛り込んだし、この手のマンガの評伝としては出色の内容ではないかと自負している。都内の早い所は24日から、一般書店は27、28日頃から書店店頭に並ぶだろう。ぜひ御購読を!


2006.11.22
[情報館]を更新。

『本格ミステリーの愉しみ』の入場者に配るパンフレットを100部印刷。

 金田一少年の新刊が届いたので、これを読む。これも明らかに類似していますね。こんなことばかりしていて恥ずかしくないんですかね(こういう下劣なマンガのせいで、マンガ全体の地位が向上しないことを、一人のマンガ・ファンとして悲しく思う)。

2006.11.20
[新刊]
 柄刀一『時を巡る肖像』実業之日本社
 島田荘司『最後の一球』原書房
 関田涙『時計仕掛けのイヴ』小学館

 例のマンガの件、御報告いただいた方々に感謝します。確認のため、実物を取り寄せている最中です。「またですか」と、呆れるしかないのですが……。

 仕事が山積みなので、老体に鞭打ち、起き上がる。関節がギシギシ言っている。
 某企画のため、乱歩賞受賞者・鏑木蓮さんと鮎川賞受賞者・麻見和史さんと鼎談を行なう。

2006.11.19
 カゼをこじらせてしまった。皆さんは、気をつけてください。

2006.11.15-2
 スパムな書き込みに対する有効な手立てがないまま、掲示板を再開しました。パスワードを入れるような形式も閲覧の際に面倒なので、従来の方式のままです。一般的なマナーを守り、本格推理ファンの親睦と、情報交換のために使ってください。

2006.11.15
「新・本格推理」の手引き、本格ミステリー入門、本格ミステリー論、本格ミステリーの書き方、原稿の書き方と印刷の仕方、その他の評論をまとめた『新本格ミステリー入門』(PDFファイル)を、当面の間、無料で配布します。ぜひお読みください。
 ミステリーの定義、ミステリーの性質分類、推理小説の定義、本格とは何か、推理小説の書き方、原稿の書き方、印刷の仕方、応募に際する傾向と対策、プロットの立て方、トリック論、名探偵の活用法、などの内容が含まれます。
 詳しくは、こちらを御覧ください。

2006.11.14
[情報館]を更新。

 カゼで喉が痛い。テレビは、「HOUSE」と「INVENTION」が面白い。

2006.11.12
 矢野竜王氏の『箱の中の天国と地獄』を読了。デビュー作より続けているゲーム的本格で、今回はRPG度がさらにアップ。

『本格ミステリーの愉しみ』のプレゼント第11弾は、次のもの。

 (11)「手塚ファンmagazine」

2006.11.11
 大倉崇裕氏の『福家警部補の挨拶』を読了。「刑事コロンボ」の味わいを上手に演出し直している。お勧め。

『本格ミステリーの愉しみ』のプレゼント第9弾と第10弾は、次のもの。

 (9)ちくま文庫『二階堂黎人が選ぶ! 手塚治虫西部劇傑作集』
 (10)「鉄腕アトム 絵入りはがきセット」

2006.11.09
[新刊]
 柄刀一『シクラメンと、見えない密室』光文社文庫

 サディスティック・ミカ・バンドの新譜『NARKISSOS』を聞く。悪くないが、良くもない。何故、全曲、加藤和彦の作曲としないのだろうか。

2006.11.08
[情報館]を更新。

[新刊]
 山口雅也『ステーションの奥の奥』講談社(ミステリーランド)
 篠田真由美『建築探偵桜井京介 館を行く』講談社

 山口さんの本には、本体にビニールカバーが付いているなあ。装丁変更があったのか。それとも、山口さんだから、これも何かの仕掛けなのだろうか。

2006.11.07
 道尾秀介氏の『シャドウ』を読了。これはいい。子供の目線で事件が語られている比重が高いが、キミとボク派のように近視眼的になっておらず、作者と登場人物である子供との距離感が見事に取れている。章ごとに登場人物の視点が切り替わる形式にも、構成的な理由がしっかりある。細かい部分の構築性も高くて、お勧め。

 IE7を試しに入れてみたけれど、動作がもっさりしているし、「お気に入り」の整理が非常にやりにくくなってしまった。たとえば、フォルダとフォルダの間に、別のフォルダをドラッグで持ってくる、ということが上手くできない。結局、IE6に戻す。

2006.11.06
 楳図かずお先生の貸本マンガ、〈楳図かずお幻想ロマン〉シリーズの『宿り花』と『雪の花』が、小学館クリエイティブから復刻されることになった。よって、その解説原稿を書く。小学館クリエイティブからは、今月下旬に、牧美也子先生の名作『マキの口笛』も復刻になるとのこと。

 加賀美雅之氏のデビュー長編『双月城の惨劇』の文庫(光文社文庫)が12月に出る。とのことで、文庫解説を書く。8月に出た氏の『風果つる館の殺人』も好評な売れ行きを示しているらしい。この作品は今年度の本格の見事な収穫なので、未読の方はぜひこの機会にお読みいただきたい。

 霧舎巧氏の『名探偵はどこにいる』を読了。様々な誤解を重層的に積み上げたところが作者の狙いだろう。シリーズの外伝としたところで、事件の輪郭を読者に感じさせることをぼやけさせてしまったが、青春小説としての趣は成功している。

2006.11.04
 ビル・S・バリンジャーの『美しき罠』とミルワード・ケネディ『スリープ村の殺人者』を物質転送機でお取り寄せ。『美しき罠』には、折原一氏の親切な解説が付いているが、『スリープ村の殺人者』にはまったくなし。こんなに知名度の低い作家と作品にそれでは、普通、購買意欲はわかないだろう。

 で、さっそく『美しき罠』を読む。仕掛けはないが、語り口が良いので満足。

2006.11.03
 鳥飼否宇氏の『樹霊』を読了。すっきりして堅実な佳作。社会派性も加味した自然派本格作品。不可能性は簡単に解けてしまうものだが、そうした珍事を達成する方法が犯人を推理するための手がかりとなっているという手筋が丁寧。

『本格ミステリーの愉しみ』のプレゼント第8段は、次のもの。

(8)講談社ノベルス製『人狼城の恐怖』特製テレカ+「新本格ミステリフェスティバル」のポスター。

2006.11.02
[情報館]を更新。

[新刊]
 セオドア・ロスコー『死の相続』原書房

 手塚プロのウェブサイト『手塚治虫ワールド』のニュース・コーナーに、『虫ん坊』という月刊ニュース・ページがある。このページのインタビューで、私が1979年の「第1回 手塚治虫ファン大会」について語っているので、興味のある方は転送降下!

 講談社BOXの刊行が始まった。第1弾は舞城王太郎他4冊。マンガも一冊入っている。箱入りの派手な装幀。

2006.11.01-2
 東京創元社のウェブサイトの近刊案内で、『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』の書影と、収録作品の題名が発表になった。こちらを御覧あれ。

2006.11.01
 29日のイベント『本格ミステリーの愉しみ』のため、プレゼントを用意し始める。プレゼントは、当日販売している本を買ってくれた人に、スクラッチくじを差し上げ(先着50人)、そこに書かれていた数字で何かプレゼントが当たる、という形式にしようと思う。
 まず用意したのが、次のようなもの。

(1)台湾版『人狼城の恐怖 第一部ドイツ編』
(2)台湾版『薔薇の家殺人事件』(マンガ)
(3)『8人の名探偵 犯罪調査』(マンガ)
(4)フィールディング『停まった足音』(私が解説を書いている)
(5)ブラックバーン『闇に葬れ』(論創社さんの提供)

 それから、古本ファン向けに、次のものも。

(6)島田荘司『占星術殺人事件』講談社ノベルス(初版)
(7)鮎川哲也『材木座の殺人』双葉社ノベルス(初版)

 あと、ちょうど27日に発売になる『僕らの愛した手塚治虫』を、販売用として20冊ほど用意できる予定。そのうち、購入者先着18名に、ちょっとしたおまけを付けるつもり。

2006.10.31
『原作完全版 鉄人28号(13)』をSクラスの書店で収容する。敵ロボット・ギルバート現わる。ロビーは鉄人が破壊。『鉄人28号』は、面白いのはこの辺まで。これから後は味が薄い。

 掲示板は、スパム書き込みが気になるので、何らかの対策ができるまで閉鎖します(ニフティにも、問い合わせずみ)。御不便をかけますが、よろしくお願いします。

2006.10.30
 クリストファー・セント・ジョン・スプリッグの『六つの奇妙なもの』を読了。途中で驚倒した。奇妙な話系統が好きな人には必読。

 ロボット・ソフトによる掲示板へのスパム書き込みが相変わらずあるので、入り口を一つ増やしました。面倒ですが、よろしくお願いします。しかし、ニフティの掲示板は、こんな脆弱なサービスでいいのだろうか。もちろん、良くない。

2006.10.29
 光文社文庫『新・本格推理』に力のある作品を投じてきた青木知己氏が、小学館書き下ろしミステリー第5弾『偽りの学舎』で、いよいよプロ・デビュー。この作品はただ今、小学館eBOOKSで前編が無料で読める。

2006.10.28
 島田荘司先生の『犬坊里美の冒険』を読了。良い意味で結末には唖然となった(させられた)。軽いノリながら,不可能犯罪性と社会派性がたっぷり。

 講談社と打ち合わせ。来年の「メフィスト」の新創刊に関して。『双面獣事件』の第二部は――(以下、ムニャムニャ)。

2006.10.27-2
 11月6日に発売になる『猪苗代マジック』文春文庫の見本刷りができてきた。パステル調の色合いの表紙絵で気に入っている。
 クイーンの『フランス白粉の謎』にならって最後の一行に犯人の名前が書いてあるので、解説をめくる時に、間違ってそこを見ないように。

2006.10.27
[新刊]
 アントニー・バウチャー『タイムマシンの殺人』論創社
 巽昌章『論理の蜘蛛の巣の中で』講談社

 11月29日に行なうイベント『本格ミステリーの愉しみ』に関する問い合わせがいくつかありましたので、お答えしておきます。
 前売り券はありません。当日、国立リバプールまで直接お越しください。講演(トークショー)は7時から始めます。その前は、読者の方とおしゃべりをしながら、持ってきていただいた本にサインを入れたいと思います。本は持ち込みでかまいません。講演(トークショー)が終わった後も、サインの時間をいくらか予定しています。
 なお、各作家の新刊を中心に、若干の本を販売します(各10冊ずつとか)。それを購入いただいた方の中から抽選で、何か各作家が用意したプレゼントを差し上げます。いろいろ用意する予定ですので、お楽しみに。

  書き込み幻戯(掲示板)を再開しました。一般的なマナーを守って、本格推理ファンの親睦と、情報交換に使ってください。


2006.10.25
[情報館]を更新。

[新刊]
 太田忠司『甘栗と金貨とエルム』角川書店
 論創海外ミステリ20『中村美与子探偵小説選』論創社

 ウイルスバスターを2006から2007へバージョン・アップ。やたらに警告が出る(笑)。

2006.10.24
 昨日は、光文社にて、井上雅彦氏、朝松健氏と共に、アンソロジスト鼎談を収録。

 途中、書店で、鮎川哲也『二つの標的』(出版芸術社)、忠津洋子『お金ためます!』(さわらび本工房)を収容。

 三津田信三氏の『凶鳥の如き忌むもの』を読了。メイン・トリックは突飛なもので、そのためにやや無理な点もある。しかし、奇怪な舞台設定や、おどろおどろしい雰囲気作りは好ましい。この探偵のシリーズを、どんどん続けてほしい。

2006.10.22
 三津田信三氏の『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』を読了。封建的で古い因習にとらわれた世界を、濃密な雰囲気と濃密な文章で描ききったホラー系の本格ミステリー。読み解くのは大変だが、高度の技術で思いがけぬ驚きを演出してくれる。読む価値あり、の作品。

2006.10.21
 11月29日に行なわれる「本格ミステリーの愉しみ」に関して、上記のようなポスターを作ってみました。告知に協力してくださる方は、以下から画像データーをダウンロードしてお使いください。PDFとjpegの2種類を用意してあります。

poster.pdf へのリンク
poster.jpg へのリンク

2006.10.20
[情報館]を更新。

[新刊]
 島田荘司『犬坊里美の冒険』光文社カッパ・ノベルス
 笠井潔『オイディプス症候群』光文社カッパ・ノベルス

 論創海外ミステリの新刊(25日頃の発売)は、ジョン・ブラックバーンの『闇に葬れ』と、クリストファー・セント・ジョン・スプリッグの『六つの奇妙なもの』の二冊。後者がなかなか面白そう。

2006.10.19
[情報館]を更新。

 以下のような内容で、講演とサイン会を行なうことにしました。皆さん、ぜひお越しください。

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名称:本格ミステリーの愉しみ
     〜作家と読者の団欒〜

内容:講演、対談,サイン会、プレゼント抽選など

講演予定作家:
 浅暮三文 「ミステリーが分からない」
 霞流一 「狂喜準備集合罪」
 黒田研二 「マンガ原作『逆転裁判』について」
 二階堂黎人 「本格ミステリーの愉しみ方」
(司会:おーちようこ)

場所:国立リバプール(ライブハウス)
 http://www.bekkoame.ne.jp/~liverpool/party.htm
 東京都国立市中1−17−27 関口ビルB1
 JR中央線国立駅南口下車・大学通り徒歩2分
 KINOKUNIYA先 ツルハドラッグ地下
 電話(042)577-2577 Fax(042)573-1428

日時:11月29日(水)夜 午後6時(開場)から9時30分
 講演&対談:午後7時から8時30分
 (講演の前後を、自由な感じのサイン会とします)

入場料:1000円

本の販売:会場内で、若干ですが、講演作家の著書を販売します。購入者には、特別プレゼント抽選券(当日、抽選)を差し上げます。

サイン本:基本的に持ち込みでけっこうです。当日の混雑具合などを見て、お一人ずつの冊数に上限を設ける場合もあります。御協力ください。

以上、内容に関しましては、予告なく変更になることもあります。御了承ください。
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2006.10.18
 昨日は、手塚プロによる取材を受ける。ウェブサイトの「虫ん坊」というニュース・ページ用。今年は手塚治虫マンガ家デビュー60周年なので、久々にファン大会が開催される(12月に)。そこで、第一回目のファン大会がどういうものだったのかを、語ってほしいという依頼であった。あれは1979年だったはずなので、もう27年も前になるんだね……。

 高田崇史氏の『QED〜ventus〜御霊将門』を読了。ちょっと中途半端な終わり方。続編があるのかな?

 ジョー・リン・ターナーの新作『SUNSTORM』を聞く。上質の産業ロック。これはいい。

2006.10.14
 鮎川賞受賞作、麻見和史氏の『ヴェサリウスの柩』を読了。堅実で上質な(情報)サスペンス作品。題材にも魅力があり、文章もしっかりしていて読みやすく、話の進み具合も澱みがない。ただ、真相のほとんどが、事件関係者の口から証言として得られるため、探偵役も読者も、推理する要素や過程が少ない。面白く読めたが、謎解き小説としては――あくまでも、鮎川賞受賞作としては――ちょっと物足りなかったかな。

2006.10.13
[新刊]
 綾辻行人『贈る物語』光文社文庫
 高木彬光『邪馬台国の秘密』光文社文庫
 柴田よしき『時の鐘を君と鳴らそう』光文社文庫
 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの生還』光文社文庫

 ホームページ・ビルダーv10を導入してみたが、動作の重さに我慢ができない。ページを開くのに(あるいは、編集中のページを切り替えるのに)、10秒以上もかかるのはひどい。結局、v6に戻した。

 連載原稿『僕らの愛した手塚治虫』第35回を書いて、亜空間通信で送付。青年コミック雑誌を初めて読んだ頃の話。

2006.10.12
[新刊]
 北森鴻『親不孝通りラプソディー』実業之日本社
 島田荘司『島田荘司全集 I.』南雲堂

 皆さん、『新・本格推理07』への投稿をありがとうございました。応募総数は96作に上り、昨年を上回りました。現在、一次選考が始まっています。本格推理小説に対する皆さんの熱意に嬉しくなりました。なお、引き続き、『新・本格推理08』の募集をしています。奮って、御応募ください。

 島田荘司全集は、長編が3作も入っているので、こんなに分厚い。これまた凶器になりそう(笑)。


2006.10.11
 水野英子『ハニー・ハニーのすてきな冒険』(チクマ秀版社)を物質転送機でお取り寄せ。版型が大きく、カラー・ページも復刻されているのが良い。

 柴田よしきさんの『銀の砂』を読了。人物造形が見事なので、人間関係だけで緊張感が生まれる。秀逸なサスペンスもの。

2006.10.10-2
 霞流一さんと杉江松恋さんのトークショーが行なわれるとのこと。以下のとおり。

「仰天笑天ミステリの世界へようこそ by 霞流一×杉江松恋
人はそれをバカミステリと呼ぶ」
2006年11月12日(日)
今野スタジオ『MARE(マーレ)』
16:30受付/17:00〜
1,500円 定員25名/要予約
予約=西荻ブックマーク実行委員会↓
http://members.jcom.home.ne.jp/43zoo/nbm/nbm.htm
(予約専用フォーム↓ or 西荻コム fax:03-6762-9100)
http://cinamon.candybox.to/k-toro/postmail/postmail.php
問い合わせ=ハートランド tel: 03-5310-2520(13:00-20:00/水曜休)

2006.10.10
 国書刊行会の世界探偵小説全集40『屍衣の流行』を物質転送機でお取り寄せ。正直言って、またアリンガムか、と落胆ぎみ。

 スーパードラマTVで、『プロファイラー』の第4シーズンが始まったのでびっくりした。第3シーズンで完結したものだとばかり思っていたので。

「ミステリーズ!新人賞」受賞作2作を読む。『殺三狼』が面白かった。文章のテンポが非常に良い。

2006.10.09
[新刊]
 麻見和史『ヴェサリウスの柩』東京創元社
「ミステリーズ! VOL.19」東京創元社
 矢野龍王『箱の中の天国と地獄』講談社ノベルス
 浅暮三文『ポケットは犯罪のために 武蔵野クライムストーリー』講談社ノベルス
 中島望『クラムボン殺し』講談社ノベルス

 鮎川賞前日に読み終わっていた、竹本健治氏の『ウロボロスの純正音律』。最高の冗談文学。脱力する所と緊張する所の案配が見事で、あの長さがまったくだれない。ペダントリーを面白く読ませる話術も相変わらず素晴らしい。そして、後になって、『純正音律』とはそういう意味の題名だったのか! と、納得する自分。率先してお勧め。

「名探偵モンク」がミステリチャンネルでも放映開始。これまたお勧め。

「CSI 第5シーズン」の最終話の前・後編。タランティーノ監督・脚本と聞いて、嫌な予感がしたが的中。犯人の動機も犯行方法もまるで説明不足。下品で悪趣味なだけの話――と、CSI史上、最悪のエピソードであった。

2006.10.07
 昨夜は、都内某ホテルで、第16回鮎川哲也賞の受賞式とパーティ。大変な荒れ模様の天気だったので、来訪者は少ないのではないかと想像していたが、完全にはずれて、例年と同じほどの大盛況。これまたいつもどおり、話したい人がいっぱいて、話しきれず、挨拶すらできない人がいたくらい。
 開場となる前に、黒田研二氏、霞流一氏、太田忠司氏、若竹七海氏、竹本健治氏(読んだばかりの『ウロボロス』など)、北森鴻氏、篠田真由美氏、鏑木蓮氏、山田正紀先生らと談笑。その後、会場に入る。まず、「鮎川賞」は、島田荘司先生が選考経過を発表。受賞者の麻見和史氏の挨拶がある。次に、「ミステリーズ!新人賞」の選考経過を有栖川有栖氏が発表。そして、今年の受賞者お二人、 秋梨惟喬氏、滝田務雄氏の挨拶がある。乾杯の音頭は、本格ミステリ作家クラブ会長の北村薫氏。
 その後はパーティ。笠井潔さんと「ミステリマガジン」や今シーズンのスキーのことを話したり、綾辻行人氏や有栖川有栖氏らと応募作選考に関することを話したり、辻真先先生や権田萬治先生と昔話をしたり、松尾由美さんや柴田よしきさんや加納朋子さんや近藤史恵さんらともろもろの話をしたり、柄刀一氏、鯨統一郎氏、加賀美雅之氏、霧舎巧氏、東川篤哉氏らと新作の予定のことを話したりと、時間はいくらあっても足りないのであった。
 そうそう。大森望氏が、わざわざ蔓葉信博氏を紹介してくれる。が、大森氏の邪悪な目論見ははずれ、和やかに意見交換がなされたのであった(笑)。


 以下の授賞式とパーティの模様。



2006.10.06
 探偵小説研究会の蔓葉信博氏が『拙文へのご批判についての質問』を公開し、私に返答を求めている。
 事前に書いておくが、私は本格以外のミステリーに興味がなく、本格以外の評論家(つまり、「このミス」系評論家とか「広義のミステリー」系評論家)が、本格領域に踏み込んでこない限り、その方々の仕事にも興味がない。
 本格ミステリー評論(家)が終焉したことは、笠井潔氏の観測と宣告によっても、私の観測と宣告によっても明らかになっている。したがって、上記のような理由で、本格評論家失格となった蔓葉信博氏のことにも(その仕事にも)、私はもういっさい興味がない。もちろん、本人が、「本格を研究」しようと、自分は本格ミステリーの評論家だと名乗ろうと、それは彼の自由である。
 よって、特に、この質問に返答する筋合いも気持ちもないのだが、せっかくの公開質問なので、一度だけ、必要と思われることを記しておく。

(1)「神様ゲーム」の「解説」を取り上げたのは一例である。が、あのレベルや内容で適当であったかどうかは、私に訊く前に、探偵小説研究会内部で話し合ったり(そのための「編」であり、グループであろう)、「本格ミステリ・ベスト10」の担当編集者に訊くべきであろう。私が適当と思う「解説」は、「2006」で言えば、鷹城宏、つずみ綾、円堂都司昭、市川尚吾、小森健太朗、のものである。

(2)「僕なりに本格推理小説という定義を踏まえて書いた文章です」という一文があるが、これでは、あなたの本格の定義はあなた以外の誰にも解らない。ぜひとも、どういうものがあなたの本格の定義なのか、表明してほしい。推理小説論も、推理小説史も、推理小説入門も書かず――つまり、本格を体系づけることもなく、(自分なりに)本格の根本原理を見出すこともなく――そんなことができるはずはないと思うが。

2006.10.04
[新刊]
 高田崇史『QED〜ventus〜御霊将門』講談社ノベルス

 11月に東京創元社から刊行になる、カー生誕100周年記念の書き下ろしアンソロジーの題名が決定したとのこと。
『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』
 執筆者は、芦辺拓、加賀美雅之、小林泰三、桜庭一樹、田中啓文、柄刀一、鳥飼否宇、二階堂黎人。
 というわけで、お楽しみに。

2006.10.02
[新刊]
 柴田よしき『求愛』徳間書店
 道尾秀介『シャドウ』東京創元社(ミステリ・フロンティア)
 ポール・ドハティ『毒杯の囀り』創元推理文庫

「ドクター・フー」をDVD録画で鑑賞。面白いではないか。

2006.09.30
『ドクター・ヘリオットの素晴らしい人生(上)』 『同(下)』を、Mクラスの惑星で発見して転送収容。当然、ジェイムズ・ヘリオットの新刊だと思って、題名だけ見て、よく確認しなかったら、ジム・ワイトによるヘリオットの評伝であった。失敗。

 11月に文春文庫から発売になる『猪苗代マジック』のカバー見本ができてくる。ポップな絵柄とポップな色遣いで、とても素敵なカバーになっている。

 リチャード・ハルの『善意の殺人』を読了。ノックスやバークリーなどと同じ〈ひねくれ派〉の作品。緊張感や恐怖感といったサスペンス要素はゼロ。ウイットとかユーモアとかいうものを、じっくり読みたい人向け。

2006.09.29
『原作完全版 鉄人28号(12)』をSクラスの書店で発見して、転送収容する。後にギルバートを造るドラグネット博士が登場し、ロビーと手を組む。

 SFライターの大橋博之氏のサイト「GARAMON」をリンクに追加。

 京極夏彦氏の『邪魅の雫』を読了。(以下、ネタバレぎみ。注意のこと)

 もともと、ゾラやバルザックのような全体小説的傾向のあったこのシリーズだが、その側面が増大していて、正直言って、以前の端役(全体小説では、次の本ではその端役が主役になることもある)にまで記憶が及ばず、読んでいてつらいところもあった(特に前半)。基本的には毒薬を主軸にした殺人連鎖の変形なのかと思うが(さらに、事件の輪郭探しとか、主観と客観による世界観の構築論とか、読みどころは例によってたくさんある)、よく解らないところも多かったので、しばらくしたら、もう一度、読んでみよう。どこかにリーダース・ダイジェスト版はないだろうか(笑)。

2006.09.28
[新刊]
 竹本健治『ウロボロスの純正音律』講談社

「ミステリマガジン」11月号の我孫子武丸さんと佳多山大地さんの論考を読み、12月号用の原稿を書き、亜空間通信で送る。

「スタートレック/エンタープライズ」が終わって寂しい。第4シーズンはけっこう面白かったのに。

「ドクター・フー」がNHKのBSでやっているらしい。友人に録画を頼む。

2006.09.26
【本格評論の終焉(最終回)】
 最終回である(きっと)。

 今回は、探偵小説研究会のベテランを中心とした問題点を指摘する。
『x』問題を通じて評論家の言説からいろいろな驚きが得られたわけだが、その最大のものは、千街晶之氏(注1)を代表として、探偵小説研究会の『x』擁護派のほとんどが(全部というべきか)、笠井潔氏の20世紀探偵小説論をまるっきり理解していなかったか、あるいは、誤解していたか、異論を持っていたことだろう。
 この事実が明らかになって、仰天し、あきれ果てた人も多いと思う。
 一般的にいって、探偵小説研究会の面々は笠井潔氏の20世紀探偵小説論を充分に理解し、納得した結果、それに依拠して評論活動を行なっている――たぶん、おおかたの読者がそう思っていたはずである。
 何しろ彼らは、笠井潔氏が20世紀探偵小説論の延長上に生み出した、《探偵小説(注:通常は本格推理小説というべきところ、笠井氏があえて探偵小説という名前を使うのには理由がある)》《第三の波》、《新本格第一ステージ、第二ステージ》、《本格/脱格》、《本格原理主義》、《後期クイーン問題》、《ゲーデル問題》その他の様々な用語、概念、体現、表現を用いて仕事をしてきたからだ。

 ところが、真実はそれとはまったく違っていた。
 実際はどうだったかといえば、(いいちいち引用はしないが)「ミステリマガジン」「e-NOVELS」「CRITICA」などに発表されたものが示すとおり、本格無理解派の探偵小説研究会ベテラン勢は、まるっきり笠井氏の探偵小説論を支持していなかったのだ。それどころか、彼らは、「何故、笠井の探偵小説論を理解していなければならないのだ」とか、「何故、笠井の探偵小説論に賛同していなければならないのだ」とか、「何故、笠井の探偵小説論どおりに評論しなければならないのだ」というような反駁を行ない、開き直りの態度を鮮明にした。

 もちろん、多様な意見や見解があるというのは悪いことではない。いいや、むしろ、多数の有力な意見があることは奨励されるべきことだろう。多数の意見が出て、それらを比較検討した結果、本質論が一つに収束するかもしれないし、しないかもしれない。だが、そもそも意見を述べなければ、議論もできないし事案を検討できない。そして、世に現われた複数の意見や見解が、様々な角度から本格というものの本質や有り様を浮き彫りにすることになるのであれば、それはそれで価値がある。

 しかし、探偵小説研究会ベテラン勢の選んだ道は、そんな建設的なものではなかった。さんざん人の褌で相撲を取っておきながら、今さら「笠井の唱えたあんな探偵小説論は、オレの考えとは違う」と文句を言うのは、あまりに無責任な態度であろう。場合によっては、読者を瞞着し続けてきたと非難されても仕方がないだろう。

 ならば、彼らはどうすれば良かったのだろうか。
 簡単な話である。(それが評論家であればなおいっそう)自分の意見や考えをはっきりと表明すれば良かったのである。
 ところが、それをせず、笠井氏の論に対する否定的な考えをひた隠しにして、利用価値がある間は笠井氏の存在と笠井氏の論を利用し、甘い汁を吸ってきたわけだ。中には、「ミステリマガジン」10月号で「刻印開示」という論考を載せた蔓葉信博氏のように(彼はベテランではないが)、最初から白旗をあげて、「いずれにしろ、僕は第二の理論を待つ」などという他力本願の言葉を漏らす者まで出てくる始末である。「おいおい、評論家なら、他人に任せず、自分で自分の論をちゃんと立てろよ」と、文句の一つも言いたくなるし、その腰砕けの態度を見て情けなくもなる。

 これまで、私は、最近の評論家の活動を「表層的で、印象的な感想を垂れ流している」と、やや辛辣な形で表現してきた。では、そうではない作品評価とはどのようなものか、モデル・ケースを示しておこう。
 これまた簡単な話で、ジャンルの発展史観や教養主義を根底においた絶対評価が基準となる。次に、ある期間とか、小さなムーブメントとか、その作家の全体の仕事とか、そうした短いスパンを根底においた短期的な評価軸を必要とする。最後が相対評価となる。つまり、今年の作品の中ではどうだったか、というような刹那的な観察は一番最後に来るものであり、しかも、量的に小さなものでなければならない。

 実際に、私が作品評価をする方法を述べよう。私が今年、ある作家のある作品を読んだとする。その時には、まず、ポーから現代まで続く本格作品の流れで、どの程度の位置(程度)にあるかを判断する。次に、その作家の作品の中で、どの程度の出来具合かを考える。最後に、今年もしくは昨年来からの本格作品群の中での位置づけを考える。
 また、エラリー・クイーンが用いていたような個別的絶対評価も勘案する。創元推理文庫の『フランス白粉の謎』の解説を見てほしい。クイーンは、推理小説を評価するために、なるべく客観的な方法を考え出した。プロット、サスペンス、意外な解決、解決の分析……手がかり、フェアプレイ……などと項目を立て、それぞれに最高10点を与えて、一つの作品が何点取れるかということを調べたのだ。
 私も、自分の中に絶対的な基準軸を用意した点数制を導入している。クイーンほど細かくはないが、それによって、作品評価を行なう(注:『新・本格推理』の選評でも、客観性が目に見えるように、点数制を導入している)。
 さらに、もう一つの評価基準がある。これは、オリンピック・スポーツの体操やフィギュア・スケートの点数付けと似ている。クイーン流の点数簿の欠点は、小説としての(推理小説としての)芸術性を点数として換算することができないということにある。したがって、そこに芸術点も付け加えるわけだ。ただし、それは技術に裏づけされた芸術点でなくてはならない。そうでないと、単なる印象点になり下がる(最近の評論家の点数付けは、この単なる印象点に終始している)(注2)。
 とにかく、私は、この三つの評価法を全部利用し、最終的に作品の評価を決定する(つまり、それが「本格の尺度に照らし合わせて」という評価方法なのだ)。

 スケートや体操の点数付けをする採点者ならば、当然のごとく、それらの競技の歴史で培われた技術の詳細をよく知っている(誰が、その技を初めて実演したかとか)。また、個々の技術(技)の難易度もよく理解している。だからこそ、技術に裏打ちされた芸術性についての客観的な評価が下せるわけで、観客席やテレビで見ている素人に、専門的な知識を分け与えることで、その競技の独特で微妙な面白さを伝えることができるのだ。
 がしかし、最近の本格系評論家は、歴史的観点や発展史観や技術論や教養主義を否定しているのだから、必然的に、本格独自の面白さを専門的な見地から読者に伝えることができなくなった。と同時に、「面白かったから面白かった」というような、単純な印象評価が横行するようになってしまったのだ。

 たとえば、「CRITICA」の中で千街晶之氏は次のように述べ、自らそれを認めている。

「好みとしては『容疑者xの献身』よりももっと人工的・反リアリズム的な作品を支持するが、2005年度はその路線にそれほど絶賛に値する作品がなかったのだから、好みは別として『容疑者xの献身』を相対評価せざるを得ないではないか」という立場の人も多かった筈だ(少なくとも、私や円堂都司昭や鷹城宏などはそうである」

 正直と言えば正直で褒められるが、結局は「本格の尺度を採用した絶対評価」はそこにはいっさい存在せず、単に、「面白いと思ったから面白いんだ」という印象点が己の評価方法の主体であることを吐露している。そして、そのことに何ら反省の方向性も見えないのが問題なのである。

 そのような単純な印象評価や、定義も尺度も示さず、ある作品を褒めそやすような態度を、私は以前、「思考停止」と呼んだ。
 鷹城宏氏は、私が探偵小説研究会の中でも相当に買う評論家であったが(「小説推理」で発表した麻耶雄嵩作品論と京極夏彦作品論では、素晴らしい洞察力を示した)、こと『x』に関する限り、先に述べた「評論家のトレンド」に従った結果、完全な「思考停止」に陥った。簡単にいえば、他の人が褒めているから自分も褒めておこうという状態から物事が始まっているので、褒められていることの現象や中身への批判性を最初から失っているのである。
 その鷹城宏氏は、先日、e-NOVELSで第二回目の『x』に関する論考を書いた(2006年9月12日号)。これを読むと、彼がようやく「思考停止」から脱しつつあることが解る。ただ、後半部などを読むと、まだ覚醒しつつある自分に戸惑っているという感がある。このように、鷹城宏氏ほどの洞察力の持ち主でさえ「思考停止」に追いやり、目を曇らせるのだから、それくらい、「評論家のトレンド」は恐ろしいのである。

 できれば、評論家も、単なる印象評価ではなくて、私が用いているような何らかの絶対評価に重きを置いてほしい(というか、そうするのが、ジャンル専門家の評論家の務めであろう)。そのためにも、歴史的観点を踏まえた正しい現状認識が要求されるし、ジャンルにおける発展的史観が不可欠であるし、トリックを中心とした技術への理解という教養主義が何よりも大事な要件となる――このことは、重要なので、何度言っても言い足りない。

 さて、ここまで書けば、本格系評論家の何が悪かったのかが明瞭となった。逆にいえば、どうすれば良かったのかも明らかである。
 結論はこうだ。
 彼らはしっかりと論を立てた「評論」を書けば良かったのである。
 ここで言う「評論」とは、単発的な、短い評論原稿のことではない。一つの論を立て、それを立証するために全ページを費やした一冊丸ごとの評論の本や、一冊の評論集のことである。つまり、評論家一人一人が、己の推理小説論、推理小説入門、推理小説史などを書けば良かったのだ。そうすれば、探偵小説研究会の若手がしたような間違いを犯さずにすんだろうし、ベテラン勢も、笠井家の軒の下で商売をするようなみっともない真似をしないですんだはずだ。
 若手の評論家が、推理小説全体の歴史を書くのは荷が重いというのなら、興味の中心にある新本格ミステリー論でも書けばいい。しかし、それでも、新本格を取り巻く実情や歴史的事実を疎かにしてはそれは達成できないだろう。諸岡卓真氏や岩松正洋氏が、もしもそういうものを(きっちりと物事を調べた上で)書いていれば、今回のような未熟さに起因する醜態をさらさずにすんだのだ。

 この結論はまた、本格の定義付けなどにもいえることだ。
 乱歩や私の本格定義なども、その言葉自体が突然発生したり、一人歩きするわけではない。乱歩の『鬼の言葉』から『続・幻影城』へ至る評論集を読んでみてほしい。乱歩は、定義付けを行なう前に、丹念に、推理小説(その頃は、探偵小説と呼ばれている)の歴史を振り返り、名作の位置づけを行ない、推理小説の形態に関する分類を行なっている(推理小説と、非推理小説との対比も行なっている)。その上で、乱歩の有名な定義『探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。』が語られるのだった。
 それは私の場合も同じで、私が提示し定義『《本格推理》とは、手がかりと伏線、証拠を基に論理的に解決される謎解き及び犯人当て小説である。』も、過去の推理小説群の本質的傾向を踏まえ、自分なりの本格感を示し、己の書く小説で立証した上で成立している。それは、都筑道夫や島田荘司氏などの作家が行なってきた行為と特に違ってはいない。

 では、探偵小説研究会を中心とする本格系評論家の仕事ぶりはどうだっただろうか。
 探偵小説研究会には20人近くの人間が属していながら、笠井潔氏を除いては、誰一人として笠井氏が書いたような「評論」の本を書いていないし、出してはいない。唯一、千街晶之氏が一冊の評論集『水面の星座 水底の宝石』を上梓したが、彼自身があとがきで書いているとおり、別に論の立ったものではなくて、複数の主題に沿って観察した事柄を並べたものにすぎなかった(つまり、笠井氏が行なってきたような体系的な意味合いの発見を含んでいなかったということ)。
 また、今年の「本格ミステリ大賞」などにも、その点の問題性が明示されている。評論賞の候補に挙がった4人のうち、3人までが作家で(笠井潔、北村薫、山口雅也)、もう一人も専門的なミステリー評論家ではなかった。
 その前年(2005年度)においても、探偵小説研究会員の著作は一つも候補に挙がっていない。
 この悲惨な現状を、評論家たちは恥ずかしいと思わないのだろうか。
 毎年、毎年、「本格ミステリ大賞」には笠井氏の作品のみが候補に挙がっていて、もしかすると、毎年、毎年、彼が受賞するかもしれない――そんな閉塞的な状態であることに、評論家たちは羞恥を感じないのであろうか。

 結局のところ、一冊のまとまった「評論」さえ発表する者が皆無といって良い現在の本格評論シーンは、そのこと自体が自らの終焉を世に喧伝している。小説を書かない作家がもはや作家でないように、「評論」を書かない評論家は評論家などではない。笠井潔氏や私がわざわざ観測・宣告するまでもなく、本格評論は自滅の形でとっくに終わっていたのである。

(以上)

注:1 千街晶之氏が「CRITICA」発表した「時計仕掛けの非情」の冒頭には、明かな事実誤認に基づく記載があるので、訂正しておこう。「一連の議論は、二階堂黎人がホームページ「黒犬黒猫館」に発表した『容疑者xの献身』否定論に端を発している」という箇所や、「中でも最も分量を費やして『容疑者xの献身』批判を行なったは笠井潔で」などという箇所である。
 この日記でも「ミステリマガジン」でも、私は『x』を優れた技巧で書かれたサスペンス作品として評価している。フェアプレイなどの観点から、本格であるかないかという事実の指摘(確認あるいは区別)をしているにすぎない。
 また、笠井氏も私も、『x』批判をしているのではなく、まともな理由を示すことなく『x』を妄信的に褒めそやして「思考停止」状態に陥っている評論家を批判をしているのである。

 千街晶之氏がそのようなことを書くのは、問題の本質(=つまり、自分たちに対する批判)から読者の目を反らそうという欺瞞的な行為にすぎない。
 この欺瞞的な作為は、彼のこの論考全体にも及んでいる。たとえば、彼が「危機」という言葉を用いている箇所があるが、この「危機」という批判は、本格系評論家に対して、私が前々から述べていたことである。にもかかわらず、千街氏はそれを作家(第三の波)の問題へと巧妙にすり替えている(P82など)。笠井氏の論に作家が反発しているなどと分析しているくだりもそれで(P74など)、しかし、その根拠が、黒田研二氏や北村薫氏ら、『x』擁護派の投票にあるというのでは何とも心許ない。

 もともと黒田研二氏などは、クイーンやカーも読んだことがない人間で、せいぜいテレビの『刑事コロンボ』と東野圭吾作品に親しんだ程度である(その意味で、本格を深く知っているのかは疑わしい)。北村薫氏は、自身が公表しているとおり、新作は一切読まない。したがって、彼にできるのは、「本格ミステリ大賞」候補作の中から遠慮がちに一作を選ぶ程度のことだ。もともと不特定多数の中からある作品に自由に投じることができる評論家の評価責任(「本格ミステリ・ベスト10」を含む)と比べると、彼の責任の度合いは圧倒的に小さい。

注:2 評価者の個性は、この技術に裏付けされた芸術点から生じることが多い。私の場合でいえば、名探偵ものと物理トリック作品を高く評価する傾向があり、日常の謎派などは基本点が低い。

2006.09.23
【本格評論の終焉(8)】
 最終回のつもりであったが、長くなったので、もう一度続く予定である。

 重要なことなので、何度も書くが、本格評論を行なうのであれば、歴史的観点を踏まえた正しい現状認識が要求されるし、ジャンルにおける発展的史観が不可欠であるし、トリックを中心とした技術への理解という教養主義を捨て去ることはできない。
 逆に言うと、それらを否定する傾向に淫している探偵小説研究会の一部の者は、本格を論じる評論家として失格である。だいいち、単なる印象に基づいた表層的な感想を書き捨てているだけでは、本格作品を正しく分析し、考察し、論じることにはならないであろう。

 というのも、本格――特に新本格をより深く観賞するには、過去の作品や、そこで培われた技術や技法といった資産について、充分に把握する必要があるからだ。
 たとえば、「CRITICA」に載った田中博氏の「『ガラスの村』試論」には、次のような一節がある。

「綾辻以降のいわゆる新本格§H線を、私は「方法におけるミステリ史の総括」と考えている」

 正しい意見である。つまり、新本格を理解し、分析し、論じ、読者にその面白さを余すところなく紹介するには、「方法におけるミステリ史」を学んでおかねばならないということである。新本格を満足がいくまで楽しむためにも、それは基本的に望まれる行為だ(注1)。

 たとえば、綾辻行人氏の『十角館の殺人』を読む時、登場人物のニックネームの基となったヴァン・ダインやその他の作家のことを(その作品も)知っておいた方が良いだろう。アガサ・クリスティーの著名長編を読んでいれば、なおさらそれとの比較によって(構想やプロットの面で)、綾辻作品の面白さが倍増する。
 麻耶雄嵩氏のデビュー長編『翼ある闇』にしても、英米本格推理黄金期の著名作家の作品群を知っているのと知らないのとでは、解決部分で受ける衝撃度は天と地ほども違ってくる。
 法月綸太郎氏の『一の悲劇』がどうして傑作なのか、ということを理解するには、カーの長編や横溝正史の中編で使われた某トリックについて知っておく必要がある。しかも、1950年以降は(小説内でも扱われる)法医学(の知識)が進み、この手のトリックを使うことが非常に困難になってきた。そのこともぜひ知っておきたい。そうすれば、その困難を、法月氏がどれほど自然な形で乗り越えたか、作者の技量の高さを得心することができるだろう(注2ネタバレ注意)。
 島田荘司氏は、『水晶のピラミッド』あたりから、作中にある一つの章(エピソード)を、丸ごと事件の手がかりやミスディレクションにしてしまうという独特の方法を確立した。過去にもそうした形態が含まれる作品もないことはなかったが、それは偶発的な発生であり、意図的な方向で、物語性を犠牲にすることなく、退屈な証拠集めの場面を排除することに成功した。これは、ポーの『マリー・ロジェの秘密』以来の論理的な捜査と推理の組み立てには常についてまわる弊害であった。この弊害は、エラリー・クイーンの国名シリーズなどに顕著であり、それを嫌ったアガサ・クリスティーは、事件より先に人物紹介を行なうという方法を採ったが、それでも、状況設定に面白みがない場合には退屈感を免れなかった。こうした過去の作家の苦労や試行錯誤を知っていれば、どれほど島田氏の選択した方法が素晴らしいかが実感できる。
 芦辺拓氏のデビュー作『殺人喜劇の13人』のユニーク性が、江戸川乱歩の『陰獣』のユニーク性まで繋がることが解れば、すごく愉快だ。つまり、作者に対するイメージそのものが、登場人物に重ねられて、それがある種の真相を隠す煙幕になっているということだ。
 京極夏彦氏の長編『狂骨の夢』のプロットが、T・S・ストリブリングのある傑作短編とまったく同じであることを知ると――それがまさに偶然であるが故に――いっそう、京極夏彦氏の本格センスの卓抜さに感じ入ることができる(注3ネタバレ注意)。
 拙著の場合で言えば、『カーの復讐』のメイン・トリックを、「ああ、密室殺人ね」としか思えないのと、「お! ユダの窓トリックではないか!」と思うのとでは、まるで評価が違うし、楽しさも違ってくるだろう。
 ――このように、本格、特に新本格の観賞には、過去の遺産の蓄積に親しむことが望ましい(一般読者にとっては不可避ではないが、評論家にとっては不可避であろう)。
 御存じのとおり、笠井潔氏も、島田荘司氏も、北村薫氏も、山口雅也氏も、綾辻行人氏も、有栖川有栖氏も、芦辺拓氏も、私も、繰り返し、読者に、古典的名作を読むことを読者に推奨してきた。それは、その作品を単純に楽しむという目的の他に、己の作品(新本格作品群)に対する理解度を深めてもらいたいという願いを込めた希望であった。

 にもかかわらず、探偵小説研究会の若手――諸岡卓真、岩松正洋、大森滋樹、蔓葉信博などといった者たちは、それを否定する傾向を表明している。しかし、ジャンルの発展史観の否定は、当然、ここに名前を挙げた作家に代表される新本格作家全体(とその意向――つまり、本質的ムーブメント)を否定するものである。
 彼らとっては、新本格は歴史的観点や普遍的評価で読むものではなく、他の娯楽小説一般を読んでいる時にたまたまその横に発見した「つまみ」にすぎないだろう。つまり、現代文学一般への関心の延長線上にその興味があるわけで、真に本格推理を愛する作家や読者たちと異なり、単なる手慰み程度のものなのだ。

 しかし、その結果はどうであったか。新本格を理解し、議論するのであれば、今も述べたとおり本格の歴史を知らなくてはならないし、本格の歴史を知るなら、ミステリー全般の歴史を知らなくてはならない。そうでなければ、現状認識にも誤認が生じるわけで、平気で間違ったことを書きかねない。現に、千野帽子=岩松正洋氏が、新本格作家とファウスト系作家の関係について「若い作家の青臭さが上の世代を危惧させる構図は、一九八〇年代末の新本格バッシングを十数年隔てて反復しています」などというデタラメを検証なしに書いている。
 過去の推理作品に興味がなく、新本格のみにしか興味がなくとも、新本格がどうして勃興したか、その本質はどこにあるか、ムーブメントの意味は、とか、評論家としておさえておくべきことは多数あるだろう――とすると、当然、新本格を包む日本のミステリー界全体の有り様についても勉強する必要があるわけで、だが、彼らはそれを無視して、こういう稚拙な間違いを犯す。新本格バッシングがどういうものだったか、その実態を理解するのが新本格ウォッチャー(=本格評論家)として役目であるはずなのに、それを怠けて、自らの書いたもので評論家失格であることを露呈してしまう。
 しかも、本格作家による脱格作家へのバッシングがあったという前提がそもそもデタラメである。《本格/脱格》などという差別化・区別化・排除化は、そうした(笠井潔氏が生み出した)概念と専門用語を多用してきた探偵小説研究会を中心とする本格評論家が行なってきたものだからだ(このことは、本稿の第1回めに書いた)。そして、何故、千野帽子=岩松正洋氏らがそのようなデタラメを書くかと言えば、自分たちが行なってきた排除的行為の責任を他人(=作家)に転嫁するためで(そのことも、前に指摘した)、もう一つは、終焉する(した)本格評論シーンから逃げ出すための方便であった。これが、2番目の動機である。

 同じことが(特にバッシングに関する言説として)、諸岡卓真氏にもいえる。彼もまた、岩松氏と同じく、新本格バッシングと近年のものが同じだと述べて(「かなりの程度似通っている」――という表現だが)、無知蒙昧ぶりを発揮している。これもまた、責任転嫁という点で、動機的には千野帽子=岩松正洋氏と同じことを目論んでいる。
「critica」での鼎談とそれに関する評論の中での、諸岡氏の無茶苦茶な発言ぶりには、何度も苦笑を通り越して哀れを感じたほどだ(ただし、彼は議論へ積極的に参加しているだけ、まだ他の者よりはましであろう。正しく勉強するという姿勢を選べば、将来的には使える人材になるかもしれない)。実際、彼の鼎談の中での発言は(過去の発言も含めて)、何度も笠井氏や小森氏から細かく訂正されている。
 たとえば、諸岡氏は、京極夏彦バッシングがあったかなかったかという問題を持ち出す。そのあげく、京極バッシングがあったかなかったか、文献だけでは調べようがなかったと発言する。「おいおい、たった数年前の前のことなんだから、探偵小説研究会の仲間に聞くなり、作家に聞くなりして、ちゃんと調べておけよ!」と茶々を入れたくなったのは、私だけではあるまい。新本格を語ろうとする者が、新本格ムーブメントの中で起きたことを(起きたか起きなかったも含めて)、まるで認識も確認もしていないというのは杜撰きわまりない。このような投げ遣りでいい加減な態度の羅列に、私はあきれかえった。

 あげくの果てに、諸岡氏が何を言いだすかと思えば、こんな愚かな意見を掲げる。

「「本格と変格」「本格と脱格」など、これまでのジャンル論では「本格」と「非本格」とを「分割」する線が重視されてきた。しかし、そろそろ二項対立による本格の把握に疑いの目を向けてもいいのではないだろうか」

 この発言だけでも、諸岡氏の本格評論家としての資格に疑問が生じる。
 いったい何故、広義のミステリーがあるのに新本格ムーブメントが起きたというのか、日本推理作家協会があるのに本格ミステリ作家クラブが創られたというのか、乱歩賞があるのに鮎川賞やメフィスト賞が創られたというか、「このミス」があるのに「本格ミステリ・ベスト10」が作られたというのか、「このミス」評論家がいるのに、探偵小説研究会が結集されたというのか――。
 この程度の初歩的な歴史事実の把握や現状的実態の理解にさえ欠け、しかも、勉強や調査をするという姿勢が欠如しているため、彼は、新本格や本格の有り様をまるで理解していない。これで、どうして彼が評論家を名乗ったり、評論と称するものを書けるのか、私にはまったく理解できない。謎また謎である。

 さらに、諸岡氏は鼎談の中で、有栖川有栖氏の『マレー鉄道の謎』に関してこんな発言をしている。

「その上、本格ミステリ大賞では、この作品が「端正な本格」だからというほとんどそれだけの理由で高評価を得てしまう。具体的にはどんなところが「端正」なのか、何をもって「端正」と判断するのか、選評を読んでもさっぱり解りません。「端正」という言葉がただのスローガンになって、「端正」でさえあればよい作品だ、みたいな作品評価になってしまっているわけです」

 私はこれを読んで、「いったい、彼は何を言ってんだ。自分で言ってることが解っているのか?」と、またまたあきれ果ててた。
 発言の内容は、基本的には正しい。しかし、これは、私があの当時、探偵小説研究会に向かって言った(批判した)言葉である。同じ頃、笠井氏も、「端正な本格」という言葉だけで褒めそやすことを「空疎な標語」と呼び、探偵小説研究会の面々を批判したのだった。
 諸岡氏にすれば、それは、自分が探偵小説研究会に入る前のことだ、という言い訳を用意しているのかもしれない。また、巧みに、探偵小説研究会とか「本格ミステリ・ベスト10」とか言うべきところを、「本格ミステリ大賞」と呼ぶことで誤魔化そうとしている。だが、騙されてはいけない。これは今も述べたとおり、本来的には、探偵小説研究会(の評論家の発言)に向かってされた批判なのであるから。
 もしも、諸岡氏が、一般読者として本当にそう感じたのだとしたら、私が思ったことを彼も思ったわけだ。だとすれば、探偵小説研究会へ向けられたこの批判の正しさが実証されたことになる。
 また、この発言の対象を『マレー鉄道の謎』から『容疑者xの献身』にかえ、「端正な本格」という空疎な標語を、「現代の本格」「優れた本格」「純愛」などの空疎な標語と取りかえてみたらどうなるか。今回、私が『x』問題を通じて『x』擁護者を批判していた意見そのままになるではないか。

 さて、私は本論考5回目の注釈で、探偵小説研究会を中心とする本格系評論家のトレンドについて記しておいた。昨今の彼らの仕事の傾向を示すもので、次のようなものである。

(1)単純に読みやすいものを好む。
(2)表面的に意外性のあるものを好む。
(3)「端正な本格」「論理的な本格」「泣ける本格」「現代の本格」など、空疎で、中身のない標語を多用する。
(4)作品中にある感動の押し売りを批判せずに頭から肯定して、それを読者との共通認識にしたがる(注4)。

 この他に、恒久的なトレンド(というのは変な言い方だが)もある。

(1)新規なもの、珍奇なものを好む。その癖、すぐに飽きてしまう。
(2)名探偵ものは嫌い。何故かというと、名探偵という装置を含む作品群にはトリック指向型のものが多く、トリックに関する理解不足と勉強不足が顕著だから。

 これらのトレンドが年々拡大方向にある理由は、今述べたような、発展史観、トリック重視、教養主義などの否定傾向にある評論家(探偵小説研究会の若手など)が増えたことに起因する。つまり、彼らは、表層的な、単なる印象的感想を書くだけなので、難しい作品(奥泉光氏の『モーダルな現象』のように、読むのが難しい作品も含む)を回避する性質があるのだ。そして、その通底には、みんなが褒めるものに無批判に従っておくことが無難だという、主体性のなさが存在することも指摘しておこう。
 こうしたことがすべて(つまり、怠惰と堕落が)、本格評論を終焉に導いた原因なのである。


 ――というわけで、今回は実例を挙げて、探偵小説研究会の若手に関する問題点を浮き彫りにした。次回は、ベテランを含めたより根本的な問題点について触れたいと思う。


注1:田中博氏は、評論家として物事の真実を理解している方の人物だ。以前、このサイトで時限公開したあの私信を読んでも、この「『ガラスの村』試論」を読んでも、何が本格で何がそうでないか、彼にはちゃんと解っている。この試論などは、叙述トリックやフェアプレイに関する言及をみれば――特に、「緩いフェアプレイ」という部分に注目のこと――実は、彼なりの『x』問題への表明であるのだから。
 ただ、生来の気質のせいか、彼は表だって論争することを好まない。好まないのは良いけれども、友人が間違いを犯すのを黙って見過ごすのはどうかと思う。海原に浮かぶ小船の底に仲間が穴をあけようとしている時、黙ってそれを見過ごして、他の者と一緒に沈没死してしまって良いのだろうか。

注2:死体移動トリックのこと。近年では、死斑の確認などによって、死後、死体が移動されたかどうかが簡単に解ってしまう。よって、カーの長編や横溝の中編は、現代の捜査方法や法医学を導入すると簡単に真相が暴露されてしまう。

注3:ポケミスの『名探偵登場4』に入っている「チン・リーの復活」。このことに最初に気づいたのは小森健太朗氏だった。

注4: この(1)から(4)の「トレンド」が、まさしく、『x』や石持浅海氏の作品に対する異常な好評価へと繋がっている。逆に言えば、この「トレンド」が本格評論シーン全体のレベル低下の如実な証明ともなっていよう。
 石持作品で描かれる動機の歪みや気持ち悪さは、本格ミステリ大賞の候補作となった『扉』ではなく、『センヌンティウスの舟』を対象として観察した方が解りやすい。本来なら、ある人物の死に関する疑惑が浮かんだ時点で、他殺についても検討すべきなのに、作者も登場人物も端からそれを無視してしまう。善良な動機を作者も登場人物も最初から認め、それを読者に押しつけて、読者もまたそこに違和感を覚えずに安易に受け入れてしまうことが多い。本来なら、そういう部分を評論家が批判すべきだが、作者と一緒になって肯定に走っているわけだ。
 したがって、『x』においても、探偵が犯人の動機を「純愛」などと言って賛美することを、評論家は簡単に受け入れてしまう。一般的には非常識な解釈であるにもかかわらず、そこに批判の目を向けることなく、評論家は作者と一緒になって全面的な肯定に突っ走ってしまった。それは、ひどく不気味な衝動であり、現象である。
 こうした点が、両作品に対する評論的行為として共通しているし、評論のあり方としてはたいへん怖いことだと思う。
『センヌンティウスの舟』に関して言えば、一度、仲間の間で疑惑が生じ、友情が壊れるか、徹底的に壊れそうになる危機を迎える。しかし、仲間たちは捜査と推理を通じてその危機を乗り越え、友情を再確認する、という物語展開の方が、本来的で自然な感動を生み出すだろう。その方が、もっと面白い作品になったと思う。

2006.09.22
[新刊]
G・K・チェスタトン『マンアライブ』論創社(論創海外ミステリ)
デイヴィッド・アリグザンダー『絞首人の一ダース』論創社(論創海外ミステリ)
京極夏彦『邪魅の雫』講談社ノベルス

 新津きよみ氏のサスペンス小説『彼女の命日』を読了。一種の幽霊探偵ものだが、1年に一回、自分の命日にしかこの世に戻れないという設定が面白い(タイムリミットによるスリルも生じる)。

2006.09.21
[情報館]を更新。

【本格評論の終焉(7)】

 本論考はもう少し長く続く予定であったが、たぶん今回と次回で終わりとなるであろう。笠井潔氏の観測によっても、私の観測によっても、本格評論はすでに終焉したわけで、これ以上、本格系評論家の一部の言動を批評しても、それは死に馬に鍼をさす行為にすぎない。つまり、時間の無駄である。
 よって、以下、要点のみを語って、本論考を終了とする方向へ持っていく。

 が、その前に、重要な御報告を。
 私は8月に、笠井潔氏の探偵小説研究会での立場や「本格ミステリ・ベスト10」の今後のあり方に関連して、原書房の編集者を通じて、原書房と探偵小説研究会に質問を出した。
 その回答が、先日、原書房を通じてようやくもたらされた。そして、それを読んだ結果として、私個人が出した結論と立場をここに表明する。

 何故、質問をしたかと言えば、一つに、笠井氏が実質的に探偵小説研究会を退いたと聞き及んだことがある。笠井氏は探偵小説研究会の一員にすぎない(と、本人も探偵小説研究会も言う)が、実際上、笠井氏が探偵小説研究会を組織し、「本格ミステリ・ベスト10」の刊行を成立させた(それによって、適正な(本格)評論シーンを構築しようとした)ことは疑う余地がない。つまり、「本格ミステリ・ベスト10」は、笠井氏という中心的存在があってはじめてその信頼性を担保できたのである。
 二番目には、私自身が(笠井氏を信頼して)「本格ミステリ・ベスト10」に協力してきた経緯があること。私はたくさんの人にこのアンケートに投票してくれと頼んできたし、企画の検討や内容の吟味を編集者と共に行なってきたし、読者には「本格」のリファレンス・ブックとして、あるいは、ガイド・ブックとして、この本を活用してほしいと推奨してきた。したがって、今後、「本格ミステリ・ベスト10」がどうなるのか、きちんと確認して、それを関係者(読者を含む)に報告する義務があると考えたのだ。

 私がの質問は次のようなものだった。
(1)笠井潔氏の探偵小説研究会における立場を明確にしてほしい。
(2)それを作家や読者にきちんと説明してほしい。
(3)笠井氏は今後、「本格ミステリ・ベスト10」にどうかかわるのか、あるいは、かかわらないのか。
(4)「このミス」との差別化はどうするのか。
 この他、投票時の投票者の本格に対する心構えの有り方など、もう少し広範囲な質問や提案をしている。

 これに関する探偵小説研究会の回答は、すでにそちらのサイトで公開されているので、御覧いただきたい。ここである。

 私の質問は、原書房の編集者を通じたものだった。何故なら、原書房と探偵小説研究会の両方の意向と説明を聞きたかったからである。にもかかわらず、何故か、探偵小説研究会の回答は、私個人への直接的なメールと(注:私は、両者の意向を知りたいので、原書房を通じて回答してほしいと返信した)、サイトでの公開という形を取った。たぶん単純に、手続き的なミスなのであろうが、そうした混乱も、以下に語るような、探偵小説研究会の無責任ぶりの一つの現われのようにも思える。

 それから、私は、次のような提案を質問の最後に行なった(編集者への呼びかけ部分は削除)。
 
「探偵小説研究会から何らかの回答があった時点で、その回答を下に、作家の何人かと(まあ、3〜4人でしょうか)と、探偵小説研究会とで、話し合いの場を持ちましょう。できるかぎり、そこで両者の合意が得られる方向性を模索しましょう。そして、できれば、今度の方針や決意、といった探偵小説研究会のメッセージを、本格系作家に出しましょう(投票用紙と一緒とか、いろいろい方法はあるでしょう)」

 これにあるとおり、質問を出した時点では、探偵小説研究会が何らかの改善的方向性を示したならば、私は協力を惜しまないという方針であった。しかし、この提案は、探偵小説研究会によって無回答という形で拒否されている。つまり、探偵小説研究会の方では、私を含めて本格系作家の協力はいっさい要らないと表明したことになる(注1)。

 原書房の方では、「経年変化を記し続ける」というスタンスで(少なくとも、2007年号は)「本格ミステリ・ベスト10」を発行するという回答だった。この方針そのものについては、発行者の権限であり、何ら、私が反対するところではない。

 問題は、探偵小説研究会の回答の一部にある。
 一つには、私や作家や読者の最大関心事である、笠井潔氏の「本格ミステリ・ベスト10」への参加の有無についてが、明確に回答されていないことだ。
「本格ミステリ・ベスト10」は、《探偵小説研究会・編》と明記されている、つまり、探偵小説研究会の編集によるものであるにもかかわらず、2007年号に、笠井氏が参加するかしないか解らない、参加するもしないも笠井氏の勝手と、そう返答しているのである。これが、どれほど曖昧かつ無責任なものであるかは言うまでもない。
 以前にも書いたが、笠井潔氏というバックボーンのない「本格ミステリ・ベスト10」は、信用性も信頼性もゼロである。思想的中核が欠落したわけなのだから、「本格ミステリ・ベスト10」が形骸化されたものなったと言わざるを得ないのである。

 とにかく、探偵小説研究会というグループ(集団)の活動や言動には、いつもこうした無責任性がつきまとう。「本格ミステリ・ベスト10」の内容や達成度、その影響力など、探偵小説研究会が負うべき当然の責任について批判・追求すると、会は個人個人の集まりで意志の統一されたものではないという論調でいつも逃げてしまう。実質的には、そうした隠れ蓑を使って個人としての責任から逃れようとしているのは一部の者にすぎないのだが、結果的に、他の者にも連帯責任を押しつけて迷惑をかけている。
 私が先に、実名を列挙したのは、そうした逃げをこれ以上許さないためでもある。また、個人個人の集まりで、それぞれに考えが違うということなので、個人個人の仕事への評価という形に、批判の方法を切り替えたのである。

 もう一つ。「『ベスト10』の投票は『本格』の尺度を適切に反映しているのか?」という質問と、「年々、『本格』の尺度が曖昧になっているのでは?」という質問の答は、探偵小説研究会によって明確になされたであろうか。回答を見ると、「一般向けのアピール」をもって代えるということだが、読んでみても、どこにその答があるのか解らなかった。
 唯一それらしき下りが、
「探偵小説研究会では、回答を集約するなかから「本格」の尺度が炙り出されてくる。いかなるアンケート結果が出るにせよ、同じ形式で出し続け、批判や議論が起きることに意味がある。本格ミステリの輪郭を画していくうえで重要であると考えています」
 というものだが、何とも曖昧模糊としている。何だか、自分たちの編集方針の適当さから生じる責任を、アンケート回答者になすりつけようとしているとしか、私には思えなかった。

 そうした事柄をすべて勘案して、私は残念ながら、次のような結論を出すしかなかった。
 今後、「本格ミステリ・ベスト10」を含め、探偵小説研究会というグループの行なう企画にはいっさい協力できない(注2)。
 というものである。
 また、これまで、「本格ミステリ・ベスト10」を読者に向けてリファレンス・ブック及びガイド・ブックとして推奨してきたが、そうした行為も今後はいっさいできない。何故なら、「本格」のリファレンス・ブック及びガイド・ブックとしての編集方針・達成度・方向性・啓蒙性、教養度が、私の考える基準にとうてい及ばないからである。簡単に言えば、読者に推薦できるような内容ではない、ということだ。少なくとも、私が欲しているのは「真の本格ミステリー紹介書」であり、探偵小説研究会が目指しているような「広義の本格ミステリー紹介書」ではない。

 一つ例を挙げると、「本格ミステリ・ベスト10 2006」に載っている麻耶雄嵩氏の『神様ゲーム』の解説。これを書いているのは蔓葉信博氏だが、内容は『神様ゲーム』のあらすじと、麻耶雄嵩氏の過去の作品の紹介の羅列で終始している。『神様ゲーム』は、本格であるのか本格でないのか、児童文学として適当なのか適当でないのか等、様々な問題を含み、それこそ本格の尺度の発揮や解釈を、読者や「本格ミステリ・ベスト10」編集者に投げかけている。ところが、そうした点にまったく触れておらず、「本格」評論関連の文章としては不充分なのだ。また、その程度のもので良しと編者(会)が認めている点で、「本格ミステリ・ベスト10」はもはや、リファレンス・ブック及びガイド・ブックとして不適切となっている。

 こうした探偵小説研究会の若手の書いたものの未熟ぶりについては、数年前から、私は何度も指摘してきた。しかし、探偵小説研究会ではそれを放置してきて(つまり、会としては、そうした未熟も個人の責任ということなのだろう)、若手の評論のレベル・アップや、会全体のボトム・アップを怠けてきたのだ。

 また、以前にも書いたが、歴史的観点の不足、ジャンルにおける発展的史観の欠如。トリックを中心とした技術論への理解不足、教養主義の否定、現状認識の錯誤など、探偵小説研究会には問題が山積している。
 つまり、現状では、(笠井潔氏を失った)探偵小説研究会という組織は機能不全を起こし、暴走して、本格ミステリー界に少なからぬ被害を及ぼしている。千野帽子=岩松正洋氏が、本格ミステリーを愛する読者(すなわち、お金を出して本を買ってくれ、本格作家や本格系評論を支えてくれている読者)を《ミステリ読者共同体》などと呼んで揶揄し、批判し、馬鹿にしていることなどがその最たる例である(しかも、自分自身がその内部にいて)。

 以上のような点を総合して、私は先のような結論に至ったのである。
 なお、言うまでもないが、この結論は、私個人の態度の表明であり、他人に何かを要求するものではない。一つの情報として活用していただければと思う。

 最後に、これまで私の呼びかけに応じて「本格ミステリ・ベスト10」に協力してくださった作家や評論家、ライター、ファンの皆さんに深くお礼を申し上げます。今まで、いろいろとありがとうございました。
 それから、私の推奨によって「本格ミステリ・ベスト10」を講読・愛読してくださった読者の皆さんにも、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました。


注1:余談だが、時々、私に、「探偵小説研究会と仲良くしろ」とか「よく話し合って揉め事を解決しろ」と助言してくる人がいる。ついでなので書いておくが、私は昨年来から三、四度、探偵小説研究会に対して話し合いを行なおうと提案してきた。しかし、その度に、会員個々の考えがみな違うので会う必要はないというような返事によって、私の提案は拒否されてきたのである。

注2:探偵小説研究会を離れ、個人となった場合には優秀な人材もいるので、個々の事案においては別の話となる。

2006.09.20
[新刊]
 我孫子武丸/中山昌亮『迷彩都市(1)』竹書房

 小学館eBOOKSで、メフィスト賞作家・関田涙氏の新作が発表されている。小学館書き下ろしミステリーの第4弾『時計仕掛けのイヴ 前編』は無料で読むことができる。こちらから。

2006.09.19
 東京創元社が11月に刊行する『J・D・カー生誕百周年記念オリジナル・アンソロジー(仮)』のゲラが出てきた。私の作品の題名は「亡霊館の殺人」。雪の上の足跡なき殺人が一つと、内部から施錠され、しかも、窓もドアも紙テープで封印された完璧密室殺人という、けっこう難解な不可能犯罪もの。探偵役は、ヘンリー・メリヴェール卿に登場を願った。
 他の執筆予定者は、芦辺拓氏、加賀美雅之氏、小林泰三氏、桜庭一樹氏、田中啓文氏、柄刀一氏、鳥飼否宇氏という、これまた豪華なメンバーだ。きっとすごい作品集になるだろう。

2006.09.18-2
[新刊]
 手塚プロダクション編『手塚治虫 原画の秘密』新潮社(とんぼの本)
 坂木司『シンデレラ・ティース』光文社

『手塚治虫 原画の秘密』は、没原稿や、修正原稿などが写真で収録されている上、雑誌と単行本での描き変え部分の比較などが載っているので、手塚ファンやマンガ・ファンは必見。

2006.09.18-1
 15日は、帝国ホテルで乱歩賞の授賞式。受賞者は鏑木蓮氏(写真左上)、早瀬乱氏(写真右上)。写真はその時の壇上の模様。
『新・本格推理07』入選者でもある鏑木蓮氏とは、お祝いを述べた後に握手を交わしてきた。


2006.09.14
[情報館]を更新。

 水村美苗の『本格小説』を読んでいるのだが、途中に出てくる挿絵がわりの風景写真が鬱陶しい。せっかく物語世界に没頭しているのに、その度に現実世界に引きずり出されてしまう。

2006.09.13
【本格評論の終焉(6)】

 前回は評論家の批判性の欠如について指摘した。さて今回は、実名を挙げて、評論家の誰に『x』問題に関する責任があるのかを見ていこう。これまで私は、本格系評論家とか探偵小説研究会とかいうような大枠の呼び方を用いてきた。しかし、その中にも、《本格》を理解している者と、理解していない者がいるわけで、そのことは明確に区別せねばならない。
 そのためにまず、《本格系評論家》とは何かを定義しよう。

(1)探偵小説研究会のメンバー。
(2)それ以外で、「本格ミステリ・ベスト10」と「本格ミステリ大賞」の両方に投票している者(投票権を持っている者も含む)。

 このどちらかに該当する評論家・書評家などを《本格系評論家》とする。それ以外は部外者である。
 故に、この分類に該当する場合のみ、《このミス系評論家》に該当する者も《本格系評論家》に認知される。それらの者は、「本格《を》」仕事の中心的対象としているわけではなくて、「本格《も》」仕事の範囲に入れている評論家である。
 また、《本格系評論家》が、本格以外の仕事も行なっているかどうかは問うていない。

「本格ミステリ・ベスト10」及び「本格ミステリ大賞」を参考にして、以下のような分類を行なった。《A》は両方の企画において『x』に投票している者。《B》はどちらか片方に投票している者。または、何らかの論考において《x》を擁護している者。《C》はどちらにも投票をしていない者。《D》は『x』を本格として評価していない者――である。
(*)印は探偵小説研究会員。

《Aグループ》
 円堂都司昭(*)
 大森磁樹(*)
 佳多山大地(*)
 鷹城宏(*)
 蔓葉信博(*)
 濤岡寿子(*)
 廣沢吉泰(*)
 諸岡卓真(*)
 川出正樹
 神命明
 杉江松恋

《Bグループ》
 岩松正洋(*)
 波多野健(*)
 千街晶之(*)
 中辻理夫(*)
 羽住典子(*)
 巽昌章(*)
 村上貴史

《Cグループ》
 小松史生子(*)
 笹川吉晴(*)
 並木士郎(*)
 柳川貴之(*)
 田中博(*)

《Dグループ》
 笠井潔(*)
 小森健太朗(*)
 末國善己(*)
 つずみ綾(*)
 法月綸太郎(*)
 横井司(*)
 市川尚吾(*)
 日下三蔵

(*:探偵小説研究会)

 つまり、『x』問題に責任があるのは《A》と《B》になるわけで、私の中では、これを《本格無理解者》と読んでいる。当然のことながら、《D》は《本格理解者》である。
 それから、《C》であるが、探偵小説研究会に属していながら、これらの企画に投票を行なわないというのは、一種の怠慢に近い。今回はどちらにも分類しなかったが、責務としての反省は求められるはずだ。できれば、探偵小説研究会内部でその点の検討を願いたい。
 というのも、探偵小説研究会の積極的な活動がなければ、「本格ミステリ・ベスト10」を中心とする本格動勢の形成も、「本格ミステリ大賞」も成り立たないからである(本格ミステリ作家クラブも)。というより、多くの労務を彼らに依存して成り立っているわけで、その点については、私も(たぶん、ほとんどの作家も)彼らに深い感謝を寄せている。が、それだけに、大きな責任と積極性が必要となるわけで、そのことをぜひとも個々に強く自覚してほしい。

 さて、この分類を見てもらえれば解るとおり、《本格無理解者》には、《このミス系評論家》と、前回名前を挙げた探偵小説研究会の若手が並んでいる(ベテランもいるが、そのことはまた別の機会に書く)。
《このミス系評論家》は、もともと《本格愛》の希薄な者たちで――《本格愛》が他のジャンルに対する愛と等値であり、分量的に少ないと言うべきか――優れた本格評論文壇の確立のために招集・擁立・待望・教育された探偵小説研究会の面々とは同等に扱うことはできない。つまり、こちらも《このミス系評論家》には特に期待していない分、今回のような結果になるのは予想できた面もある(たとえば、『x』以前にも、横山秀夫氏の『臨場』を本格として推すような行動が顕著だった(注1))。
 私は〈ミステリマガジン〉3月号で、良質の本格推理小説を創造するための三条件を挙げた。一つは本格の定義に即していること、二つめは作家の執筆動機(つまり、本格愛)、三つめはジャンル自体が要求する専門的技術である。
 この三つが揃って、良質の本格推理小説ができあがるわけだが、さっそく、《このミス系評論家》の杉江松恋氏が、「ミステリマガジン」4月号で噛みついてきた。
「――ジャンル作品を書くには相応の技術が必要とされるという点に異存はないのだが、「作家の執筆動機」という恣意的な判断基準となりかねない条件を物差しとして採用することには以上の点から非常に違和感を覚える。「本格愛」を意識しない作家から「本格」が生まれることがあっても一向にかまわないのだから」
 という具合にだ。
 しかし、三条件が揃うことを良質の本格推理作品の達成要件とした話の一部分のみにあえて反論しても意味がないと思うし、当方の主張を正確に理解しているとも言えない(注2)。また、「本格愛」を意識しない作家から生まれた優秀な「本格」が存在するのなら、ぜひとも実名を挙げてほしいところだ。少なくとも、私にはそんな本の心当たりはない。
 もしも、「本格愛」を意識しない作家から生まれた優秀な「本格」が『x』や『臨場』だと言うのなら、こちらの求めているものと、彼らの求めているものがまったく違うということが証明されたと言えよう。『x』などが、私の定義する《本格》や、笠井潔氏が唱えている二十世紀探偵小説論の流れにある本ではないことを、杉江氏を代表とする《このミス系評論家》自らが認めていることに他ならない――とすれば、それは、何ら対立する意見ではなく、名札の付け間違いというような、形式的手続きの相違にすぎない(コンテスト・ルールによって、厳密に選り分ける場面も出てこようが)。

 それよりも、問題は後者、探偵小説研究会、特に若手の会員である。
 大森磁樹、蔓葉信博、濤岡寿子、諸岡卓真、岩松正洋、廣沢吉泰、中辻理夫、羽住典子といった若手がこぞって『x』を評価しているのは偶然ではない。前回も書いたとおり、勉強不足による本格無理解の結果であり、必然である。
 ポーから現代に至る本格(ミステリー全般も)の歴史に関する勉強不足。
 明治時代から現代に至る日本のミステリー文壇の推移に関する勉強不足。
 新本格ムーブメントの形成と本質に関する勉強不足。
 トリックを中心とする技術に関する勉強不足。
 ジャンル定義や小説形式に関する勉強不足。
 等々、ありとあらゆる点に勉強不足が見いだせる。

 総括すれば、(新)本格推理の理解に絶対必要条件である発展史観とそれに基づく現状認識の勉強不足ということになる。笠井潔氏の著わした探偵小説論を理解していなかった点も、それに起因する。評論家失格と言われても仕方がないこの致命的な欠陥については、次回以降に詳しく論じる予定である。

注1)『臨場』には八編の短編が収められていたが、形式的に本格と呼べるのはせいぜい最初の三本だけだろう。内面的にはどれも、松本清張の流れにある浪花節小説である。

注2)「ミステリマガジン」6月号で私が書いた文章の中には、適正ではない表現や引用があった。4月号の杉江松恋氏の論考へ反論したものの一部分がそれで、そのことは、氏から氏のサイト日記で指摘を受けた。確かに一部分において不適切な箇所があり、私はただちに、氏にメールで謝罪した(「本格ミステリ大賞」選定中であったので、当サイト日記では扱わなかった)。また、近く「ミステリマガジン」12月号で書く予定なので、そこでも謝罪と訂正を行なうつもりである(誌上討論であるから)。

2006.09.11
『ヘルマン・ヘッセ全集(13)』が、物質転送機で届く。ヘッセの代表作の一つ、『荒野の狼』が収録されている。

2006.09.10
 山田正紀氏の『カオスコープ』を読了。ジャンル・ミックスな作品で(本格、サスペンス、SFなどの)、あと少しだけ科学的要素を増量すると、完全なSFになっただろう。一種の記憶喪失ものだが、脳医学から派生する近年の解釈を大胆に導入した点が新しい手法かも。様々な記憶の断片と挿話が、混沌とした形ですすみ、最後にうまくまとまる。途中までは、何だか、石森章太郎の『ジュン』や『サイボーグ009 神々との闘い編』を読んでいる時の感じに似ていた。

2006.09.09
【本格評論の終焉(5)】

 ここで、もう一度、『x』問題について整理しておこう。聞きかじりや読みかじりばかりで、問題の実態を正確に把握していない人や、内容を誤解している人が多いからだ(「読売新聞」書評欄での某有名作家のように)。

(1)東野圭吾氏の『容疑者xの献身』 は、緩やかなフェアプレイを基に書かれた(技巧的な)サスペンス作品であり、厳密には本格ではない。そのことが解らない評論家には大きな問題がある――二階堂黎人による主張。

(2)東野圭吾氏の『容疑者xの献身』は、難易度の低い本格であり、二十世紀探偵小説論に基づいて看過し、体系づけた本格作品群に属するような作品ではない。そのことが解らない評論家には大きな問題がある――笠井潔による主張(注:私流に解釈して書き直してあるので、詳細は「ミステリマガジン」4月号など、笠井氏の論考を読んでほしい)。

 根幹となるのは、この二点の指摘であり、どちらにしろ、後半部の『そのことが解らない評論家(笠井氏によれば、作家も)に問題がある』ということである。そのことこそが重要なのだ。見出し的には、それぞれの指摘の前半部が話題性を独占してきた形だが、それは大した話ではない。本格を正しく論じるために存在するはずの本格系評論家が、「本格」というものを見誤っていたり、誤解していたり、そもそも理解していないという点において、資格的、適正的に大きな問題がある――そう糾弾されているわけである。

 それについて、私は「ミステリマガジン」四月号でこう書いた。
「一番の問題は、本格系の評論家が声を揃えて、これを「優れた本格」などと主張していることだ。本格というのは「本格っぽいから本格」なのではなく、きちんと本格としての定義が存在して、その尺度の中で、物語の構成力やトリックの技術力が評価されねばならない」
 笠井氏は、同誌でこう書いている。
「難易度の高い技に挑戦し、みごとな成功を収めたとは評価できない作品に、ジャンルの専業的作家や中核的読者など、昔なら「探偵小説の鬼」といわれたような人々が最大限の賛辞を浴びせかける。この異様な光景に、『容疑者x』をめぐる最大の「謎」、あるいは最大の「問題」が見出されなければならない」

 これらの主張を、もっと俗な言い方で表現すると――この前の犬のコンテストのたとえ話を思い出してほしいが――『x』は、優秀な本格作品を選定する「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリ大賞」に当初から参加させるような作品ではない、ということである。どれほど面白い小説(あるいは、優れたサスペンス小説)であろうとも、まったく場違いなのである。「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリ大賞」は、あくまでも、(本当の意味での優れた)本格作品のみを競い合わせる場所なのだ。
 また、犬のたとえ話でも書いたが、どんな状況であれ、『x』には何の罪もない。罪があるのは、規則を無視して、資格のない作品をコンテストに参加させた評論家の方なのである。このことを忘れてはならない。

 というわけで、根幹的な問題は、今述べたような事柄となる。だが、そこから派生した問題も複数ある。

(3)評論家が、読者に向けて、何の分析も説明も解説も行なわず、「人間ドラマに感動した」「純愛に泣いた」「今年の本格の収穫」「優れた本格」「現代の本格」などと、空疎な標語を使って、いっせいに『x』を褒めそやした点。
 たとえば、単に「現代の本格」という標語を強調することで、あたかも、「現代の本格作品群の中で一番優れている」と読者に錯覚させるような方法を取ったわけだ。しかし、これは、読者に対する一種の詐欺である。

(4)「優れた本格」「現代の本格」などと主張するのであれば、どうして「優れているのか」、どこが「現代の本格」なのか、本格の定義をきちんと提示して説明してほしい、との私や読者の要求にほとんど応えられなかった点。
 これに関して「ミステリマガジン」などに書かれたものを読むと、「本格に定義は必要ない」とか、「定義は立てない」とか、「その時々で変わる」とか、「作品ごとに定義は変わる」とか、とうてい評論家とは思えない曖昧かつ稚拙な回答ばかりが並んでいた(注1)。

(5)笠井氏が「ミステリマガジン」などの討論の場を設け、ムチで尻を叩かなければ、評論家は例によって、無視やだんまりという手段に逃げていただろう。「何事も論じるつもりはない」とか、「反論は受け付けない」などの捨て台詞を吐いた者さえいたくらいだ。議論を避けて、頭から逃避する姿勢が何とも悲しく、愚かである。

(6)(4)や(6)で解るとおり、自分の発言について、まるで責任を持つという姿勢がない点。評論家の評論、書評、ベスト10などのアンケート回答は、どれも小説家の小説と同じで創作物(作品)である。当然のことながら、それらもすべて評論や評価をされる立場にある。その批判や評価を受け止める姿勢や覚悟が最初から存在しない。

(7)繰り返すが、もともと『x』を「優れた本格」「現代の本格」「純愛」などと空疎な標語をもって褒めそやしたのは評論家である。であれば、読者から(私も読者の一人だ)求められたならば、正々堂々と、その主張の根幹となる内容を答えるべきである。

 何故、これらの点が問題かと言えば、論じることや自分の基準に沿った考えを表明することが評論家の仕事であるはずなのに、その重大事をすっかり放棄しているからである。
 もちろん、何故、そういう無責任な行動に出たかは明白だ。『x』を褒めそやした言動の中に、批判や質問に応えられるだけの正当性がなかったからである。
 むしろ、おおまかな理由はこんなところだろう(重複あり)。
(1)この手の(叙述的)作品を褒めるのが、昨今の流行。
(2)みんなが褒めるので、自分も褒めた。
(3)実は、本格とは何か解らないのだが、本格っぽいらしいということで褒めてみた。
(4)大勢に迎合し、売れ線のものに媚びている。
(5)この作品を褒めて、まさか文句を付けられるとは思っていなかった。
(6)評論家のトレンドに従った(注2)。
(7)現在、何が問題化して、自分に対して何が問われているのか、そのことさえ解っていない。
(8)「このミス」系の価値観に従っているので、本格かどうかはたいして気にしていない。
(9)過去の作品についてまじめに勉強していないため、歴史認識が不足し、本格作品の発展や流れに沿った正当な判断ができない。

 ところで、一般的に言って、読者が評論家に求めるものとはなんだろう。潤沢な読書量によって支えられた、そのジャンルに対する専門的知識の深さや見識の高さ、ではないだろうか。読者が彼らの書いた書評や評論や解説にお金を払うのは、そうした特殊な情報の提供に対する対価としてである(評論家に対する敬意も、そこから生まれるはずだ)。
 にもかかわらず、(素人である)読者と同じように、ある本を読んで単純に「面白かった」「面白くなった」とか言っているようでは(これは表層的な部分での相対的評価)、評論家としての価値はまるでない。昨今の書評が、ネット書評より信用をなくしているのは、そうしたことにも原因があるのだろう(むしろ、ネット書評の方が、個人の価値観に照らし合わせて正直である。新刊の「評判」を探るのであれば、ネット書評だけでも充分となっている)。
 はっきり名前を出すが、探偵小説研究会の若手――大森磁樹、蔓葉信博、諸岡卓真、岩松正洋、中辻理夫、羽住典子などはその傾向が強い。本格ジャンルの発展や存立に不可欠な教養主義を否定し(というより、単純に勉強していないだけ)、過去の技術の蓄積や発展的史観に基づく絶対的評価ができないなど、本格評論を行なうための基本的な資格が欠如しているのは誰の目にもあきらかである。そして、それを放置した、探偵小説研究会全体にも瑕疵はある。
 そうした点を含め、次回は、『x』問題の責任が誰にあるのか、もっと具体的にしていこう。


注1)私が評論家に対して、「己の本格の定義を明かにした上で、何故、『x』が「優れている」と言えるのか、きちんと理由を説明してほしい」と迫った時、評論家の中から、「本格の定義は人それぞれで違う」「定義は一つに収束しない」などの反論が上がった。もっともである。しかし、ならば、何故、それぞれに違う本格感や本格の定義をきちんと表明しないのか。そのことが私には不思議でならない。しかも、繰り返しになるが、この件では、評論家が『x』を「本格として優れている」「現代の本格」などと、「本格」という言葉を用いて、手放しで賞讃したのだ。であるからすれば、その「本格」の意味するところと、「優れている」と判断した基準を、はっきりと読者に提示するべきだろう。
(だが、それができない理由は、先に記したとおり)

注2)昨今の、本格系評論家の「トレンド」は、次のとおり。この「トレンド」は、三年くらい前から拡大しつつあるものだ。次回以降に、詳しく論じる予定である。
 (1)単純に読みやすいものを好む。
 (2)表面的に意外性のあるものを好む。
 (3)「端正な本格」「論理的な本格」「泣ける本格」「現代の本格」など、空疎で、中身のない標語を多用する。
 (4)作品中にある感動の押し売りを批判せずに頭から肯定して、それを読者との共通認識にしたがる。

2006.09.07
[情報館]を更新。

[新刊]
 島田荘司『光る鶴』光文社文庫
 甲影会『別冊シャレード91号 米澤穂信特集』

 キリ番を踏んだ方、3人に、サイン本を発送する。

2006.09.06
[新刊]
 リチャード・ハル『善意の殺人』原書房(ヴィンテージ・ミステリ)
 ジョン・L.ブリーン他『シャーロックホームズ ベイカー街の幽霊』原書房

『完訳 ファーブル昆虫記 第3巻下』を、転送収容する。

「ダ・ヴィンチ」10月号の〈ミステリー ダ・ヴィンチ〉内で、宇山日出臣氏の追悼特集が組まれている。
 私は第1回鮎川賞に『吸血の家』という作品を投じたことから作家になった。普通なら、東京創元社からデビューするわけであったが、紆余曲折があって、気付いたら、宇山さんの手によって、講談社からデビューすることになっていた。そんなことは、まったく予想もしなかったのに。
 宇山さんは、あの頃、間違いなく、この世に奇蹟を起こしていた。本格ファンのために、素晴らしいマジックを見せてくれたのである。私は、彼の手の中でシャッフルされるカードの一枚であったのかもしれない。でも、それで良いと持っている。

2006.09.04
[新刊]
 三津田信三『凶鳥の如き忌むもの』講談社ノベルス

『僕らの愛した手塚治虫 第一部』の残りのゲラが出てきたので、さらに朱入れ作業を続ける。

2006.09.03
[新刊]
 柄刀一『十字架クロスワードの殺人』祥伝社文庫
 
 e-NOVELS編『川に死体のある風景』東京創元社(創元クライムクラブ)を読了。歌野作品と綾辻作品が面白かった。大倉作品は、できれば長編で読みたいと思った山岳ミステリーだった。


【本格評論の終焉(4)】
 探偵小説研究会が発行した同人誌「CRITICA」の中で、笠井潔氏は「〈第三の波〉の終焉」を実質的に宣告した。氏が観測した「〈第三の波〉の終焉」というのは、綾辻行人氏の『十角館の殺人』から始まった新本格ブーム(というより、ムーブメント)の終わりを意味すると考えて間違いなかろう。そして、氏の見解では、その終焉の責任は、(新)本格系作家と本格系評論家の両方にあるとされている。その根拠は、両者が『X』という本格の「〈抜け殻〉を年度の最高傑作として祭りあげた」(「CRITICA」より引用)からであり、どこで祭りあげたかといえば、「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリ大賞」という本格評価のコンテスト会場においてということになる。つまり、本来は、そのコンテスト会場に持ち込むには相応しくないものを持ち込み、相応しくない結論を下した――故に、本格系作家と本格系評論家は、審査員の資格を失い、コンテストをぶちこわした責任を取るしかない――ということのようである。

 これを、たとえ話にしてみよう。
 アフガンハウンドなどの狩猟犬の能力を競っている猟犬のコンテストが実施されている。その会場に、主催者兼審査員の少なからぬ者が、愛玩犬のチワワを持ち込んでくる。主催者兼審査員の一人である私は「犬種が違うから規定違反である」と注意し、主催者兼審査員の一人である笠井氏は、「チワワには狩猟能力や技能もないので参加資格がない」と指摘している。にもかかわらず、そのことがピンと来ない主催者兼審査員の一部が、「最近、チワワは流行の犬でして、よく売れているんです」とか、「可愛くて、家庭で人気があるんですよ」とか、「目がクリクリしていて、純愛を感じるんです」などとずれた主張を繰り返す。現場に居合わせた他の主催者兼審査員の一部も、「まあ、いいじゃないですか。犬は犬なんですから、一応、コンテストに参加させてみましょうよ」などと無責任なことを言ったあげく、参加規定を緩めてしまう。最終的には、「アフガンハウンドは優秀な犬だが、大きくて飼いにくい。小さくて扱いやすいチワワを、今年の一位にしよう」という話になってしまい、多数決でチワワが表彰されてしまう――こうして、狩猟犬コンテストは、主催者兼審査員自ら、その意義を根底から否定してしまった。
 ということなのである。

 念のために書くが、どのような事情であれ、チワワには責任はまるでない。責任があるのは、チワワを場違いな場所に連れ込んできた、そして、そのことが不適切な行為であるということが理解できない主催者兼審査員の一部の人間なのだ。この点を、この文章を読む方はしっかりと頭に刻んでほしい。
(さらに念のために書くが、犬の名称・種類はたとえ話のために挙げたものであって、それをもって『X』を批判したり評価しているものではない)

 笠井氏は、『X』問題の責任は作家と評論家の両者にあると述べている。しかしながら、私はとりあえず、本格系評論家の責任を追求する構えだ。そもそも私は、『X』問題を通じて、一部の本格系評論家たちの評論能力の低下や欠如、無資格ぶりについて言及し、批判を述べてきた。それは未だに有効であると考えるし、「ミステリマガジン」や「CRITICA」に掲載された文章によってもっと明確化してきた。また、これからの検証によってでも、そのことが証明されるであろう。
 もちろん、「本格ミステリ大賞」で出された結果については、私を含む作家にも重い責任がある。誰もそこから逃げることはできない。だからこそ私は、問題の原因がどこにあったのかを詳しく分析し、真実を見極めたいと思っている(その結果、自分を含めた作家への責任追及も行なわれるかもしれない)。

 そのためには、まず、「ジャーロ」23号に掲載された「第6回「本格ミステリ大賞」決定 会員による全選評掲載」を参考にして、投票の傾向について確認してみよう。
【小説部門】の投票総数は59である(注1)。

 カッコ内の「研」とは、探偵小説研究会のことだ。小説と評論の両方の仕事をしている人は、メインとなると思われる仕事の方に入れた。探偵小説研究会員でいえば、笠井、法月、小森氏は小説家に、という具合だ。乾くるみ氏は単なる小説家として数え(投票した名義では、作家個人となっているため)、野崎六助氏は評論家で数えた(注2)。

『ゴーレムの檻』7……小説家5(研1) 評論家2(研2)
『扉は閉ざされたまま』12……小説家8 翻訳家1 評論家3(研3)
『向日葵の咲かない夏』8……小説家7(研2) 評論家1(研1)
『摩天楼の怪人』15……小説家11 漫画家2 評論家2(研1)
『容疑者Xの献身』17……小説家8 評論家9(研6)

 これでは解りにくいかもしれないので、投票を小説家と評論家とその他に分けてみよう。

【小説家の投票】39
『ゴーレムの檻』……5(研1)
『扉は閉ざされたまま』……8
『向日葵の咲かない夏』……7(研2)
『摩天楼の怪人』……11
『容疑者Xの献身』……8

【評論家の投票】17
『ゴーレムの檻』……2(研2)
『扉は閉ざされたまま』……3(研3)
『向日葵の咲かない夏』……1(研1)
『摩天楼の怪人』……2(研1)
『容疑者Xの献身』……9(研6)

【マンガ家、翻訳家等】3
『扉は閉ざされたまま』……1
『摩天楼の怪人』……2

 これを見ると、ある程度の傾向が見えよう。つまり、評論家(及び探偵小説研究会)の投票は東野圭吾氏の『容疑者Xの献身』に集まっていて、次に石持浅海氏の『扉は閉ざされたまま』に投じられている。「本格ミステリ・ベスト10 2006」を見ても、両者は一位、二位であるから、評論家の嗜好は一貫しているとも言える。
 小説家の方は、『摩天楼の怪人』への投票が一番多く、多少の増減はあっても、投票は全体的に分布している感じがある。評論家は、『摩天楼の怪人』にたった2票しか投票していない(探偵小説研究会員は1票)。
 つまり、評論家は『容疑者Xの献身』を高く評価したが、『摩天楼の怪人』を低く評価した、ということになるわけだ。
 こうした点からすると、『X』を一位に押し上げるキャスティング・ボードを握っていたのは評論家であり、中でも探偵小説研究会であったことが解る。私が評論家、特に探偵小説研究会の責任(良い意味でも悪い意味でも)を明確化しようとしているのは、そうしたことにも理由があるのだ。

 以前、小森健太朗氏が「新・現代本格ミステリマップ」というものを作ったことがある。これは、本格系作家の特質や作品傾向を分類して図示したもので、四象限分布になっていた。縦軸の上にトリック、下にプロット、横軸の左にアクロバット、右にパズルという傾向を示し、そこに作品と作家名をマッピングしたものだ。ちなみに、私の作品は三つあって、すべて縦軸の上の方の、やや右側にマッピングされている。プロット派として、縦軸の下方のすぐ左右に置かれているのは、折原一氏や西澤保彦氏の作品である。島田荘司氏や笠井潔氏の作品は右上の角の方、左下の角の方には、綾辻行人氏や山口雅也氏の作品がある。
 この「新・現代本格ミステリマップ」は、笠井潔氏の『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?――探偵小説の再定義』(早川書房)に再録されているので、参考資料として見てもらいたいが、これに今回の投票結果を当てはめると、何となく見えてくるものがある。
 どうやら評論家は。この軸でいうところのプロット派の作品を好む性質があるようなのだ。その結果が『X』への高得点となっているのだろう。
 一方、作家の投票を見ると、トリック派の作家(たとえば、私など)がどちらかというと『摩天楼の怪人』を高く評価し、プロット派の作家が『容疑者Xの献身』を評価しているという傾向もあるかもしれない。

 それにしても、評論家の投票の偏りは非常に気持ちが悪い(と、私は感じる)。そうした偏りを、「作家と評論家の読み方や好みが違うからだ」と言って簡単に切り捨ててしまう人がいるが、本当にそれで良いのだろうか。
「IN・POCKET」での「海外文庫翻訳ミステリー・ベスト」のように、その年度に発売された本の推薦ということしか意図しない企画であれば、それも仕方がないだろう。しかし、「本格として優れた作品を表彰する」という重要な目的があり、「評価」という作業が重責となっている「本格ミステリ大賞」のような企画に関して、こうした顕著な偏重が見られるというのは、何か変ではないだろうか。私はそれに違和感を覚えるし、少なくとも、その原因や理由は探っておくべきだろう。
 だいいち、それほど鑑賞眼や目的意識の違う二つのグループが存在するのであれば、わざわざ一つになって、ある事業を行なう必要はないような気がする。それに、実施していけば、無理や軋みが伴うのも当たり前のことだ。

 とにかく、「本格ミステリ・ベスト10」と「本格ミステリ大賞」を通じて、評論家が『容疑者Xの献身』と『扉は閉ざされたまま』を高く評価していることが確認できた。また、『摩天楼の怪人』を評価していないことも解った。何故、そうなのか、そして、何故、作家と評論家の間にそうした隔たりがあるのか――そうしたことが大きな問題であるわけだが、私はその理由の分析をすでに終えてある。それについては、次回以降に述べる。

注1)「本格ミステリ大賞」の投票者が少ないとけなす人がいるが、そんなことはない。【小説部門】を見ても会員の半数以上が投票しているわけだし、たとえば推協賞が、五人ほどの選考委員、下読みを入れてもせいぜい10人程度の人間の(密室での)投票で決していることを考えたら、とても多い人数であるし、透明性も高い。

注2)ある人物は、本格ミステリ作家クラブには作家(名義)で、探偵小説研究会には評論家(名義)で参加している。よって「本格ミステリ大賞」の投票は作家として行なっていると考え(そのような本人の意志があると考えて)、作家単独として数えてある。

2006.09.02
[新刊]
 芦辺拓『探偵と怪人のいるホテル』実業之日本社
 鳥飼否宇『樹霊』東京創元社(ミステリ・フロンティア)
 井沢元彦・原作/波多野秀行・漫画『そして中国の崩壊が始まる』飛鳥新社

「ミステリマガジン」の誌上討論で、小山正氏が挙げていた、サイモン・ブレット『死のようにロマンティック』(ポケミス1464)を読了。参考資料でなければ、趣味ではないので、50ページに至らずに読むのをやめていたろう。

『僕らの愛した手塚治虫 第一部』のゲラが半分出てくる。図版が入り出したので、たいへん見栄えがよくなった(し、面白くなった)。文章だけではなく、図版のキャプションも確認しなくてはならないから、作業的にはちょっと大変だが。小学館から11月24日に発売予定。

2006.09.01
 松尾由美氏の『ハートブレイク・レストラン』(光文社)を再読。うーん、失敗した。これは『新・本格推理06』の総論において、昨年度のベスト10に挙げるべきだった。それほど良い作品である。
 では、何故、あの時、挙げなかったかというと、「ジャーロ」掲載分は雑誌で読んでいて、単行本が出た時に未読分しか読まなかったからだ。1編1編が、シャーロック・ホームズからめんめんと続く形態の、しっかりした骨子を持つ王道的本格推理短編になっていて(謎と、ひねりと、解決がそれぞれに美しく、さらに相乗効果を上げている)、その上、連作としての楽しみもあったわけだが、連作の楽しみを読み落としてしまったのだ。失敗であった。したがって、今さらながらの大推薦。

2006.08.31-2
 カウンターで、999999、1000000、1000001を踏んだ方は、メールでご連絡ください。何かサイン本をお送りします。
(999999の次は、1000000になるのかな?)

2006.08.31
[新刊]
 甲影会『別冊シャレード88号 天城一特集11』
 市井閑人『Pの喜劇』(同人誌?)

 買いそびれていた、二上洋一先生の『少女まんがの系譜』(ぺんぎん書房)をMクラスの書店で発見して、転送収容する。さっそく読んだ。一般的に少女マンガに関する資料は少ないので(古くなればなるほど)、私のようなこの分野に興味のある者には貴重な本である。惜しいのは、図版がいっさいないこと。少女まんがだけではなく、必要に応じて、マンガの歴史、少年マンガ、マンガ雑誌等にも触れているので、代表的なものだけでもいいから図版がほしかった。

2006.08.30-2
 たいへん残念ですが、掲示板ルールや先のお願いを守っていただけない方がいますので、掲示板は当分の間、閉鎖します。有効に活用してくださっていた方々には申し訳なく思いますが、仕方がありません。
『新・本格推理』のことなど、何か質問のある方はメールでお願いします。
 ミステリーの企画・新刊情報等も、メールでお送りください。できるかぎり、日記の方で紹介したいと考えます。

2006.08.30
【本格評論の終焉(3)】
 さて、本来ならば、以下の報告が最初にされるはずであった。

 本格ファンの皆さんに、とても残念なお知らせをしなくてはならない。
 探偵小説研究会が発行した同人誌「CRITICA」において、笠井潔氏が対談や評論を通じて「〈第三の波〉の終焉」を分析・宣告している。「「第三の波」の帰趨をめぐって」という対談(笠井潔×諸岡卓真×小森健太朗)と、「排除システムの両面性――座談会を終えて」という笠井氏の単独の評論がそれである。昨年の中頃から、笠井氏はすでに〈第三の波〉の終焉が近いことを予想していたが、それが的中してしまったわけだ。
 言うまでもなく、〈第三の波〉というのは、笠井潔氏が規定した用語と概念である。日本の探偵小説(特に本格推理小説、もしくは、本格ミステリー)の歴史における大きな潮流を観測して、解釈体系の一部に組み込んだ形である。その潮流は何と15年以上も続く大きくて、強くて、美しいものであった(注1)。過去の潮流やブームはどれも5年程度しか続かなかったから、それはそれで立派なものだったと言えるだろう(本当に終焉だとしても)。
 その大きな潮流が、哀しいことに、『X』問題によって終焉を迎えたと、笠井氏は再度観測したわけである。その観測と宣告が正しいかどうかは、本格に関係する人々にとって大きくのしかかる問題だし、早急な検証を要する。ただし、笠井氏のこれまでの実績を鑑みれば、それが発言と同時に規定事実となりうることは大いに想像できる。
 もちろん、この件については、近いうちに笠井氏が「ミステリマガジン」や「ミステリーズ!」「ジャーロ」などの雑誌で詳しく語るであろう。よって、詳細はそちらを見ていただくとして、ここでは、そういうショッキングな事実があったという報告をするにとどめる。

 現在の笠井氏は、探偵小説研究会のサイトを見ると、探偵小説研究会の通常会員ではなく、「特別会員」という立場に退いたらしい。噂で聞いたのは、実質的な会員ではなくなったということであった。これが本当はどういう立場なのかは、いずれ探偵小説研究会や笠井氏自身から報告があるだろう。

 このことにも関連して、私は、原書房並びに探偵小説研究会に以下のような質問状を出した。本来なら、このことは探偵小説研究会の返事を待って読者に公開するつもりであったが、すでに指摘した千野帽子=岩松正洋氏の首を傾げるような発言によって、その約束は無効になったと考える。
 なお、私が何故、このような質問状を出したかと言えば、本格系作家並びに本格読者に対して一定の責任があると考えたからだ。私は「本格ミステリ・ベスト10」に関して、本格系作家たちに積極的な投票を呼びかけてきたし、読者に対しては、本格のリファレンスとして購読を大いに推奨してきた。したがって、「本格ミステリ・ベスト10」がこれからどうなるのか、また、それがこれまで同様の信用を担保できるのか、そうした点について明確にし、作家や読者にきちんと報告しなければならない。

 質問状の一部は、以下のようなものだ。
(1)笠井潔氏の探偵小説研究会における立場を明確にしてほしい。
(2)それを作家や読者にきちんと説明してほしい。
(3)笠井氏は今後、「本格ミステリ・ベスト10」にどうかかわるのか、あるいは、かかわらないのか。
(4)「このミス」との差別化はどうするのか。
 この他、投票時の投票者の本格に対する心構えの有り様とか、探偵小説研究会と作家の何人かで一度話し合いの場を設けてはどうかとか、広範囲の質問や提案をしているが、細かいことはここでは省く。

 問題は、笠井氏の探偵小説研究会における今後の立場である。
 本人は「私は探偵小説研究会の一員にすぎない(すぎなかった)」といって否定するであろうが、世間一般には、《笠井潔が率いる探偵小説研究会が実施する「本格ミステリ・ベスト10」》という認識を持っているだろう。つまり、笠井氏の実績や尽力やネームバリューによって、「本格ミステリ・ベスト10」の信頼性や公平性や期待値が確保されていたわけである。笠井潔という中核がいたらばこそ、探偵小説研究会という評論集団が機能していたという側面もある。
 なのに、噂どおり、笠井氏が実質的に抜けてしまったとしたら、その信頼性や公平性や期待値がちゃんと確保できるのか。機能が正常に発揮できるのか。それが何より心配である。
 そして、私個人は、現時点では〈否〉と判断せざるを得ない。
 何故なら、『X』問題で浮き彫りになった評論家の本格に対する批評眼の低下や欠如、無資格ぶりが、未だそのままになっていて、根本的な解決をみていないからである(ただし、探偵小説研究会内部でも、すでに解決に向けて動きだした人はいる)。

 言うまでもなく、「本格ミステリ・ベスト10」は、探偵小説研究会が編集・編纂している。しかし、彼らの力だけで発行されてきたものではない。というより、もともとは、本格系作家が、「このミス」や推協的な価値観では本格作品に対する充分な評価や検討がなしえない、したがって、本格の尺度を持った(年刊形式の)リファレンス・ブックが欲しい――そう考え、訴え、様々な働きかけを出版社に行ない、それを笠井氏が探偵小説研究会を率いて実現したのであった。
 これまでの10年間、探偵小説研究会が「本格ミステリ・ベスト10」を運営するにあたって、大変な労苦を積んできたことは明白である。それに対しては、私も彼らに深い感謝と賞讃を惜しまない。だが、作家たちの後押しや協力がなかったら、それが成立しなかったことも事実である(出版社の理解や読者の要望も、その成立に大きく寄与している)。というより、挙党一致ではないが、本格系作家と本格系評論家が手を組んで、「本格ミステリ・ベスト10」を実現してきたのではなかったか。
 それなのに、いつの間にか、両者の間に評論技術を巡って溝ができてしまった。顕著なのは、本格作品以外への投票の増加、評価基準のと不明瞭、ある作品についての高評価の不当性、相対評価ばかりで絶対評価の不足、歴史的観点の認識不足、「このミス」との類似化……等々である。そのため、だんだんと「本格ミステリ・ベスト10」はリファレンスとして不適切なものになってしまったのだ。
 あげくの果てに、作家側からの改善要求や意見や要望があっても、評論家たちは無視するか反発するかして、まるで聞こうとしなくなった。「オレたちがやってんだから、余計な口を挟むな!」という態度では、まるでかつての「このミス」を思わせる。いったい何故、このような悲しむべき状況になってしまったのか(注2)。

 繰り返すが、「本格ミステリ・ベスト10」が生まれ、運営されるには、多くの作家の協力があった。私の個人の例で言えば、これが生まれる前から、「これこれこういうリファレンス・ブックがほしい」ということを、評論家や出版社(編集者)に訴えてきた。特に、「本格ミステリ・ベスト10」の発行が原書房へ移ってからは、ここの編集さんと共に、企画の発案や投票者の推薦、内容の吟味等を常に続けてきた。つまり、単に投票を行なうという以上の力を貸してきたつもりである(念のために書くが、これは無償であり、同じような協力は、私以外にもたくさんの作家が行なっている)。
 しかしながら、もしも本当に笠井氏が抜けてしまったとしたら、上記のような理由から、私はもう、これにいっさいの協力はできなくなるだろう。また、笠井氏が抜けて(精神的支柱が欠如して)形骸化した「本格ミステリ・ベスト10」が存続することも、ぜんぜん望んでいない。出版社は営利的な不利益がないかぎり、その発行を続けるだろうが、そんな形で続けても意味はなく、ただの惰性にすぎない。
 なお、私の質問に対する答は、一ヵ月以内に、探偵小説研究会からもたらされるはずだ。それを確認してから、私は、「本格ミステリ・ベスト10」に対する最終的な判断を下すことになる。その時には、探偵小説研究会の返答と私の決定とを、他の作家や読者にもきちんと報告するつもりである。

注1)江戸川乱歩は、戦後すぐの探偵小説ブーム(横溝正史や高木彬光の活躍でもたらされたもの)を、「第三の波」と呼んでいる。その伝でいけば、新本格は「第七の波」くらいに当たる。仁木悦子の出現で訪れたブーム、社会派ブーム、トラベル・ミステリー・ブームなどがあったからだ。
 ただし、笠井潔氏は、戦前の小さな波は潮流に数えず、大戦間探偵小説論で定義した探偵小説の本質的魂を継承する大きな波のみを数えて、新本格を〈第三の波〉と規定している。

注2)多くの一般読者は、本格系評論家の評論技術の低下や欠如という問題が『X』問題で表面化したと考えているかもしれない。が、この問題はすでに何年か前から起きていて、それが徐々に拡大化していたのである。そして、『X』問題で最終局面を迎えてしまった、というのが実態である。

2006.08.29-2
 読者の皆さんにお願いです。
 掲示板の方にも書きましたが、【本格評論の終焉】は、まだ報告の途中です。ですので、掲示板の方で、この件について発言することや、質問をすることは御遠慮ください。多くの場合には(疑問などは特に)、この報告を全部読んでいただければ解決するはずです。
 御協力をお願いします。

 なお、以前にも書いた掲示板の使用の心得を再録しておきます。
 これをお読みになり、本格ミステリーの情報交換の場として有益に(和やかに)お使いください。

【掲示板の書き込みに関するお願い】

(1) 相手の意見をよく聞いて(読んで)ください。大意をしっかり理解した上で、本当に必要な場合や事柄のみ、意見を述べるなり、質問をしてください。
(2) 枝葉末節の言葉尻を捉えたり、揚げ足取りをしないでください。ネット紛争ではよくあることですが、やたらに細かいことを言いだして、最後は感情論になり、互いの悪口を言い合う。これは大変悲しいことです。それぞれがエチケットを守って、そういう事態にならないよう、気をつけてください。
(3) 議論が起きた時には、その議論の基盤となる、あるジャンルの歴史や基本理論、体系、概念はしっかりと身に付けて参加してください。たとえば、本格推理小説について議論をしたいのであれば、ポーから新本格推理に至る歴史や、いろいろな人が唱えている本格推理に関する定義などの代表的なものは理解しておくこと。また、1920年代から徐々に整備された本格推理小説のゲーム性や、それに付随する「フェアプレイ」のルールなどについても把握しておく必要があります。

 私は自分で述べたことには責任を持っていますし、有益なものなら、議論をする用意があります。しかし、身元の解らない不特定な人物(ハンドル名しか表明していない人など)とは、実質的には、それを行なうことが不可能です。何故かと言えば、相手の方で(3)の条件を担保できているかどうかが、こちらでは判断ができないからです。たとえば、重要な事柄を議題にして議論している最中に、横から初歩的な質問が割り込み、推理小説の歴史を最初から説明するような事態があったとしたら、これは時間の無駄ですし、議論の流れを中断させます。
 もちろん、初心者相手に丁寧な返答が必要な場合も存在するでしょう。それはそれで、別の最適な場所で行ないたいと思います。


2006.08.29
[新刊]
 新津きよみ『彼女の命日』角川春樹事務所
 島田荘司『UFO大通り』講談社

 島田荘司氏の『溺れる人魚』を読了。正確には、書き下ろし分のみ。他は発表時に既読。一つの銃から撃たれた銃弾2発が、同時に、離れた場所で殺人を犯すという不可能犯罪もの。今回も〈空間の魔術師〉の技量にやられたという感じ。

 横山光輝『完全版 鉄人28号(11)』をMクラスの書店で採取。考えるロボット・ロビーの出現!

 手塚治虫『オールカラー版 ぼくのそんごくう』(ジェネオンエンタテインメント)限定3000部が届く。付録読み切りを除く、連載全ページがカラーで収録されている。指定4色だが、腕の良い(昔の)職人の手にかかると実に綺麗だ。

2006.08.27-3
【本格評論の終焉(2)】
 まったくあきれ果てた。「CRITICA」と「ミステリマガジン」に同時に原稿を発表している千野帽子氏の正体は、探偵小説研究会の岩松正洋氏だというではないか(ある人から教えてもらった)。
 これまで彼は、岩松正洋という名を用い、さんざん、「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリこれがベストだ!」、その他の場所で(探偵小説研究会のメンバーとして)、評論活動を行なってきた。その上、本格ミステリ作家クラブの会員でもある。つまり、彼があの原稿で非難している〈ミステリ読者共同体〉の中で仕事を行なってきたのである。
 にもかかわらず、今回彼は、自分の正体を隠し、偽名を用いて、自分が〈ミステリ読者共同体〉の外部にいる人間かのように装い、私を含む本格系作家や本格を愛する読者に非難を加えている。私自身は『X』問題の発端であるから、何を言われてもいいが、何一つ『X』問題に言及したこともない芦辺拓氏や加賀美雅之氏までそれに巻き込むというのは、どういうことなのか(「CRITICA」では、有栖川有栖、歌野晶午をはじめ、さらに多くの新本格作家を引き合いに出している)。
 また、今回の行為は、これまで探偵小説研究会の岩松正洋を信用して、「本格ミステリ・ベスト10」などを購入してくれた読者を馬鹿にする行為と言えよう。当然、それは、探偵小説研究会にも泥を塗ることだ。
 逆に言えば、あのような評論を書くのなら、自分の立場をきちんと清算した後に、本名で堂々と発表すればいい。〈ぼくら派〉など、とても良い着眼点もあっただけに、非常に残念に思う。
 なお、何故、彼が偽名の背後に隠れ、このような愚劣な行為を行なったのか、その動機の一つは、すでに「本格評論の終焉(1)」で明かしてある。いずれ、この論考が進めば、二番目の動機も自然と明白になるだろう。

2006.08.27-2
 掲示板の方で、タマゴさんより、以下のような質問をもらった。本来なら、掲示板での質問には掲示板で答えるべきであるが、非本格と本格との関係や、本格推理小説を書くことを目指している人のジャンルに対する心構えへの参考、それから、私の本格に対する姿勢を表明することにも繋がるので、こちらで答えることにする。

【質問】
 僕は将来、純文学作家になりたいと考えているのですが、
 文学雑誌を読んでいると、たまに推理小説を意識しているような作品を目にすることがあります。たとえば舞城作品とか……
 ああいう純文+ミステリのような作品に関して、二階堂さんはどうお感じでしょうか? ぜひ推理作家(この表現は適切ではないかもしれませんが…)を戦場として日々闘われている先生の率直な意見(感想でも構いません)を聞きたいと思います。 
 ……ちなみにいま僕が書いている小説には探偵が出てきます……

【回答】
 過去にも、純文学あるいは主流文学(文学全集に入っているような、かつて文壇の中心にあったような小説を、私は主流文学と呼んでいます。現在の純文学は主流ではありません)には、犯罪や探偵、犯罪者を扱った作品がありました。代表的なところでは、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などで、思想的にも日本の読者や作家に多大な影響を与えました。乱歩なども盛んにドストエフスキーを読んだり、論じたりしており、推理作家にもいろいろな影響を与えました。
 では、この『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』は推理小説でしょうか。
 広い意味では(広義の)ミステリー、あるいは、犯罪小説と呼ぶこともできると思います。
 しかし、発端の謎の魅力や秘密の美しさ、そして、終盤での論理的な謎解きの面白さを読者に提供しているかといえば、否と言えます。これらの小説の真の面白さは他の点にあるでしょう。
 一方、私個人は、どのようなジャンルの作品であれ、その作品が本格推理作品であることを自ら主張している場合は、本格として認めます。また、本格の定義や評価基準に照らし合わせて価値のある作品であれば、本格として認めます。なお、「本格としても読める」というのと、「本格である」というのは違っていて、等しくありません。
 さて、舞城王太郎さんの名前が出ましたので、彼の作品に関する見解を述べます。最初の二作を読んだ時に、私は講談社ノベルスの編集長・宇山日出臣氏に言いました。
「舞城さんの作品は、本格としての批評や評価よりも、ヘンリー・ミラー、たとえば、『南回帰線』や『ネクサス』との文体比較、あるいは、意識の流れに関する叙述方法は、『ユリシーズ』などを書いたジェイムス・ジョイスなどと比較検討を行ない、はたして、それらよりも進歩しているのか、退化しているのか、技巧的になっているのか、それとも質が落ちるのか、そういうことが知りたい。そうしたことを知ることによって、舞城さんの作品の真価が解るのではないか」。
 もちろん、時間があれば、高校生の頃に読んだそうした作品を読み返し、自分で研究ができたでしょう。しかし、時間がありません。そこで、宇山さんに問題提起したわけです。それから、正直に述べますと、舞城さんの作品は本格としての結構が弱く、本格基準で評価するとどうしても点数は低くなりました。
 宇山さんは頷きながら、即答しました。
「うん。実は、自分もそういうことを考えていたんだよ」
 それからすぐ、宇山さんは、舞城さんを講談社で出している文学雑誌「群像」(純文学分野)の方へ出向させました。それからの舞城さんの活躍は、皆さんも御存じのとおりです。
 これは自慢をしているわけではなく、私が何も言わなくても、宇山さんは、舞城さんを純文学分野の方に連れて行って、挑戦させていたでしょう。適材適所という言葉がありますが、舞城さんは、そちらで良い読者を見つけて励まされ、独自の作品を発表し続けているわけです。
 純文学に探偵が出てきても、まったく問題はありません。奥泉光さんの作品は、多くが純文学でありながらミステリーでもあります。しかも、彼の本格へのシンパシーを、我々本格作家や本格系評論家が機敏に察知して、早くからこのジャンルへ招待して歓待しました。ですから、奥泉さんは、〈本格ミステリ・マスターズ〉にも参加しているわけです。
 タマゴさんも、ぜひ、奥泉さんのように、純文学であり、しかも、本格としても優れた作品を書いてください。純文学としての感動と、本格としての感動を両立できるような凄い作品を発表されるよう、大いに期待しています。

2006.08.27
 ペリー・ローダン・シリーズの『七銀河同盟』を読了。いよいよ新サイクルに突入である。敵がヒューマノイドだったので、ちょっとがっかり。

 リチャード・マシスン『奇術師の密室』を読了。舞台劇にしたら面白そうだが、小説としてはイマイチ。そんなどんでん返しなら何でも書けるわけで(たとえば、変装の部分)。

 フェア・ウォーニングの『ブラザーズ・キーパー』を聴く。これまでのレベルを保っている。

2006.08.26
[新刊]
 山之内正之『八月の熱い雨』東京創元社
 ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』創元推理文庫
 ポール・アルテ『赤髯王の呪い』早川書房(ポケミス)
 貫井徳郎『空白の叫び(上)』 『同(下)』小学館
 太田忠司『忌品』徳間書店

 フランスの新本格(笑)、ポール・アルテの『赤髯王の呪い』を読了。これは、カーの『グラン・ギニョール』のような、本格的にデビューする前に書いた習作と思ってもらえればいい。その分、熱気があって、初々しさも微笑ましい。もちろん、怪奇的現象と不可能犯罪のてんこもり。その上、まるで――いやいや、これは言わないでおこう(笑)。短めの長編だが、その分、ツイスト博士の短編が3つ入っているのも嬉しい。個人的には、『人狼城の恐怖』で題材にしたアルザス・ロレーヌ問題が取り上げられているのが興味深かった。

【本格評論の終焉(1)】
「ミステリマガジン」10月号に載った千野帽子氏の論考は、本人も書いているが、探偵小説研究会がちょうど今、ウェブサイトやコミケなどを通じて一所懸命売っている同人誌「CRITICA」に載せたもののダイジェスト版だ。いわば、原稿料二重取りの使い回しで、普通の作家(評論家を含む)は出版社や読者に対してそんな失礼なことはしない(無料でどこかに書いたとか、すでに入手不可能な原稿を再録するならまだしも)。という点はさしおいても、内容に関してデタラメな部分が多い。笑ってすまそうと思ったが、やはり看過できない事柄もあるので、少しだけ触れておく。

 たとえば、こういう一節。芦辺拓氏が現状ミステリ界の状況に関する自分の観測を述べたインタビューの抜粋の後に、「若い作家の青臭さが上の世代を危惧させる構図は、一九八〇年代末の新本格バッシングを十数年隔てて反復しています」などというデタラメ。芦辺さんはただ状況分析をしただけにもかかわらず、こんな変な言いがかりをつけているのは何故か(千野帽子氏以外にも、『X』問題を新本格バッシングと同様になぞらえる人間が多いのは、認識不足として問題だ)。
 つまり、千野帽子氏は、私を含む本格系作家が、〈キミとボク派〉もしくは〈ファウスト系〉などの作家にバッシングを行なっていると言いたいらしい。彼はどうやら、本格/非本格、本格/脱格という識別行為をバッシングと認識しているようだが、これが第一のデタラメである。第二のデタラメは、本格/非本格、本格/脱格という識別行為を行なっている(行なってきた)のが作家であるかのように書いている点。だが、実際には、探偵小説研究会を中心とする本格系評論家が、この差別的な行為の実践者であった。そもそも、〈脱格〉という言葉や認識を生み出したのは探偵小説研究会の笠井潔氏であり、その分類や用語や概念を多用してきたのは評論家たちである。ところが、千野帽子氏は都合良くそのことを忘れ、さらに、そうした行為を悪であるかのように決めつけて、本格系作家に罪をなすりつけようとしているようだ。

 もちろん、私は〈キミとボク派〉という用語を生み出した。だが、それは、〈ファウスト系〉とも称される作家群の書くものの特質を抽出したにすぎない(同様に、笠井氏も、別の角度から〈脱格〉という特質を抽出した)。また、私がそれらの作家たちを批判した場合には、それは本格としての適度やレベルや技術の達成について述べたにすぎない。私は一貫して〈キミとボク派〉という言い方をしており、笠井氏の論を引用する必要がある時以外に〈脱格〉などという言葉や概念を使ったことはいっさいない。
 実は、いずれあらためて読者諸氏に報告しようと思っていたのだが、「CRITICA」に収録された対談や評論の全般に、千野帽子氏と同じ論調が見られる(「CRITICA」では、〈脱格排除〉という言葉が使われている)。
「本格/非本格、本格/脱格などという識別行為を通じて、非本格や脱格を排除してきた者たちがいるが、それは本格系作家だ」という論調である。
 これがデタラメ極まりないのは、上に述べたことでもあきらかだ。
 そうしたデタラメが流布するのは非常な迷惑なので、ここではっきりと言っておく。
 本格/非本格、本格/脱格などという識別行為を通じて、非本格や脱格を排除してきたのは、作家ではなく、本格系評論家である。本格系作家は誰一人として〈キミとボク派〉もしくは〈ファウスト系〉を排除したことなどない。私をはじめ他の作家がある種の批判を口にしたとしても、批判即排除などと決めつけるのは短絡的すぎるし、歪曲的行為であろう。

 たとえば、森博嗣氏が出現した時、こぞって彼の作品を称揚し、「本格ミステリ・ベスト10」のアンケートに投票したのは誰だったか。それは、探偵小説研究会を中心とする本格系評論家であった。だが、最近はどうだろう。彼らは森博嗣の〈も〉の字も言わなくなり、アンケートでもまったく彼の作品に投票していない。
 今や、清涼院流水氏を含む〈ファウスト系〉に対しても同じ仕打ちである。最初のうちはやたらに持ち上げておいて、その後はまったく無視である。
 こういう行為こそ、普通一般には〈排除〉というのではないか。
 何故、そういう現状になったかといえば、それは、それらの作家の作品が、本格として適度が足りなかったか、あるいは、それらの作家自体が自分の意志で本格から離脱したからだろう(そういう意味でなら〈脱格〉と呼ぶことは正しかろう)。しかし、そうした事実や原因を率直に認めず、ありもしない排除行為をでっちあげて、それを本格系作家に責任転嫁するなど、言語道断の悪事である。
 繰り返すが、「CRITICA」では、非本格や脱格の排除問題をお家の一大事のように取り上げ、犯人捜しに躍起になっている。その様子はまるで、かつてアメリカで吹き荒れたアカ狩り(マッカーシズム)のようだ 。
 しかし、いくら探しても犯人など見つかるはずがない。少なくとも、外部には見つからない。犯人がいるのは、自分たちのお仲間の中なのだから。いいや、自分たち全員なのだから。

 さて、第一のデタラメの件に戻る。そもそも、『X』問題と新本格バッシングを同一視するような者は、本格と非本格について何の知識もなく、新本格の本質も理解しておらず、新本格バッシングの実態もまったく解っていない。本来なら、口にする資格すらない人間なのである。それが評論家なら、評論などする資格がないと言っても良いだろう。
 かつての本格バッシングは、社会派ミステリー全盛から生まれた、写実主義への固執的精神がもたらしたものだった。つまり、「現実に即して書かれたものしか認めない、出版させない、書かせない」という暴力的行為である。最近の読者は知らないだろうが、かつてはそういう暗黒時代が存在したのだ。つまり、社会派が人気があるから社会派だけ、トラベルものが人気があるからトラベルものだけ、作家はそういうものを書かせられ、読者はそういうものだけを強制的に読ませられたのである。
 そのせいで、本格を書きたい作家が自由に書けず(食えず)、多々、消えていった。たとえば、あの皆川博子先生でさえ、好きなものが書けず、書きたくないトラベル・ミステリーを書かせられたというような証言をしているのは有名な話である。
 一方、新本格ムーブメントとは何かといえば、作家・編集者・読者が、そうした圧力的体制に我慢がならず、反旗を翻したものだと言えよう。以前、私はどこかで、「新本格とは、作家が書きたいものを書き、読者が読みたいものを読み、出版社が出したい本を出す――ものだ」と述べた。
 新本格は、非写実主義の側面もあったから、固執的写実主義の者どもは、現実的でないものはそれこそ排除、潰す必要があると考え――例によって、儒教影響下の日本人的正義論を振りかざして――自由を阻害しようとしたのである。そういう品性の卑しい動機のものだから、当然、新本格作品をちゃんと読んだ上での批判等ではない。存在することを許せないという意気込みで、これを叩きに来たのが新本格バッシングだった。
 したがって、笠井潔氏などから、理路整然とした評論の提出や、堂々たる討論による対決を求められると、固執的写実主義の評論家たちはすっかり黙り込むか、他のジャンルに逃げ込むばかりであった。当然であろう、まともな意見など何もないのだから。
 故に、こうした事実の把握と歴史認識を正しく獲得していれば、『X』問題と新本格バッシングを同一視することなど、最初からあり得るはずもないのである。

 そもそも、笠井潔氏が探偵小説研究会を作ろうと考えたのは、そうしたバッシングを主体にした感情的な評論シーンではなく、作品主体・内容本意・教養主義のきちんとした評論シーンを創り上げたいと思ったからだろう。だからこそ、本格の定義や本格の技術や本格の魂(たとえば、笠井氏の大戦間探偵小説論)を正しく理解・勉強した、真面目な評論家を育てようと、いろいろ手を尽くしてきたのだと思う。
 しかし、残念ながら、『X』問題で噴出した探偵小説研究会を中心とした本格系評論家の実態を見ると、笠井潔氏の望みは(我々本格家系作家や、本格を愛する読者の望みでもあったわけだが)けっして達せられていなかった。その点は、笠井氏が「CRITICA」で詳しく分析して、最終的な告知や宣告を行なっている。この同人誌は一般には手に入れにくいので、いずれ、笠井氏による詳しい論考が「ミステリマガジン」や「ミステリーズ!」などに載るだろう。

 注1)いうまでもなく、探偵小説研究会を中心とした本格系評論家の中にも、ちゃんと本格とは何かを解っている者もいる。よって、近いうちに、本格理解者と非本格理解者の選別は行なわねばならないと考えている。

 注2)新本格は非写実主義であると書いたが、正確には、非固執的写実主義である。つまり、写実主義も社会派も容認している。綾辻行人氏の言葉も含めて、「社会派一辺倒は嫌だ」ということを主張しているに過ぎない。したがって、「新本格は社会派を排除している」などという者もいるが、これもデタラメにすぎない。

 注3)笠井氏は、「CRITICA」において〈第3の波〉の終焉を宣告した。そこには評論家のみならず作家も含まれている。しかし、私は、現段階では本格系評論家の終焉だけしか認めていない。

2006.08.24
 加賀美雅之氏の『風果つる館の殺人』を読了。面白かった。堪能した。莫大な遺産に関する奇妙な遺言。そこから生まれた、犯人の驚くような殺人動機。そして、犯行が形作る〈心理のアリバイ〉の見事さ。物語性と雰囲気と突拍子もない状況で起こる陰惨な連続殺人が実にうまく融合している。というわけで、強くお勧め。

「ミステリマガジン」10月号の見本刷りが届く。誌上討論「現代本格の行方」(私に言わせると、正確には「現在本格評論の行方」とすべき)を読み、大笑い。千野帽子という人が(この人、誰? 一応、探偵小説研究会のメンバーらしいが)私に関する批判めいたことを書いている。どうも、作品内容(評論に関する批判を含む)ではなく、行動批判をしたいらしい。
 私のことを〈ぼくら派〉と名付けてくくったのはちょっとイケテル作業だったが、〈派〉というにしては極端なほどの恣意的な選択と、サンプルの少なさで(私と芦辺拓氏と、加賀美雅之氏しかいないらしい)、ぜんぜん説得力がない(じゃあ、探偵小説研究会を含む本格ミステリ作家クラブのメンバー全員が、「ジャーロ」等で、「ぼくらの幸せな読書経験」を語っている事実をどうするんだろう)。なんというか、すさんだ両親にいいかげんに育てられた子供が、子供時代の良い思い出がまったくなくて、幸せに暮らす人々を妬んでいるというような内容。

2006.08.23
[新刊]
 加賀美雅之『風果つる館の殺人』光文社カッパ・ノベルス
 石持浅海『顔のない敵』光文社カッパ・ノベルス
 柴田よしき『銀の砂』光文社
 平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』光文社
 田中芳樹『霧の訪問者 薬師寺涼子の怪奇事件簿』講談社ノベルス

 本月は急遽、閉店。だって、加賀美雅之氏の『風果つる館の殺人』を読みたいんだもん。作者から簡単な構想を聞いたのが、前作『監獄島』の刊行のすぐ後。過去2作の出来映えと照らし合わせて、この『風果つる館の殺人』が傑作となりうるであろうことは、それだけで予想できた。というわけなので、ワクワクしながら、今すぐ読みだすのである。

2006.08.21
「24 -TWENTY FOUR- シーズン5 DVDコレクターズ・ボックス」をAmazonに予約する。

 ミステリチャンネルでやっている『コナン・ドイルの事件簿』は、雰囲気は良いのだが、ベル博士の推理力がシャーロック・ホームズには及ばないので、解決がもたついている。ドイルの感傷癖も強すぎる。


2006.08.19-2
[情報館]を更新。

 おかげさまで当サイトへの来訪者のカウントも、990000を超えました。そのお礼として、カウンターで1000000を踏んだ方、それから、その前後、999999と1000001を踏んだ方に、何かサイン本を贈ります。その旨、掲示板の方で報告してください。

2006.08.19
 乱歩賞のもう一方の受賞作『三年坂 火の夢』と、霞流一氏の『プラットホームに吠える』を読了。この乱歩賞受賞作は、類型的でないところが良かった。

 探偵小説研究会の機関誌『CRITICA』を通読。これは実に面白いですな。『X』問題や本格評論シーンに少しでも興味がある人はぜひ手に入れて読むべきである。私はこれによって、ある《真実》に気づかされた。実は、笠井さんの冒頭の対談やその後の論考の中でそれとなく(解る人には解るように)その《真実》が明示してあるのだが、評論ムラ社会の中にいるムラ人の笠井さんとしては、具体的にそれを発言するわけにはいかなかったのだろう。私はそのムラ社会の外にいる評論家を評論する立場の人間なので、別に言明しても問題はあるまい。近いうちに、もう一度『X』問題に関する文章を書くことになるから、そこで具体的に解説を行なうつもりだ。

 その他、『CRITICA』では、論創社から『黒岩涙香探偵小説選(1)』が出たタイムリーさからしても、つずみ綾氏の「日本ミステリの祖、黒岩涙香」が興味深く読めた。

『僕らの愛した手塚治虫 第一部』(小学館)は、11月24日発売予定で決定。昨日は、図版レイアウトについて、編集さんとデザイナーさんと三者会談を行なう。

2006.08.17
 さっき、探偵小説研究会から機関誌『CRITICA』が送られてきたので、ざっと見たところ。何だかあちこちに私の名前が出てくる(笑)。巻末に、『二輪馬車の秘密』で知られるファーガス・ヒュームの短編(翻訳)が載っているので、ちょっと嬉しかったり。

2006.08.16
 今年度の乱歩賞作品の一つ、鏑木蓮さんの『東京ダモイ』を読了。乱歩賞に興味をなくして、受賞作を読まなくなって久しいが、鏑木蓮さんは、『新・本格推理05』『新・本格推理06』の応募者(後者で入選)であり、今年度の鮎川賞の最終選考にも残っている。となれば、手に取らずにはおられないではないか。
 で、感想であるが、『東京ダモイ』は往年の乱歩賞作品を彷彿させる立派な作品であった(往年の、というのは、第32回くらいまでをさす)。しっかりした文章、丁寧な描写、落ち着いた物語運びと、作品の結構には文句のつけようがない。シベリアの収容所での凶器なき殺人という不可能犯罪で幕をあけ、俳句に込められた秘密(暗号解読という風味がある)が、シベリア抑留者の苦難という重苦しくなりがちな主題に推理的興味の花を添えている。お勧め。

2006.08.15
『ミステリーズ! vol.18』号にも出ているが、探偵小説研究会がサイトを開設し、評論の同人誌を発行し、評論を募集しているそうである。詳しくはこちらで。

「SFマガジン」で「SF挿絵画家の系譜」を連載している大橋博之氏から案内をもらう。展示作品の複製画販売などもあるらしい。

 『柳柊二妖怪画展』
  2006年8月18日〜20日
  studio-ZONE gallery
  電話03-3318-4277

 私にとっての柳柊二画伯は、バローズの『地底世界ペルシダー』シリーズの装画を描いた人ということになる。

 

2006.08.13
 夏休みのお勧め2作。芦辺拓さんの『千一夜の館の殺人』と、岸田るり子さんの『出口のない部屋』。ことに、後者はサスペンスものの秀作。岸田さんの鮎川賞受賞作はやや平坦な印象のある作品で、私個人としてはもう一つと思ったが、これは物語も語り口もメリハリが効いていて、意外性も充分にある。新人はデビュー作も大事だが、第二作はもっと大事だ。デビュー作の力がまぐれでないことを証明し、これ以降、プロとしてやっていける実力があるかどうかを証明するためだ。岸田さんは、それを見事に成し遂げた。

 物質転送機で、鮎川哲也『白馬館九号室』出版芸術社と、リチャード・マシスン『奇術師の密室』を取り寄せる。

『気分は名探偵 犯人当てアンソロジー』を読了。メンバーがメンバーだけに、恐ろしくレベルが高い。『新・本格推理07』応募者は、参考書としてぜひ読んでほしい。手がかりのばらまき方、伏線の張り方、推理におけるそれらの回収と論理を組み立てる際の扱い方、また、物語の趣向等、勉強になることばかりだろう。
(以下、ややネタバレ気味)
 法月綸太郎さんの作品は、読み始めてすぐに真相を看破できた。というのも、前々から告知している『プロジェクト・R』で使っているネタの一部と同じものが使われていたからだ。まあ、最近では、こういうネタかぶりは日常茶飯事なので、よほど核心的な部分で重複しないかぎり、気にしないことにしている。もちろん、相手に迷惑がかかる場合には、そのネタやトリックはさっさと捨てるわけであるが。

2006.08.12
 何をどう書いていいのか、まるで解らない。講談社の元編集者である宇山日出臣さんが亡くなられたことは、私個人にとっても本格ミステリー界にとっても、大きな損失であることは言うまでもない。未だに信じられないという思いと、だんだん膨れあがる哀しみや巨大な喪失感によって、激しく混乱しているというのが正直なところ。普通の人に対してなら、「心からご冥福をお祈りします」と言えば足りるのだろうけれども、宇山さんに対してはそれだけではまったく足りないのである。もっと話したいことや、もっと一緒にやりたいことがいっぱいあったのに。

2006.08.04
 佐々木倫子/綾辻行人『月館の殺人(上)』『月館の殺人(下)』を読む。綾辻さんらしい緻密な伏線と大小の逆転劇、佐々木倫子さんならではの惚けた笑いが絶妙に絡み合っていて、とても面白かった。《鉄道館》も映像的に見栄えのするもので、マンガという媒体を実にうまく使った作品であった。

「ROM」126号到着。

2006.08.03
[情報館][企画進行中]を更新。

 bk1からメールが来て、「『月館の殺人(上)』は、品切れで送ることができません」とのこと。そんなことならば、最初から注文しなかったのに(というか、下巻だけ送ってくるな(苦笑))。アリバイ・トリックかと思ったら、消失トリックであった。
 仕方がないので、Sクラスの書店を探査して、上巻を採取。

2006.08.01
 メール便が届いたので封をあけると、佐々木倫子/綾辻行人『月館の殺人(下)』であった。(上)も一緒に頼んだのだが。これは、先発列車が後発列車に追い抜かれるという、あの有名なアリバイ・トリックなのかもしない。

2006.08.01
 井沢元彦さんの『逆説の日本史(13)近世展開編 江戸文化と鎖国の謎』を読み始める。これも非常に面白いし、ためになる。毎回感心するが、動機と因果関係がはっきり書いてあって、納得すること(というより、させられること)ばかりだ。

 悪役ランプこと中野晴行氏に、酒井七馬の年譜を見せてもらう。これまでの巷間の噂に相当の間違いがあったのが解った。

2006.07.30
 書店で、A・フィールディング『停まった足音』の販売を確認。

 芦辺拓さんの『千一夜の館の殺人』と、岸田るり子さんの『出口のない部屋』を読んでいるところだが、どちらも非常に面白い。

2006.07.29
 一昨日の打ち合わせで、『僕らが愛した手塚治虫 第一部』に関する作業は、私に関する限りは8割方終わるはずだった。ところが、思いがけぬ障壁が一つ待ち受けていたのである。多数の画像データーを収めたDVD-Rを小学館編集部に持ち込んだのだが、中に入っているファイルのフォルダ名やファイル名が読めないのである。私の所はWindowsXP環境。向こうはMAC環境。それも、雑誌を作るためのあるソフトを動かすために、あえてMAC OS XではなくてOS 9を使っているという。これでは、ファイル名は半角31文字(全角15文字)までしか使えないわけだ。
 私は、文章原稿の章ごとの見出しをフォルダ名にして、図版も一つ一つ、日本語でファイル名を付けた。中身が解りやすいようにとそうしたのだが、それが裏目に出てしまった。
 これだから、舶来のOSは嫌いである。

2006.07.28
 昨日のこと。午前11時、新宿到着。京王デパートの古書展を覗く。シュティフターとケラーの作品集が揃いで売っていたので買おうかと思ったが、持って帰るのが重たいのでやめる。他にも2、3冊の本を手に取るが、レジの前の行列を見てやめる。こういうところが、年を取った証拠。

 それから、渋谷のまんだらけへ行き、少女マンガの新書判などを買う。上原きみこ『カプリの真珠』揃いなど。

 神保町へ行き、小学館で『僕らが愛した手塚治虫 第一部』に関する打ち合わせ。今日はデザイナーさんと初顔合わせ。図版見本や文字稿を見ながら、いろいろと検討する。11月刊行予定。

 中野書店で、水野英子先生が自費出版した『月光石〜ジュエリーファンタジー1』と、潮出版社『鉄人28号(10)』を購入。どちらも新刊。

 @ワンダーで、古書展目録入札当選本を購入。で、帰宅。

 行き帰りに、電車の中で、笠井さんの『探偵小説と記号的人物』を読む。これまでの『ミネルヴァ』では、本格推理の中心部からの諸問題の検証であったが、今回は、外縁部からの論考。私は、サブカルチャーなどに関してまったく無知で、しかも、まったく興味がないので、100パーセント勉強になることばかり。ただ、そういう事情なので、書いてあることの素材の半分はよく解らないし、言及される(サブカルチャー系評論家?)の名前や素性もよく解らないという有様。

2006.07.27
[新刊]
 北川歩実『運命の鎖』東京創元社

 有栖川有栖さんの『乱鴉の島』を読んだばかりなので、カラスつながりで、エンパイアの『ザ・レイヴン・ライド』を聞いたら、これが思いもかけぬ拾いもので、哀愁感漂うメロディアス・ハード・ロックの佳作であった(というより、王道的ブリティッシュ・ハードロック)。
 レイヴンは渡りガラスのことだろう。セブン・オブ・ナインの両親がボーグ調査のために乗っていた宇宙船の名前がレイヴン号だったから。

2006.07.26
[新刊]
 笠井潔『探偵小説と記号的人物(キャラ/キャラクター) ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』東京創元社
 井沢元彦『逆説の日本史(13)近世展開編 江戸文化と鎖国の謎』小学館

 フェアウォーニングの新譜を採取しようと冥王星まで行ったら、CDのみの通常版が売り切れ、あるのはDVDとセットになったもののみ(いらん)。隣を見たら、何と、テンの新譜『ザ・トワイライト・クロニクルス』が出ているではないか! 出るとは知らなかったから、嬉しい喜びであった。
 例によって曲は満足いくものだったけれど、ジャケットは骸骨顔がアップになっており、メタル風で非常にダサイ。

 二階堂蘭子シリーズのマンガが、台湾版になった。見本刷りが届く。


2006.07.23
[新刊]
 山田正紀『カオスコープ』東京創元社
 新津きよみ『愛されてもひとり』祥伝社文庫
 芦辺拓『千一夜の館の殺人』光文社カッパ・ノベルス
 霞流一『プラットホームに吠える』光文社カッパ・ノベルス
 若竹七海『猫島ハウスの騒動』光文社カッパ・ノベルス

 立川のMクラスの書店を探査して、辻なおき『0戦仮面』と堀江卓『少年ハリケーン(上・下)』(マンガショップ)を採取する。ハヤカワ文庫から出ているはずの、クロフツの『クロイドン発12時30分』は見つからなかった。

 有栖川有栖さんの『乱鴉の島』を読了。題名から受ける印象とはずいぶん遠い所にある内容。けれども、過去の作品を思えば、いかにも有栖川さんらしい話。書評家の愛用する標語を使って表現するならば、「端正な本格」「スマートな推理」「現代の本格」というもの。

2006.07.21
[情報館]を更新。

 新宿京王デパートで、27日より第56回大古書市が催される。ある本(セット)に目録注文しておいたら当選通知が来た。講談社から昭和27年に出た本である。非常に嬉しい。

「少年マガジン」の1975年と1976年がセットで売っていたのでつい買ってしまう(置き場所に困るのに)。手塚治虫の『三つ目がとおる』が載っているからだ。高校生の時に毎号買って読んでいたが、もう30年も前の雑誌なんだね。ページをめくると、あちこち鮮明に覚えている。

2006.07.20
[情報館]を更新。

[新刊]
 樋口有介『彼女はたぶん魔法を使う』創元推理文庫

 今年は、ディクスン・カーの生誕100年記念。で、東京創元社から秋に、J・D・カー生誕百周年記念オリジナル・アンソロジー(つまり、全部書き下ろし)が出る。ラインナップは、私の他、トリック派の本格推理作家がずらり(まだ、名前は秘密にしておこう。でも、解るよね?)。たいへん、豪華な内容になるので、御期待のほどを。
 私の作品は、「魔女発見人の短剣(仮)」を改め、「亡霊館の殺人」とした。鮎川哲也編『本格推理01』に入っている「赤死荘の殺人」と題名をそろえるため。

『僕らの愛した手塚治虫』に収録する図版も、ようやく揃った。あと少しで完成。

 城青児=武部本一郎という大発見の立役者である大橋博之氏が、「本の雑誌」8月号で、その件について記事を書いている。興味のある方は見てほしい。


2006.07.17
[情報館]を更新。

 おとといの午後、東京多摩地区をすさまじい雷雨が襲った。雷雨と暴風とヒョウの入り交じった荒天が一時間くらい続いたのだ。立川では停電もあったらしい。うちのあたりは、何度か電気が消えかかっただけだったが、それでも被害はあった。オーディオ・アンプがいかれてしまったのだ。そういえば、何年か前にも雷でアンプを壊している。その時に買い換えて、ついでにテーブルタップを雷ガード・タイプにしたのにぜんぜん役に立たなかった。雷が強すぎたのか、このテーブルタップがインチキだったのか。他にも、ガス給湯器のスイッチが使えなくなり、DVD−HDDレコーダーも二台、電源が落ちた(こちらはしばらくコンセントを抜いておいたら、復旧した)。

 論創社から、A・フィールディング『停まった足音』の見本刷りが届く。25日頃の発売。前にも書いたとおり、私が解説を書いている。この古典的名作がとうとう読めるなんて! と、喜んでいる人も多いだろう。
 同時発売は、ジュリアン・シモンズの『自分を殺した男』。


2006.07.14
 メフィスト賞作家・関田涙氏の新作『時計仕掛けのイヴ』が、小学館eBOOKSで登場。前半は無料で読めるので、ぜひご鑑賞のほどを!

 昨日は喜国さんと、昔のマンガについて談笑をする。というか、(みんなが貧乏で、マンガ本なんか簡単に買えなかった子供の頃を)懐かしんだわけだ。

2006.07.13
[新刊]
 山田正紀『風水火那子の冒険』光文社文庫
 北森鴻『支那そば館の謎』光文社文庫
 アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』光文社文庫

 最近、ネットで買い物をしようとすると、いちいち、会員登録をしろ、と言ってくる。その度に、新たなパスワードやIDを考える必要があるわけで、それが面倒で嫌だ。あと、住所の打ち込み欄はどうして都道府県や生年月日の年度などが選択方式になっているのか。一覧の中から探し出すより、東京都とか書き込んだ方が早いじゃないか。

 学生さんは、もう夏休みでしょうか。夏休みを利用して、ぜひ『新・本格推理07』への応募作を書いてください。

2006.07.12
 物質転送機にて、『ヘルマン・ヘッセ全集(7)』を取り寄せる。今回は『春の嵐』こと『ゲルトルート』が長編では収録されている。

『サインはV』のブラックスター編は単行本未収録。講談社「少女フレンド」から。こんな図版も撮り込み中。

2006.07.11
 物質転送機にて、『完訳 ファーブル昆虫記 第3巻(上)』を取り寄せる。

 あいかわらず、『僕らの愛した手塚治虫 第一部』の図版を取りそろえる日々。悪役ランプさんこと中野晴行氏から、酒井七馬の図版を提供してもらう。深謝。

 ごめんなさい。カーの『三つの棺』の誤訳修正箇所を、先日の日記で17ページと書いてしまった。正しくは、18ページと337ページである。

2006.07.08
[新刊]
 小森健太朗『グルジェフの残影』文春文庫(本格ミステリマスターズ)
 北村薫『ひとがた流し』朝日新聞社
 篠田真由美『聖女の塔』講談社ノベルス

 昨日は、『僕らの愛した手塚治虫(1)』関して、小学館と打ち合わせ。やはりマンガ関係の評伝なので、苦労が多くても図版を多くしたい。

 掲示板で、カーの『三つの棺』の誤訳部分が修正されているという情報が寄せられる。さっそく、高田馬場の本屋で『三つの棺』を購入してみる。17刷だ。おそるおそるページをめくってみると、おおっ、ちゃんと直っているではないか。ああ、嬉しい。

 祝い! カーの『三つの棺』の誤訳部分が修正されたぞ!

 これまでの版では、本格推理の歴史的名典なのに、肝心な部分に誤訳があって、充分な翻訳とはいえなかった。それについては、昔から何度も早川書房に修正を頼んでいたのだが、やっとまともなものになったわけである。
 ということで、これから『三つの棺』を読もうという人は、17刷以降を手に入れてほしい。

 注)修正部分は、18ページと337ページにある。

2006.07.02
 久しぶりに、小作・青梅・羽村・福生の古本屋巡りをしたら、小作駅近くにあったセピアという店がなくなっていた。ここは、プレミアム漫画古本を扱っていて、けっこう穴場だっただけに、非常に残念。そのあげく、収穫もまるでなし。

 小学館クリエイティブが、また嬉しい復刻をしてくれた。高橋真琴の『パリ〜東京 さくら並木』である。物質転送機でお取り寄せ。

『僕らの愛した手塚治虫(1)』の話。図版の多い本というのを、すごく侮っていた。一日中、書影のスキャンや写真撮影、図版の配置換えなどを行なう。悪役ランプさんの苦労が少しだけ解った気がする。

2006.06.30
[新刊]
 島田荘司『溺れる人魚』原書房

 文春編集者と『猪苗代マジック』の文庫化について打ち合わせ。11月に文春文庫のミステリー・フェアがあるので、それに合わせて発売となる予定。
 本格ミステリ・マスターズも、台湾から引き合いがあるという。すでに、芦辺拓さんの『紅楼夢の殺人』は、中国語への翻訳が決定とのこと。

 地底探険で、潮出版社『鉄人28号(9)』を発見。転送収容する。

2006.06.28
『僕らの愛した手塚治虫(1)』の単行本化に向け、原稿をまとめ、連日、手塚マンガをスキャナーで取り込んでいる。エプソンの複合機を使っているのだが、スキャナー・ドライバーのできがイマイチ。連続してスキャンしていると、どんどんスキャン動作に至るまでの待機時間が長くなる。内部メモリのクリアか何かに手間取っている感じだ。

 Sクラスの書店で、『山荘の死 鮎川哲也コレクション 挑戦篇1』を発見。速攻で採取。


2006.06.26
 大山誠一郎氏の『仮面幻双曲』を読了。トリックや謎作り、ちりばめられた手がかりから推理を組み立てていく部分の手筋の良さは折り紙付き。特に、双子に関する第一のトリックは見事。すっかり騙されました(アリバイの方は解ったけどね)。ここまで立派なので、さらなる高みを目指して、もう少し時代感があればと希望しておこう。お勧め。

2006.06.25
[新刊]
 光原百合『銀の犬』角川春樹事務所

 掲示板へのスパム攻撃が激しいので、リンク設定を見直しました。新しい掲示板を使ってください。

 TNG号はやはり電源に問題があったとのことで、第245宇宙基地の修理ドックで、マイクロブラックホール・エンジンを換装。

2006.06.24
 推協の会報6月号が来たので読んでいたら、オッ!と驚き、目を惹くことがあった。乱歩賞受賞者に既知の名前が載っていたのである。今年は受賞者が二人出たとのことだが、その内の一人、鏑木蓮氏は、私が編者を務める『新・本格推理06』の入選者でもある。『05』でも最終候補に残っていたのだけれど、その時は惜しくも落選。今年は、「マコトノ草ノ種マケリ」というなかなか優れた作品で見事に採用となった。第16回の鮎川賞でも最終候補に残ったようなので、順調に才能を伸ばし、努力してきた、ということなのだろう。
 鏑木蓮さん、乱歩賞受賞、おめでとうございます。
 今年は久々に、乱歩賞受賞作を(出たら)読んでみよう。

2006.06.23
[新刊]
 大山誠一郎『仮面幻双曲』小学館(小学館ミステリー21)
「コミック ファウスト」講談社
 青池保子『オールマンものがたり』ブッキング(青池保子コレクション)

 大山誠一郎氏の待望の新刊『仮面幻双曲』は、先に小学館のサイトでもネット販売されていたもの。しかし、単行本化にあたってさらに手が加えてあるという。読むのが楽しみな本だ。

2006.06.22
[情報館]を更新。

[新刊]
 有栖川有栖『乱鴉の島』新潮社
 大倉崇裕『福家警部補の挨拶』東京創元社
 エドモンド・ハミルトン『キャプテン・フューチャー全集10』創元SF文庫

 デスクトップマシン「TNG」号が調子が悪いので、八王子のパソコンショップへ修理に出す。時々、電源ランプがチカチカして、そうなると、マシンが起動できないのである。マザーボードか、電源のコンデンサーでもおかしいのだろう。

2006.06.21
 平井隆太郎『うつし世の乱歩 父・江戸川乱歩の憶い出』が、宇宙輸送船で到着。

「山川惣治コレクション」に、『サンナイン』の書影を追加。こちらから。

 後藤均氏の『グーテンベルクの黄昏』を読了。鮎川哲也賞受賞後第一作。どちらかというと冒険小説系。

2006.06.19
 当サイトの[別館]の「博物館」コーナーにあった「山川惣治コレクション」を独立したコーナーにした。とりあえず、『少年ケニヤ』や『少年エース』の単行本書影を追加。こちらをぜひ御覧あれ。

 某書店から秋に出る某記念アンソロジー向け中編作品『魔女発見人の短剣(仮)』を書き上げ、亜空間通信で送付。締め切りまで1ヵ月以上あるんだけど、それほど入れ込んで書いたという証拠。御期待ください。

2006.06.17
 論創海外ミステリの今月の見本刷りが届く。ヘレン・マクロイの第一作『死の舞踏』と、ピーター・ディキンソンのピプル警視もの『封印の島』。前者の解説は千街晶之氏、後者は麻耶雄嵩氏。
 で、いよいよ、来月は、私が解説を書いたA・フィールディングの『停まった足跡』も出る。

2006.06.16
[新刊]
 北森鴻『ぶぶ漬け伝説の謎』光文社
 柳広司『シートン探偵動物記』光文社

 Sクラスの書店にて、西岸良平『鎌倉ものがたり(23)』と『のだめカンタービレ(15)』を採取。すると、実業之日本社「Ski 2007Vol.1」が出ているのを発見。もちろん、速攻で転送収容した。これが出ると、私のスキーの今シーズンが始まるのである。

2006.06.15
[新刊]
 柴田よしき『猫は引っ越しで顔あらう』光文社文庫
 高木彬光『破戒裁判』光文社文庫

 オンデマンド・マンガを刊行しているコミックパークから、少女マンガ入手困難本のひとつ、『さすらいの太陽』全4巻が出た。若木書房版の復刻だ。さっそく取り寄せたのは言うまでもない。

 台湾版『人狼城の恐怖 第1部ドイツ編』の見本刷りが届いた。題名は『恐怖的人狼城』。想定外の大きな本だったのでびっくり。前にも書いたが、今、台湾では、日本の推理小説――特に、新本格推理――が大人気だと言う。綾辻さんや有栖川さんの本を筆頭に、どんどん翻訳が進んでいる。私の二階堂蘭子シリーズも、すべて翻訳されることに決まっている。
 
 カウンターで1000000番を踏んだ方に、この台湾版『恐怖的人狼城』をプレゼントしたい。その旨、掲示板に書き込んでください。


2006.06.14
[新刊]
「ジャーロ 2006年夏号」光文社

 ゴットハード(GOTTHARD)のライブDVD「Made In Switzerland」初回限定版を四次元空間で採取して、大音響にて見る。格好いい! 痺れる!
 しかし、2層式DVDのため、FIREDANCEの終わりの方で一瞬映像が止まる。これは編集で何とかしてほしかったぞ(曲と曲の間に切り替えを持ってくるとか)。

「ジャーロ 2006年夏号」には、本格ミステリ大賞の投票選評が載っている。よーく読もうね。

2006.06.13-2
 一ヵ月ほど前から、ニフティのメールアドレスと掲示板へのスパム攻撃が激しい。掲示板でTUC1さんに教えてもらったインターネットホットラインセンター(http://www.internethotline.jp/)がここ。6月1日から違法・有害情報の通報受付窓口として運用されているそうだ。
 スパム退治のため、みんなもどんどん通報しよう。

2006.06.13
 土曜日は松本で法事。日曜日は長野で法事。途中、諏訪と信州中野のブックオフに寄るが、収穫はなし。
 夕方5時過ぎ、燕温泉へ行って黄金の湯へ入るも、河原の湯の方は、土砂崩れで入ることができなかった。橋も落ちていて、昨年から入れない状態とのこと。ここの白濁硫黄温泉は気持ちがいいし、その上、無料と、言うことなしなのに。
 月曜は、志賀から草津へ抜け、東京へ。横手山までは一昨年、スキーで来ている。途中、白根山の湯釜が見られたのが嬉しかった。翡翠色で、本当に美しい。ここには高坂村から万座経由で過去3度来たが、いつもガスっていて、見られなかったのである。四度目の正直だ。草津では西の河原露天風呂へ入ってから、東京へ戻る。


2006.06.10
『ミステリーズ! Vol.17』東京創元社

 重たいので、『武部本一郎SF挿絵原画蒐集 上 1965〜1973』『武部本一郎SF挿絵原画蒐集 上 1974〜1979』 を物質転送機でお取り寄せ。

 H氏の労作『ジョン・ディクスン・カー ラジオ・ドラマ作品集』が届く。音源CDの他に、ドラマを翻訳した本まで付いているのが非常に嬉しい。詳しくは、『不思議亭文庫』にて。

『ミステリーズ! Vol.17』には、「創元推理文庫 海外ミステリ・チェックリスト」が付いていた。さすがに整理番号は載せていないが(苦笑)、これで、フレドリック・ブラウンは何が出ていたか、とかいうようなことがようやく確認できる。

2006.06.09
[新刊]
 e-NOVELS編『川に死体のある風景』東京創元社
 綾辻行人『時計館の殺人』双葉文庫(日本推理作家協会賞全集)
 宮部みゆき『龍は眠る』双葉文庫(日本推理作家協会賞全集)
 野崎六助『北米探偵小説論』双葉文庫(日本推理作家協会賞全集)

 藤木稟氏の『暗闇神事猿神の舞』を読む。おどろおどろした雰囲気が実に良い。

 野崎六助氏の双葉文庫版『北米探偵小説論』は、やけに薄いなと思ったら、縮小版だった。残念。これでは、受賞作を(文庫版)全集に入れるということの意味がないのじゃなかろうか。だって、受賞対象となったのは、この縮小版ではあるまい。

2006.06.06
[情報館]を更新。

 昨日は、東京會舘で手塚治虫文化賞の授賞式。受賞者が吾妻ひでおさん他四人もいるので、関係者も多く、たいへんな人出だった。個人的には、『のだめカンタレナントカカントカ』っていう音楽マンガが好きなので、それが受賞してほしかったな。ああ、失礼。『のだめカンタービレ』か。あれの女主人公は面白いよね。
 下の写真は、特別賞の小野耕世さん他。
 会場の一部では、城青児=武部本一郎のことで盛り上がる。
 水野英子先生ともちょっとだけ話ができた。7月15日から23日にかけて、神保町のインドセンターホールで、「水野英子の世界展」を開くそうである。

 途中で本屋を散策し、『気分は名探偵 犯人当てアンソロジー』を採取。我孫子武丸、有栖川有栖、霧舎巧、貫井徳郎、法月綸太郎、麻耶雄嵩という豪華な執筆陣。


2006.06.05
 3日土曜日は、青山ブックセンター本店へ行く。『武部本一郎SF挿絵原画蒐集』刊行記念 トークショー 加藤直之が語る「SFアートの父・武部本一郎」を見るため。会場に大森望さんの他、彩古さんや石井女王までいてびっくり。年齢層のやや高い、SFファンの多い、濃い観客であった(笑)。武部本一郎のラフが見つかったということで、それも見られたのが収穫。

 行き帰りに『リングワールドの子供たち』を読むが、どうということなし。


2006.06.01
 太陽系定期パトロールにて、ラリイ・ニーブン『リングワールドの子供たち』と、ヴァン・ヴォクト『宇宙嵐のかなた』を採取。
 さらに、オールト雲まで遠征して、レインボー『ライブ・イン・ジャーマニー1976~ツアー30周年記念ボックス』を拿捕することになる。いやいや、ロニーが張り切って歌っているぞ。

2006.05.31
 買い忘れていたDVDボックス『宇宙家族ロビンソン 第3シーズン』を、物質転送機でお取り寄せ。第3シーズンはテレビ未放映だったから、私も初めて見ることになる。毎日1話ずつ見るつもりである。楽しみだ。
 ボックスの帯を見たら、秋に、『タイムトンネル』と『原子力潜水艦シービュー号』が出るというではないか。私はアーウィン・アレンのファンだから、こっちも買うぞ!

2006.05.30
[情報館]を更新。

 ミステリー映画についてのアンケート回答をしておいた、キネマ旬報の増刊号『「ダ・ヴィンチ・コード」を徹底解明!』が届く。映画の『ダ・ヴィンチ・コード』だが、トム・ハンクスは完全なミス・キャストだろう。『ターミナル』じゃないんだから。小説の方は、前半は面白いが、後半は単なるスリラー。

 買い忘れていた『ヘルマン・ヘッセ全集(11)』を、物質転送機でお取り寄せ。

2006.05.29
『帝都衛星軌道』を読了。都市論を含み、トリックの面では空間の魔術師たる島田荘司ならではの作品と感心。

 霞流一さんが、ウェブサイト「霞流一探偵小説事務所」を開設しました。トップページがとっても格好良いのである。

2006.05.27
 Sクラスの書店を探査して、モーリス・ルブラン『奇岩城』早川文庫と、横山光輝『鉄人28号(8)』を採取。『28号』は、敵ロボットのバッカスが出てきて、俄然、面白くなってきた。

 ラリイ・ニーブンの『リングワールド』の新作が出たらしい。が、どうしよう。前作の『〜の玉座』の内容をすっかり忘れている。

2006.05.26
[新刊]
 山田正紀『翼とざして アリスの国の不思議』光文社カッパ・ノベルス
 東野圭吾『夢はトリノをかけめぐる』光文社
 小森健太朗『魔夢十夜』原書房(ミステリー・リーグ)
 乙一『銃とチョコレート』講談社

 小森健太朗氏の新刊が出た。僕と芦辺拓さんが帯に推薦文を寄せているのは、非常に折り目正しい本格作品だから(最良のニコラス・ブレイクとでもいうか)。でも、セカイ系ミステリーの元祖である小森氏の書いたものなので、そっち方面でもずば抜けたモチーフが展開する。強力にお勧め。

「ミステリマガジン」7月号では、ヘイク・タルボットの『絞首人の手伝い』の連載が始まった。訳者が森英俊さんで良かった。

 某所で夏頃に発表する中編「魔女発見人の短剣(仮)」を書き始める。本当の題名は別にあるのだが、現時点では秘密。足跡のない殺人+完全密室殺人事件という不可能犯罪もの。

2006.05.24
[新刊]
 鮎川哲也『りら荘事件』創元推理文庫
 島田荘司『帝都衛星軌道』講談社

 ここの掲示板でもお馴染みの加賀美雅之氏が、『監獄島』に続くベルトラン・シリーズ第3弾『風果つる館の殺人』の第一稿を完成したとの嬉しいニュースが飛び込んできた。今回も1200枚をこえる大作で、不可能犯罪のオンパレード。北アイルランドの大邸宅を舞台に、名探偵ベルトランが、莫大な遺産相続に絡む連続殺人事件に挑む、という凄い物語。しかも、次々に起こる凄惨な殺人が、すべて人間業とは思えない、究極的に不思議なものであるらしい。
 刊行は9月の予定だということだが、今年、最大の話題作になることは言うまでもない。

「エイリアス」が第3シーズンへ。最初に見た時、あまりのC級さに13回程度しかもつまいと思ったら、完全に予想がはずれた。嘘臭い展開もここまで来ると職人技だな。

2006.05.23
[情報館]を更新。

 秋田書店「サスペリアミステリー」7月号を見てびっくり。鮎川哲也先生の名作短編「下り”はつかり”」がマンガ化されて載っているではないか。しかも、次回9月号には、あの横溝正史ブームを作り出した『八墓村』以来40年ぶりに、影丸穣也先生が金田一ものの短編を描くという。どちらも見逃せないね。

2006.05.20
[情報館]を更新。

 小学館の「本の窓」で連載している『僕らの愛した手塚治虫』だが、やっと1970年まで来た。今回は永井豪のハレンチ・マンガ・ブームが起きたことなどを書いている。
 この「本の窓」には、佐野洋先生も『ミステリーとの半世紀』を連載中。昔の日本推理作家協会のことや乱歩をはじめとするたくさんの作家のことを書いているので、ミステリー・ファンはぜひ手に取ることをお勧めする。広告誌というと、内容がかたくてつまらないものが多いが、この「本の窓」は特集も含めてずいぶんと面白いのである。

2006.05.19
[新刊]
 野間美由紀『パズルゲーム☆はいすくーる(13)』白泉社文庫
 野間美由紀『目撃者』宙出版

 ミステリー映画のアンケートに答える。

 本日のお取り寄せは、河あきら『WONDER!(5)』双葉社、辻まさき『0戦太郎(4)〜(6)』マンガショップ。

 論創海外ミステリの新刊見本刷りを頂戴する。今月はH・C・ベイリー『フォーチュン氏を呼べ』(解説:戸川安宣)と、ジョン・エヴァンス『悪魔の栄光』(解説:法月綸太郎)。25日頃の発売。

 スーパー・チャンネルで、「スタートレック/エンタープライズ」の第4シーズン(最終シーズン)が始まった。とりあえず、時間冷戦に終止符をうつところから。このシリーズ、内容は悪くないんだけど、TNGとかに比べて遊び心がないんだよなあ。だから、アメリカでも不人気だったんだろう。

2006.05.17
 とっても楽しめたので、A・フィールディング『停まった足音』の解説をいっきに書き(13枚)、亜空間通信にて送付。論創社からの刊行は7月予定。

2006.05.16
 細かい仕事を片付けながら、年内のスケジュールをあれこれ調整。

 フュージョン・グループHIROSHIMAの「OBON」を、Amazonでアメリカからお取り寄せ。1年も前に出ていたのね。気づかなかったなあ。相変わらず、癒される音楽で、気持ちがいい。

 今、掲示板で話題になっている、城青児=武部本一郎が本当だとしたら、マンガ界、SF界にとって大変なニュースだ。であれば、城青児=手塚治虫説は完全に崩れたことになる。

2006.05.14
[新刊]
 折原一『模倣密室』光文社文庫
 柄刀一『OZの迷宮』光文社文庫

 昨日は都内某所で、本格ミステリ大賞の公開開票式。行きの電車の中で、『本格ミステリ06』を読了。一番面白かったのが、小森健太朗氏の評論「『攻殻機動隊』とエラリイ・クイーン」。これが何で、今年の評論賞の候補にならなかったんだ?と思いながら、会場入り。

 結果は、以下のとおり。細かい投票数は、本格ミステリ作家クラブのウェブサイトに速報が出ているので御覧あれ。

【小説部門】
『容疑者Xの献身』東野圭吾(文藝春秋)
【評論・研究部門】
『ニッポン硬貨の謎』北村薫(東京創元社)


 とにかく、小説部門も評論部門も、大変な競り合いでスリルたっぷり。会場にいた人々全員が固唾を飲んで、一票一票入るのを見守っていたのであった。何度も同数で3作品くらいが並ぶのだから、こちらの心臓に悪い。
 記者会見では、事務局長の綾辻行人氏が司会と質問者を兼ねる。

 打ち上げ二次会では、東野さんと同席になったので、今年のスノボー生活についていろいろと話を聞く。イタリアに行ったり、通算35日も滑られたとのことで、羨ましいかぎりであった。

 会場風景および記者会見の模様は、以下の写真で。


2006.05.10
[新刊]
 江下雅之『マンガ古雑誌マニア』長崎出版
 東川篤哉『殺意は必ず三度ある』実業之日本社

 論創社より、7月刊行予定の本の初稿ゲラが届く。そう、A・フィールディングの『停まった足音』なのだ!
 この本くらい、幻の傑作という宣伝文句が似合うものはない。何しろ、戦前の、昭和10年頃に刊行された柳香書院〈世界探偵名作全集〉の予告に出ていたのに刊行されず、それ以降も、何度ともなく(創元社、早川でも)予告が出たのに、結局、訳出されることがなかった曰く付きの本だからだ。ヴァン・ダインが推奨したイギリスの九傑作に選ばれたことで(それを乱歩が取り上げて)有名になった作品でもある。
 ゲラをじっくり読んで(楽しんで)から、解説を書こう。

2006.05.09
[新刊]
 本格ミステリ作家クラブ編『本格ミステリ06』講談社ノベルス

 渋谷や神保町の古本屋を探索した後、有楽町へ行き、東京国際フォーラムでTOTOのコンサートを見る。

2006.05.07
 業務連絡。〈本格ミステリ作家クラブ〉会員各位。
 第6回「本格ミステリ大賞」投票〆切は、明日5月8日(月)です(当日消印有効)。
 締め切り厳守で、ぜひとも投票してください。

 立方体を簡単に、自由に(角度を変えたり、大きさを変えたり)描けるソフトを探しているのだが、見つからない。数学用の(外国の)高価なソフトでないとないのだろうか。

2006.05.03
 さっそく熱暴走が起きたらしく、しばらくマシンが立ち上がらないという出来事があった。
 BIOSを初期値に戻し、今はSpeedFanでCPUファンを制御して、さらに様子を見ている。

 Sクラスの書店を探査。北森鴻『暁の密使』、泡坂妻夫『春のとなり』、紀田順一郎『戦後創成期ミステリ日記』を採集。

2006.05.02
 TNG号で一番うるさいのはCPUファンであることを確認した後、どうもこれが常時100パーセント回っているようだと推測。ファンは「刀」という製品で、リテールのものよりは静かだというが、これでは働きすぎだろう。そこで、CPUのファン・スピードを制御できるというフリーソフトSpeedFanをダウンロードして調べてみたら、やはり全力を発揮している。念のためBIOSを確認すると、こっちにもQ-FAN CONTROLという機能があったので、設定を変更してみた。これによって、今はずいぶんと静かになった。最初の状態でCPU温度は47℃くらい。今は54℃から60℃。しばらくは様子見の状態。
 もしかすると、DELLマシンのBIOSにも、その手の設定があったのだろうか。

 本日の取り寄せは、『完訳 ファーブル昆虫記 第2巻下』

「僕らが愛した手塚治虫」の原稿を書き、小学館へ亜空間通信で送付。今回は、手塚先生の書いたマンガ家入門について。以下のような本たちに関することである。戦前のマンガ指南書については、中野晴行氏からいろいろと教えてもらった。


2006.05.01
 結局、デスクトップ・パソコンを買い換える。今回は、某ショップで組んだもの。静音パックなるものを追加したが、結果的に言えば、たいして静かにはならなかった。とはいえ、DELLマシンのファンが6個だったのが3個に減ったので、何とか我慢できる程度の動作音に収まった(と、今、自分に納得させようとしている)。
 例によって、ソフトの再インストールと環境整備に2日かかる。これが一番疲れる。今回のマシンはTNG号と名付ける。80パーセントの調子に到達したところで、「Engage!」

 パソコンが出している熱は、絶対に地球温暖化の原因になっていると思う。

 ギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』を読む。意外な拾いものと言っては失礼だが、アルゼンチンにこんな古典的パズラー風の推理作品があるとは驚き。おしいのは、風変わりな殺人が続く中、緊迫感とか恐怖感がないこと。ラテン系の血だと、そういう雰囲気は作れないのだろうか。

2006.04.28
[新刊]
 北村薫『街の灯』文春文庫(本格ミステリ・マスターズ)

 姫野カオルコ『ハルカ・エイティ』、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、安藤健二『封印作品の謎』を読了。
『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』は、いろいろと勉強になったが、手塚治虫は小説家としての才能はなかったという下りは首肯しがたい説だった。

 小森健太朗氏の新作をゲラで読了。原書房のミステリー・リーグから5月中旬に刊行予定とのこと。一種の学園ミステリーで、美しい謎と美しい推理が展開する良質の推理作品。

2006.04.25
[情報館]を更新。

[新刊]
「別冊シャレード93号 天城一読本」甲影会

「ミステリマガジン」6月号の見本刷りが届く。次号の予告を見たら、50周年記念号ということだが、それよりも、「長編分載第1回 『絞首人の手伝い』ヘイク・タルボット」と書いてあるのを見て、「うわっ!」と驚いてしまった。

2006.04.24
 業務連絡。〈本格ミステリ作家クラブ〉会員各位。
 第6回「本格ミステリ大賞」投票〆切まで、2週間となりました。5月8日(月)消印有効です。
 ぜひ投票にご参加ください。

 というわけで、私も本日、専用投票用紙に記入の上、ポストに投函した。評論部門は迷いに迷った。

2006.04.23
[新刊]
 芦辺拓『グラン・ギニョール城』創元推理文庫

 どうにも新しいDELLのマシンがうるさくて(ファンの音等)、静音パソコンに買い換えようかと思い始める。
 で、八王子駅前にあるドスパラ八王子店まで行って、静音パソコンの見積もりを取ってみる。メカ的には、NECダイレクトの水冷パソコンにも興味があるのだが、昔、98でさんざん苦労したので、NECというと、未だに心身ともに拒否反応を起こしてしまうのだった。
 その後、佐藤書店と、まつおか書店の4階建ての方(専門部?)へ寄る。

 ブックスいとうの立川店が近日閉店するようだ。近くにあるブックオフに負けたのか。

2006.04.20
[情報館]を更新。

 鯨統一郎氏の『パラドックス学園』を読了。ここまでやるか!という稚気の見本のような作品。

 アニマックス・チャンネルで、CGアニメによる『新・キャプテン・スカーレット』をやっているのを発見。もう第6回だった。マリオネットからCGに変わっても、間違いなく『キャプテン・スカーレット』の感触がある。毎週見よう。

2006.04.19
[新刊]
 岸田るり子『出口のない部屋』東京創元社(ミステリ・フロンティア)

 論創社の論創海外ミステリの今月の新刊は、クレイグ・ライス『ママ、死体を発見す』とヴェラ・キャスパリ『エヴィー』の2冊。発売は25日頃。
『ママ、死体を発見す』は、ストリッパーであるジプシー・ローズ・リー名義で発表した2冊の内の2冊目の本。1冊目は『Gストリング殺人事件』で、昔、「別冊宝石」などに載っていた(単行本もある)。解説は森英俊氏で、帯の惹句は私が担当。マローン&ジャスタス夫婦もののドタバタ喜劇が好きな読者には、たまらない贈り物。


2006.04.18
 Mクラスの書店で、辻なおき『0戦太郎』(1)〜(3)マンガショップと、クレイグ・ライス『セントラル・パーク事件』ハヤカワ文庫を採取。
『0戦太郎』は『0戦はやと』の元祖で、今回が初の単行本化(連載雑誌の別冊による総集編は2回あり、その内一冊は持っている)。全6巻になるらしい。

『セントラル・パーク事件』は、50年ぶりの改訳だか新訳。ところで、早川書房の定義による改訳と新訳の違いは何? この本もそうだが、一冊の本に「改訳」と書いてあったり「新訳」と書いてあったりするんだが。

2006.04.16
[新刊]
 竹本健治『狂い咲く薔薇を君に』光文社カッパ・ノベルス

 創元SF文庫の『地球の静止する日』を読了。表題作の原作が良かった。

 フリーマンの『証拠は眠る』を読了。小さな疑惑がじわじわと大きくなっていき、犯罪が明らかになった後は、今度は悪意が増大する感じがいい。欲を言えば、やはりホームズのようなケレン味がほしい。ただ、その折り目正しさがソーンダイクものの特徴でもあるわけで。どちらにしろ、英米黄金期の見本のような、気品のある作品である。今年の収穫。

 昨日のネット接続不良は、トレンドマイクロのサーバー不調のせいだったらしい。今日は復旧。

2006.04.15
[新刊]
 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの回想』光文社文庫
 黒田研二『カンニング少女』文藝春秋

 昨夜は、テレビの警察ドラマ『サード・ウォッチ』の最終回。第6シーズンで終わってしまった。面白かったので、残念。第6シーズンはもう第1シーズンとはまるでべつものだったが。

 光ファイバー接続にしたせいか、ウイルスバスターのURLフィルターが不調。「プロキシがどうのこうの」というエラー・メッセージが出る。問い合わせようにも、トレンドマイクロのサイトが開かないという状況。

2006.04.14
[新刊]
 高木彬光『人形はなぜ殺される』光文社文庫
 鯨統一郎『ミステリアス学園』光文社文庫
 辻真先『弘前・桜狩り列車殺人号』光文社文庫

 インターネット接続環境をケーブルから光ファイバーに変更する。遠方への外出時にダイアルアップで繋ぐこともあろうかと、ニフティのダイアルアップ無制限コース+ケーブル・インターネットという環境だったのだが、PHSや無線LANスポットでの接続が可能になってきたので、有線系は光ファイバーに一本化することにしたわけである。

 というわけで、当サイトの別館「二階堂黎人の黒猫黒犬館 別館」のアドレスは、以下のように変更になりました。
 http://homepage2.nifty.com/NIKAIDOU-2/index.htm です。

2006.04.12
 ここ数日、メールの不着が多々あったようです。私にメールを送ったが返事がなかったという方がいましたら、お手数ですが、メールを再送してください。よろしくお願いします。


 昼過ぎ、届いたばかりの「メフィスト」5月号を読みながら、電車で新宿へ。講談社の「メフィスト」は今号をもって休刊になるので(1年後に再創刊)、連載中の拙作『双面獣事件』も話半ばで第1部完とならざるを得なかった。

 夜は、ゴールデン街のバー『幻影城』で、芦辺拓さんの15周年&単行本30冊刊行記念小パーティーが開かれる。馴染みの作家、漫画家、編集者、学者等が十数人集まる。写真は、芦辺さん、黒蜥蜴さん、私。酒を飲まない私にとって、ゴールデン街も『幻影城』も、まるっきりの異世界だった。


2006.04.11
[新刊]
「ミステリーズ! Vol.16」東京創元社
 石持浅海『月の扉』光文社文庫
 加藤実秋『チョコレートビースト』東京創元社(ミステリ・フロンティア)
 青池保子『ロマン組曲』ブッキング

 昨日は、黒田研二氏と、群馬県の丸沼高原スキー場へ。私は今シーズンの滑り納めのつもり。前々夜に40センチの雪が降ったとのことで、春スキーとは思えない素晴らしいゲレンデ・コンディション。午前中は薄曇り。午後になって少し雪が降り始め、早めに切り上げたが、たっぷり滑ることができた。黒田氏に、私の内倒する悪い癖を直してもらう。

 秋葉原のスキー・ショップが社内試乗会をやっていて、各社の来シーズンの板をレストハウス前に並べてあった。サロモンの新作でDEMO10などにかわるX2、3、tなどのシリーズもあったが、デザインが気に入らなかった。派手なのはいいのだが、何だか安っぽいのである。黒田氏も同様の感想であった。

2006.04.08
[新刊]
 オースティン・フリーマン『証拠は眠る』原書房
 北森鴻『深淵のガランス』文藝春秋

 秋月涼介氏の『消えた探偵』を読了。状況設定型ミステリーで、平行宇宙、多重人格、心理学、精神医学、犯罪学等をこってり盛り込んだ意欲作。もちろん、仕掛けも推理も解決もまっとうなものなので、好感触。

 フリーマンはリストを見ると長編がたくさんある。これまで翻訳されたものは少数で、しかも、内容的に今ひとつだったから(訳文のせいもあるが)、この『証拠は眠る』の翻訳をきっかけに再評価されてほしい。

2006.04.07
[情報館]を更新。

[新刊]
 霧舎巧『名探偵はもういない』講談社ノベルス
 篠田真由美『アベラシオン(下)』講談社ノベルス

 高木彬光『人形はなぜ殺される』光文社文庫の見本刷りが届く。12日頃の発売。「彬光とカー」という巻末エッセイを私が書いている。
『人形はなぜ殺される』は、彬光の最高傑作(と、私は思う)。日本の本格における名典中の名典なので、未読の方は、これを機会にぜひ読んでみてほしい。山前譲さんの解説にある彬光のエッセイの引用はトリックに触れているので、解説は後から読んだ方がいいだろう。

2006.04.05
[新刊]
 米澤穂信『夏期限定ドロピカルパフェ事件』

 お取り寄せは、横山光輝『完全版 鉄人28号(6)』と、創元SF文庫の『地球の静止する日』。

「CSI:マイアミ」第3シーズンの終わり方がアレだったんで、心配したが、アメリカでは、第4シーズンもやっているようだ。良かった。
「名探偵モンク3」「デッド・ゾーン2」「エイリアス3」「異常犯罪捜査班」とか、この春は見たい番組がたくさんある。
「コンバット!」も録画を借りて見ているが、本当にいいね。サンダース軍曹のあのラフさが、まさしくアメリカ人って感じで。昔のアメリカ人は、本当に格好良かったなあ。
「ライフルマン」とか「ララミー牧場」とか「タイムトンネル」とかも、どこかのチャンネルでやってくれないかしら。

2006.04.04
[新刊]
 辻真先『青葉城、殺人恋唄』実業之日本社ジョイ・ノベルス

「ROM」125号が到着。マイケル・イネス特集だった。

2006.03.27
[新刊]
 貫井徳郎『愚行録』東京創元社
 霧舎巧『名探偵はどこにいる』原書房(ミステリー・リーグ)

 ATOK19の新しい機能で推測候補モードとかいう奴、変換キーを押す度に候補窓が開いてうっとおしいので、カスタマイズで殺してしまう。

2006.03.23
[情報館]を更新。

 論創海外ミステリの4月の新刊『ママ、死体を発見す(仮)』をゲラで先読みさせてもらっているのだが、これが冒頭からライス節全開でメチャクチャ面白いのである。

 秋田書店「サスペリア」5月号の見本刷りが届く。名探偵・水乃サトル・シリーズの短編「ヘルマフロディトス」が、夏見咲補帆さんの手によってマンガ化されている。動きのない話を、実にうまくまとめていると感心。

 東野圭吾さんの『容疑者xの献身』に関する問題。もう決着が付いたなどと言う人もいるが、まったくそんなことはない。むしろ、ようやく意見が出そろってきて、これから議論が深まるところだ。
 これまで活字になったものは、「ミステリマガジン」3月号での筆者、笠井潔(単独および連載)、4月号での大森滋樹、蔓葉信博、羽住典子、波多野建、杉江松恋、「ミステリーズ!」14号と「小説トリッパー」当年春号での笠井潔、e-novelsの「週刊書評」での千街晶之、鷹城宏、小森健太朗――各氏の文章である。
「ミステリマガジン」では、5月号でも、つずみ綾、小森健太朗氏らの評論を載せる予定と聞いているし、6月号では我孫子武丸氏も登場し、私も総括的再反論を書く予定である。興味のある方は、これらの評論をご覧あれ。

2006.03.22
 綾辻さんの『びっくり館の殺人』を読了。前に返って、第1部の2章などを読むと、例によって、実に微妙な書き方をしてあるのを発見できる。でも、子供には説明しないと解らないだろうなあ。

 真梨幸子氏の『えんじ色心中』を読了。折原さんの作品をもっと社会派にした感じ。裁判の判決に関する動機が面白い。

 さて、新マシンも新たな宇宙開拓の道に飛び出したわけなので、これからの仕事の予定など。
 まずは原書房の書き下ろし『仮面王の不思議』。サトル君&シオン君の探偵もの。犯人当てを目指し、「読者への挑戦」を挿入しようかと思う。
 コードネーム「K」。基本となる原稿が9割方できあがってきたので、完成を目指す。
 ポプラ社の『永遠への冒険(仮)』。ミステリーランド用に少しだけ書き出していたものだが、こちらから刊行の予定。
 というわけで、いずれも書き下ろし。

 2月は1回しかスキーに行けなかったし、今月はまだ滑っていない。今シーズンはもうあきらめの境地。

2006.03.20
[新刊]
 芦辺拓『少年は探偵を夢見る』東京創元社
 太田忠司『レストア』光文社カッパ・ノベルス
 藤岡真『白菊』創元推理文庫

 ポール・ドハティ『白薔薇と鎖』をSクラスの書店で捕獲。けっこう多作な作家らしい。

 DELLフライヤー2号の就航準備を終わる。先ほど、艦長たる私が「Engage!」と唱え、発進を命じた。
 今回のエンジン・コアは、インテル(R) Pentium(R)D プロセッサー 920 (2MBx2 L2 キャッシュ、2.80GHz、800MHz FSB)。これまでがPentium4 2GHzで、2倍の速度が出るかと思ったが、体感的にはせいぜい1.5倍くらい。ただ、複数のソフトを動かしても処理速度はほとんど落ちず、砂時計マークが出るようなことは滅多にない。エンジン冷却のためのファンは相変わらずうるさいが、しばらく使ってみるつもり。

2006.03.17
 論創海外ミステリの3月の新刊は次のとおり。25日頃の発売。今月は本格特集みたいな感じで、解説陣も楽しみの一つ。
 そして、4月はついに、クレイグ・ライスのジプシー・ローズ・リー名義の第2作『ママ、死体を発見す(仮)』まで出ちゃうのである。これが売れたら、第1作の方も翻訳(旧訳はアレだから)してくれるかもしれない。

 バロネス・オルツィ『レディ・モリーの事件簿』論創海外ミステリ
 ラング・ルイス『死のバースデイ』論創海外ミステリ
 ジョセフィン・テイ『列のなかの男』論創海外ミステリ

2006.03.16
[新刊]
 北村薫『紙魚家崩壊』講談社
 綾辻行人『びっくり館の殺人』講談社(ミステリーランド)
 法月綸太郎『怪盗グリフィン』講談社(ミステリーランド)
 
『双面獣事件』のゲラに朱入れ中。
 同時に、新しいデスクトップマシンをインストール中。今回もDELLにしたが、ケースがやたらにでかくなり、ファンもうるさくなっていて、それこそびっくり。水冷マシンにした方が良かったかなあ。

2006.03.15
 ジョン・ディクスン・カーの『剣の八』を読了。妹尾アキ夫の抄訳(ポケミス)を読んだのは15年以上前だから、内容はほとんど忘れていた。カーの一番の駄作、と思っていたが、新訳で読んだら、できは悪いが、随所に見どころや読みどころがあった。何より、ヴァン・ダインの『ベンスン殺人事件』のような、非常にオーソドックスな殺人事件ものだということが解ったのが収穫。つまり、少し奇妙な状況や細かい証拠が提出してあって、探偵による丹念で細かい推理が組み立てられている部分など、なるほど、英米黄金時代の作品だと納得できる作り込みがされていたということである。これは、抄訳では絶対に解らないことで、新訳を出したかいがあったというものだろう。
 ただ、コメディ化したのはいいが、ふざけ度合いが不足で大して面白くないし、物語に起伏もないし、その癖、やたらと複雑な部分があるなど、「これは面白い!」と読者に感じさせるには全体的にバランスを欠いている。やはりD級作品というのが、正直な評価。

2006.03.13
 とっても良い話二つ。
 一つめは、来月、光文社文庫から発売になる高木彬光の『人形はなぜ殺される』こと。編者の山前譲さんが、高木邸から、高木彬光先生が初刊本に自分で朱を入れたものを発見。今回出るものは、これに基づいた決定版になるとのこと。というわけで、今までの定本とどう変わったのか、比べて見るのが楽しみである。

 二つめは、論創海外ミステリの話。おかげさまで、ロジャー・スカーレットの『ローリング邸の殺人』が好評だったので、『ビーコン街の殺人』も発売が決定になったとのこと。刊行は年末か来年の初めだと思われるが、こちらも大いに楽しみである。

2006.03.11
 講談社から、15日に発売になる講談社文庫版『増加博士と目減卿』の見本刷りが届く。

 一気読みの面白さで読了した2冊。柴田よしき氏の『激流』は、ページをめるのももどかしいようなサスペンス・ミステリーの佳作。よしだまさし氏の『姿三四郎と富田常雄』は単なる評伝を越えて、古本捜しの情熱が絶妙のスパイスになっている。できれば、収集した本の書影をカラー口絵で紹介してほしかった。
 うちにある『姿三四郎』は昭和五十二年度版の新潮文庫だった。二度目の購入本なので、最初に読んだのはその四、五年前だったと思う。こういう名作は、いつまでも絶版にしないでほしいな。

 整体治療の帰りに、ジョン・ディクスン・カー『剣の八』と、ジム・ステイン・メイヤー『ゾウを消せ 天才マジシャンたちの黄金時代』を捕獲。カーの解説は霞流一氏だった。
 早川書房様。次は、『蝋人形館の殺人』と『三つの棺』の新訳をお願い。

2006.03.09
[新刊]
 篠田真由美『アベラシオン(上)』講談社ノベルス
 折原一『天井男の奇想』文春文庫(本格ミステリ・マスターズ)
 森谷明子『七姫幻想』双葉社
「SFJapan」2006年春号 徳間書店
 喜国雅彦『日本一の男の魂(16)』小学館

 ようやく、昨夜、『双面獣事件』の原稿230枚を書き上げ、亜空間通信で講談社に送る。本当は月曜日にはできあがる予定だったのだが、ちょっと別件で緊急な事件が勃発し、時間を取られて遅れたわけである。しかも、最後の二日は花粉症で頭がクラクラの状態。さらに、キーボードの調子が悪くなり(何だか、ドライバー・エラーがやたらに出て、句点が打てなくなったり)、あわててノートパソコンで仕上げるという始末。苦難の末の脱稿であった。
「メフィスト」は5月売り号で休刊に入るので、『双面獣事件』は話途中であるが、第1部完となる。そう言えば、手塚先生のマンガには、よく「第1部完」というのがあったなあ。

 その間のお取り寄せ本は、次のとおり。『ヘルマン・ヘッセ全集(6)』、『完訳ファーブル昆虫記 第2巻上』、よしだまさし『姿三四郎と富田常雄』、横山光輝『鉄人28号(5)』など。

2006.02.27
 論創社の編集さんに、論創海外ミステリの4月のラインナップを教えてもらった。以下のとおり。当然のことながら、私的にはライスが嬉しい。
 ジョン・エヴァンズ『悪魔の栄光』解説・法月綸太郎
 ヴェラ・キャスパリ『エヴィー』解説・横井司
 クレイグ・ライス『ママ、死体を発見す』解説・森英俊

 花粉症対策でナショナルの空気清浄機を購入。ついに、空気もタダではなくなってしまった。

「メフィスト」5月号用の『双面獣事件』の原稿を執筆中。下書き200枚まで来たが、いっこうに終わる気配がない。というか、もともと1500枚という約束で連載を始めたのだから、700枚や800枚では話が収束しないのである。やはり、適当な所で打ち切って、「第一部完」とするしかない状態である。

2006.02.24
[新刊]
 三津田信三『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』原書房(ミステリー・リーグ)

 花粉症のせいで頭が痛い。不調だ。

2006.02.21
[情報館]を更新。

 カーの『ヴードゥーの悪魔』を読了。さすがに傑作というわけにはいかなかったが、ニューオリンズ三部作の中では一番力が入っていた。

2006.02.19
[新刊]
 エリザベス・フェラーズ『ひよこはなぜ道を渡る』創元推理文庫

 注文しておいたギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』扶桑社ミステリーと、佐藤賢一『褐色の文豪』が、小型宇宙輸送船で届く。前者は、アルゼンチン発の超論理ミステリーと帯に書いてある。後者は、アレクサンドル・デュマの伝記的小説。
 デュマ・ファンとしては、さっそく『褐色の文豪』を読む。面白く読めたけれども、物足りなさもあった。デュマの各種の翻訳における解説とか、ガイ・エンドアの『パリの王様』や鹿島茂の『パリの王様たち』などの評伝を大きく越えるほどの内容ではなかったからだ。もっと小説として物語を膨らませてあるとか、それらの評伝にない情報をたくさん盛り込んであるとかしてほしかった。

2006.02.18
[新刊]
 鯨統一郎『KAIKETSU! 赤頭巾侍』徳間書店
 マイケル・ギルバート『愚者は恐れず』論創社(論創海外ミステリ)
 シーリア・フレムリン『溺愛』論創社(論創海外ミステリ)
 ヒュー・ペンティコースト『灼熱のテロリズム』論創社(論創海外ミステリ)

 論創海外ミステリの今月の新刊は、25日頃の発売。今回はサスペンス系作品3作。

 トップページのカウンターで、900000番を踏んだ方は、掲示板で報告してください。何かサイン本を差し上げます。

2006.02.16
[本格ミステリ作家クラブ] の業務連絡。会報と、大賞の本選投票用紙が、昨日、事務局より発送されています。週明けまでに届かなかった方は、事務局まで御連絡ください。

 4月に光文社文庫から出る予定の高木彬光『人形はなぜ殺される』に収録されるエッセイを書き、亜空間通信で送付。

2006.02.13
『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』を読了。もともとヒッチコックの映画は好きなので、これも面白く読めた。

 というわけで、本格ミステリ大賞の候補作はすべて読み終えた。【小説部門】の方は図抜けた面白さと本格としての優秀性から必然的にある作品に決まったが、【評論・研究部門】は、最後の最後まで迷いそうだ。

2006.02.11
 たった今まで、ロバート・J・ソウヤーの〈ネアンデルタール・パララックス〉を、〈ネアンデルタール・パラドックス〉だと思っていた。間抜けだなあ。

『向日葵の咲かない夏』を読了。乙一系。

2006.02.10
[情報館]を更新。

[新刊]
 ジョン・ディクスン・カー『ヴードゥーの悪魔』原書房
「ミステリーズ! vol.15」東京創元社
 江戸川乱歩全集第29巻『探偵小説四十年(下)』光文社文庫
 柴田よしき『猫はこたつで丸くなる』光文社文庫
 東川篤哉『密室の鍵貸します』光文社文庫
 高木彬光『能面殺人事件』光文社文庫
 高木彬光『名探偵神津恭介(2) 蝙蝠館の秘宝』ポプラポケット文庫

 カーの『ヴードゥーの悪魔』の発売に続いて、またもおめでたいことが。光文社文庫から出ている「江戸川乱歩全集」全30巻が完結したのである。丁寧な校訂の施された決定版全集である。乱歩の小説はもちろん、解説にも注釈にも、新たな発見がたくさんある。

2006.02.09
[情報館]を更新。

 祝! カーの最後の未訳本だった『ヴードゥーの悪魔』の見本刷りができてきた。カー生誕100周年に相応しい出来事と言えよう!
 みんな! 今夜はこの記念すべき事実に歓喜し、祝杯を上げようじゃないか! ガブリ、ガブリ!

 左は、出たばかりの、ポプラポケット文庫『名探偵神津恭介(2) 蝙蝠館の秘宝』。私が解説を書いている。

2006.02.08
[新刊]
 柄刀一『連殺魔方陣』祥伝社ノン・ノベルス
 
 エドガイの『ロケット・ライド』を聴く。どこの店頭にも、DVDが組み合わさった初回限定版しか置いていない。仕方なくアマゾンに通常版を注文した。もしかすると、ヘヴィ・メタルばりばりの人には不評なのかもしれないが、メロディアス・ハード・ロック好きの私には、このくらい、アメリカン・ロックへ傾倒したものの方がありがたい。

『向日葵の咲かない夏』を読み始めた。が、私の苦手なキミとボク系で、かつ、ホラー系(^_^;

2006.02.07
[本格ミステリ作家クラブ]
 [本格トピックス]を更新。「私の愛する本格」を連載中。

[新刊]
 みなもと太郎『日本宰相伝 風雲児外伝11』

 ジョン・ディクスン・カーの最後の未訳本だった『Papa La-bas』が、もうじき(2月中)、原書房のヴィンテージ・ミステリから刊行される。邦題は『ヴードゥーの悪魔』の予定。この作品にも、カーの得意な不可能犯罪が扱われているらしい。
 思えば、カーの作品を最初に読んだのが小学校の3年の時だった。たぶん、講談社から出ていた『どくろ城』。中学2年からカーを追いかけるようになり、30年以上かかって、全作を読了することになるわけだが、そう思って振り返ると感無量。カーの未訳本を訳してほしいというリクエストに応えてくれた編集者I氏と、原書房に深く感謝したい。
 とはいえ、まだカー普及の道が終わったわけではない。『蝋人形館の殺人』などは抄訳のままだし、『三つの棺』や『死者のノック』は誤訳のまま残っているからだ。

 佐飛通俊氏の『円環の孤独』を読了。DNAロックという未来的セキュリティーによる密室犯罪をスマートに解決。カーの登場人物の名前が出てくるなど、愛好家に対するくすぐりも充分。個人的には楽しめたが、一般的には、もう少し臨場感と緊迫感が欲しかったかも。

2006.02.06
「本格ミステリ大賞」の候補作の発表が、例年より遅かったのは何故か、という問い合わせがあった。一般読者も発表を楽しみにしているだろうから、事情を説明しておく。
 今年度から、クラブ員のアンケート回答から候補作選考会までの日程を1週間ほど遅らせたのである。これは、予選委員から、(アンケート回答にあった)本をなるべくたくさん読んでから候補作選考会にのぞみたいとの希望があったからだ。

2006.02.05
 3月に出る『新・本格推理06』や講談社文庫版『増加博士と目減卿』のゲラに赤入れをしながらだったので、ようやくノーマン・ベロウ『魔王の足跡』を読了。とりあえず、怒らずにすんで良かった(笑)。何であれ、足跡トリックもので長編を支えているのは立派。
(以下、ややネタバレぎみのため反転)
 この手の話だと、どうしてもアンフェアぎりぎりの書き方になるか、一歩アンフェアに踏み込まないと成立させられないことが確認できた(また、笑)。現在の推理小説だと、足跡の不自然さは(鑑識捜査も含めて)最初に検討されるものであるから、そういう意味での制約的ステージが上がっていて、作者としても楽観的にこの手の話を書くことはできない。つまり、羨ましいということ(またまた、笑)。

2006.02.04-2
[情報館]を更新。

[新刊]
 秋月涼介『消えた探偵』講談社ノベルス
 佐飛通俊『円環の孤独』講談社ノベルス
 二階堂黎人『聖域の殺戮』講談社ノベルス

 いやあ、講談社ノベルス編集部も、粋なことをしてくれるじゃないか。今月の新刊3冊は拙著を含め、まるでSFミステリー・フェアのよう。しかも、題名が5文字で揃っているときたぞ(ああ、私の筆名が4文字なら、もっと揃ったのに)。それぞれの本の帯の惹句を見ただけで、私は小躍りしたのだった。

2006.02.04
 本格ミステリ作家クラブ主宰による第6回「本格ミステリ大賞」の候補作が発表されました。以下のとおりです。

【小説部門】※作品名50音順
 『ゴーレムの檻』柄刀一(光文社カッパ・ノベルス)
 『扉は閉ざされたまま』石持浅海(祥伝社ノン・ノベル)
 『向日葵の咲かない夏』道尾秀介(新潮社)
 『摩天楼の怪人』島田荘司(東京創元社)
 『容疑者xの献身』東野圭吾(文藝春秋)

【評論・研究部門】※作品名50音順
 『探偵小説と二〇世紀精神』笠井潔(東京創元社)
 『ニッポン硬貨の謎』北村薫(東京創元社)※クイーン論として
 『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』加藤幹郎(みすず書房)
 『ミステリー映画を観よう』山口雅也(光文社文庫)

 以上

2006.02.03
[新刊]
 山田正紀『早春賦』角川書店
 青池保子『アクアマリン』ブッキング

 宇宙捜査艦《ギガンテス》シリーズの新しい冒険『聖域の殺戮』の見本刷りができてくる。上に書影をかかげたとおり、とても格好良い表紙になったし、中のイラストも非常に満足いくもの。講談社の担当編集さん、そして、今回、イラストとカバーを担当してくれたStorytellerの代表N氏を交えて、立川某所で、いろいろな話をする。
 シリーズ第1作『宇宙捜査艦《ギガンテス》』は、徳間デュアル文庫で出たが、もう品切れだと思う。e-novelsの方に電子ファイルが用意してあるので、そちらでお読みいただきたい。

 復刊本を手がけているブッキングから、青池保子コレクション全3巻の刊行が始まった。少女マンガファンには嬉しいニュース。

2006.02.02
 やはり、花粉症のよう。頭が重く、一昨日も昨日も、半日しか起きていられなかった。『魔王の足跡』を読んでいるが、そのため、少しずつしか進まない。しかし、ここに出てくる足跡の謎は強烈。どんな解決を見せてくれるのか楽しみだが、『魔の淵』みたいなものだったら怒るかも。

2006.01.31
 29日は、本格ミステリ作家クラブ主宰の第6回本格ミステリ大賞候補作選考会が、都内某所であった。大賞運営委員は佳多山大地氏と私。予選委員は、倉知淳、柴田よしき杉江松恋、村上貴史、山田正紀の5氏。
 私は事務仕事があったので、冒頭挨拶と終わりだけ同席し、あとは6氏に任せて、別室にいた。が、廊下の先から聞こえてくる声は、内容は解らずとも非常に熱の入ったもので、全員の真剣さがひしひしと伝わってきた。同時に、和気藹々としたものでもあった。
 したがって、詳しい内容は知らないのだけれども、あとで6氏に聞いたところによると、非常に充実した選考会であったらしい。特に、今回は何を落とすかというようなネガティブなものではなく、何を入れたいか(良い作品がたくさんあったから)という点で、白熱した議論になったそうだ。
 候補作については、現在、候補となった人に連絡を取っている最中であり、確定した情報は、今週末くらいに公表できるのではないかと思う。

 昨日は、その選考会の影響か、あるいは花粉症のため、ダウン。一日寝込む。

 購入した本。横山光輝『鉄人28号(4)』。

2006.01.26
[情報館]を更新。

 注文しておいたノーマン・ベロウ『魔王の足跡』国書刊行会が、ロケットで届く。世界探偵小説全集第4期の目玉。さっそく今夜から読もう。

2006.01.24
[新刊]
 エラリー・クイーン『間違いの悲劇』創元推理文庫

 TOTOの新譜『フォーリング・イン・ビトゥイーン』を聴く。ゴージャスな演奏とまとまりの良さで満足。
 エドガイの新譜も買おうと思ったのだが、誰かに予約されていて手に入らず。

 台湾で翻訳出版された『人狼城の恐怖』の印税振り込み通知が届く(本の見本刷りは、まだ届かない)。蘭子シリーズは全部、向こうで翻訳出版されることに決まった(海賊版はこれまでにも出ていたらしい)。台湾では今、日本の新本格ブームが起きていて、綾辻氏や有栖川氏の本が大人気だそうだ。
 アガサ・クリスティーなども、生前、イギリスでは3万部程度しか売れていなかったと聞く。それが、欧米を含めると20万部以上に膨れ上がるわけで、日本のミステリーも、アジア圏で広く読まれ、売れるようになってくれると、読者が増えて嬉しいし、財政的にも潤う。

2006.01.21
[情報館]を更新。

[新刊]
 鯨統一郎『パラドックス学園』光文社
 
『新・本格推理06』の「まえがき」と「選評」を書き上げて、亜空間通信で送付。昨年は「奇想」「派手」というカラーだったが、今年は「充実」「多様」というカラー。力作が揃っているので、3月刊行をお楽しみに。

 土曜の夜は、WOWOWで、「CSI:マイアミ」「CSI:ニューヨーク」が連続放送されるので、早く寝られなくなってしまった。
 金曜日の「サード・ウォッチ6」もどんどん話が盛り上がっている(だけど、最初の頃のシーズンとは別物になってしまったね)。

2006.01.20
[情報館]を更新。

[新刊]
 有栖川有栖『謎は解ける方が魅力的』講談社
 エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿IV』創元推理文庫
 野間美由紀『ジュエリーBOXデイズ』白泉社
 ダニエル・シルヴァ『イングリッシュ・アサシン』論創社
 ジョン・クリーシー『トフ氏に敬礼』論創社(論創海外ミステリ)
 クリフォード・ウィッティング『同窓会にて死す』論創社(論創海外ミステリ)
 アントニー・ギルバート『つきまとう死』論創社(論創海外ミステリ)

 どっと新刊が届いたので、我慢できず、日記を再開することにした(どうかお許しを)。
 論創海外ミステリで嬉しいのは、アントニー・ギルバートが読めること。ウィッティングという作家は知らなかった。25日頃の発売。
 有栖川有栖さんの優しさに満ちたエッセイを読んで、昔、マンボウやムツゴロウやコリアンやイツキヒロユキやモリムラカツラとかのエッセイを盛んに読んでいた頃のことを思い出した。
 ホックはやはりすごい。不可能犯罪だけで、こんなにたくさんの短編を書いてしまうのだから。レオポルド警部の短編全集なんかも出してくれないか。

2006.01.17-3
 たいへん残念ながら、掲示板でもメールでも、本質的な部分を離れて、儒教的な行儀論に基づいた叱責や罵倒が増えてきました。この状態ですと、まともな討論はできないと思いますので、この件については、これ以上、このサイトでは扱わないことにします。あとは、本格系氏評論家の方々と直に行なうか、商業的媒体(雑誌)などで行ないますから、必要な方はそちらを見てください。
 もちろん、当方にも反省すべき点はあると受け止め、それを態度に示すため、この日記の書き込みをしばらく休止します。
 どうぞ、御理解のほど、お願いします。

2006.01.17-2
 昨日、探偵小説研究会の田中博氏から私信をいただきました。御本人の許可が得られたので、[田中博氏の私信]で公開いたします。最低一ヵ月間の公開になります。

2006.01.17
 皆さん、御意見、ありがとうございます。心配してくださっている方もいると思うので、それについても感謝を表明します。
 一応、全体的な見地から返事代わりの説明をしておきますね。

(1) 日記等の文章だけみると、本格系評論家(探偵小説研究会を中心とする)と険悪なムードで喧嘩をしていると感じられるかもしれませんが、そうではなくて、あくまでも私は建設的な議論や対応を求めている。そのことは、たぶん、大方の本格系評論家もわかってくれていると思いますよ。それは巽さんも同じで、そうでなければ、わざわざあれほど詳細な内容を誇る投稿をしてこないし、それをきちんとした方法で公開することを許可するはずがありませんから。
 ただ、巽さんの場合は、彼の時評について僕が書いたことを誤解して不愉快に思ったという節はありますが、先日の「感想1」で書いたように、それは巽さんの単なる誤解です。
 また、以前にも日記で書いたように、探偵小説研究会のある方とは往復書簡の形で有意義な議論を交わしていて、それは、探偵小説研究会の全員に公開されています。
 さらに、本日も、もう一人がくださった論考を公開する予定です。
 ですから、建設的な議論やきちんとした評論活動が徐々に行なわれている状態であり、つまり、私が問題定義したことは無駄ではなかった、本格系評論家の方々も、今回の出来事は真摯に受け止めてくれている、という状況です。

(2) 物事は率直に、はっきりと述べなくてはならない。そうでないと、相互の意思疎通は取れません。向こうが私の意見を誤解しているかもしれないし、私が向こうの考えを誤解しているかもしれません。それを互いが胸に秘めているだけでは(あるいは、陰でコソコソ言っているだけでは)いっこうに事態は打開できません。
 封建的あるいは正義的行儀論をふりかざして、そうした真面目で実直な対応を否定する人がまだまだ多いようですが、それでは何の解決にもなりません。

(3) これは何度も書いていますが(何故か、曲解する人か多くて驚いています)。私は本格である、ない、と自分の基準に照らして区別しているだけで、当該作品の質について言及しているわけではありません。私は、当該作品を「優れたミステリーである」と、一環して認めています。

(4) メールで御意見をくださった方の中に、私が一般読者を「思考停止」と嘲ったと怒っている人がいましたが、そんな事実はまったくありません。私は評論家が適切な評論(活動)をしないのであれば、それは思考停止状態なのではないか、と述べたのです。今回の一連の記述の中の指摘は、すべて本格系評論家に向けて書いたもので、一般読者を想定したものではありません。

(5) 巽さんの投稿に反論すべきでは、という意見がありましたが、巽さんの方が必要ない、と言っている状態では、こちらが反論や意見を述べる筋合いはない、という状態です。ただ、それは非常に残念なことだと私は思っています。

(6) 前にも書きましたが、議論の応酬の際に気をつけねばならないのは、本筋から外れ、言葉のあげつらいや、枝葉末節を事細かに突っつき合うことです。そうすることで、本来、検討しなければならない主題から、話はだんだん逸れていってしまいます。

(7) (5)と関連して、小さなミスがあっても、全体の主旨を丸ごとを否定するのは間違いです。たとえば、昔、森村誠一さんが細菌部隊の実態を暴いた『悪魔の飽食』という本を出した時、一枚の写真が取り違えられていた。それをつかまえて、反対派の連中が、『悪魔の飽食』全体が偽物であるかのように喧伝しまたが、そんなことはないわけです。

(8) 掲示板の方で質問があったので、巽さんの投稿の中で、一つだけ、当方の意見を述べておきます。巽さんは、当該作品の中に、「推理」と書いた箇所が一つあって、それを私が見逃している、よって、二階堂の主張全体は間違いだというふうに書いてあります(私はそう読みました)。今、手元に本がないので確認できないのですが、そうだとすれば、確かに私の見落としでしょう。しかし、それによって、私の主張全体を間違いだとするのは、(5)(6)で述べたとおり、早計かと思います。
 当該作品の中で、事件の真相に対する湯川の考えと意見が「想像」もしくは「推測」によって成り立っていることは、湯川自身が認めています。また、それが「想像」もしくは「推測」に成り立っていることによって、石神の考えや人格を、湯川という探偵としての「装置」を通してしか、警察や読者はうかがい知ることができない。そうやってうかがい知る形で、石神独特の(一般人とは異なった)思想や心情を読者に伝えようとしているというのが、東野さんの今回の手法や狙いであった、と私は考えます。
 ですから、確固たる証拠に基づく「推理」で事件が決着するのではなく、あくまでも、湯川の「想像」もしくは「推測」によって、事件の真相が「想像」もしくは「推測」されるのは必然であった。そう思うわけです。また、確固たる証拠に基づく「推理」で事件が解決されてしまった場合、石神の(本来的に意図した方の)犯行は完全犯罪と成り得ません。石神の完全犯罪は成功したかに見えたが、女性二人の心情を慮る感情がなかったために、それが瓦解した、というのがあの話の結末であり構造です。よって、そうしたことを総合すれば、やはり私の主張は成り立つであろう、と言えると思います。
 その主張というのを、もう一度簡単にまとめると、「東野さんは、当該作品の狙いを完成させるために、作為的に一部本格形式から逸脱し、それによって、優れたミステリーたることを達成した。作者の恣意的な意図があって本格形式から逸脱しているのだから、この作品は本格ではない」というものです。

(9) これはお願いです。とにかく、細かい部分の瑕疵を捕まえてイチャモンを付けてきたり、こちらの文章を一部だけ取り上げ、都合良く曲解したりする人がいるのですが、そういうことは簡便してください。何か発言されたい場合は、該当する記述のすべてをしっかり読んで、内容や主張を把握してから行なってください。よろしくお願いします。

2006.01.16-3
 これは、巽昌章氏の投稿を読んだ感想である。議論、論争、啓蒙、といった本来評論家がすべきことを(と、私は考える)、やらない、と巽氏は言明しているので、こちらも今回の投稿に関しては、特に詳しく反論しないことする。
 正直に言って、巽氏の投稿を読むと、『容疑者xの献身』に関する分析にはさすが評論家だと頭が下がるし、勉強になる部分がたくさんある。また、当方に間違いがあるのなら、その指摘にも素直に感謝したい。そういう意味では、たいへんありがたい投稿だが、その他の(特に本格観等の)ことには、首をひねるばかりだ。
(今、『新・本格推理06』の選評等を書いているところなので、じっくり読み返す時間がありません。誤字・脱字・その他、ミスに気づいた方は、掲示板で教えてください)

感想1 私が巽氏の文章を歪曲しているなどと歪曲しているのが不思議。私は巽氏の当該時評を全部読み、巽氏が指摘しているように疑問形の文章から入っているので、「違和感(本格であるか無いか、何故、重要な証拠を伏せてあるのか等)に本能的、あるいは、直感的に気づいている様子です」と、ちゃんと書いている。その上で全体を通読したが、東野作品が何故本格であるかの分析や考察や証明がないと思ったので、あのように書いている(というか、そもそも、あの時評の主題はそこにはないだろう)。
 分析や考察や証明がある、ない、というのは水掛け論になるだろうから、これは他の人にも読んでもらって判断の材料とするしかない。しかし、私が当該時評を再読したところ、やはり東野作品が本格であるのかないのかの分析や考察や証明は存在しないと思った。そのようにしか読めないということを、指摘しておく。

感想2 部分的に引用させてもらうが「自分の立場だの本格の定義だのを表明する必要を認めないからです」とか「「作家や批評家は本格の定義を提出せよ」というような問題設定自体に、私は否定的たらざるをえません」とかいう姿勢や考え方も不思議。
 どんな職業に就いている人間でも、自分が関わっているジャンルについて、一般的な定義を持ち、また、自分なりのジャンル観を持っているだろう。それを、そのジャンルについてよく知らない人に尋ねられたら、ちゃんと説明するはずだ。
 たとえば、野球を知らない女性や子供が、野球の選手に「野球ってどんなスポーツですか。野球ってどこが面白いんですか」と尋ねたら、その選手は喜んで答えてくれるだろう。サッカー選手だって同じだし、映画評論家や演劇評論家だって同じはず。
 我々推理作家が一番尋ねられることも、「ミステリーって何ですか」「本格って何ですか」というものであり、私はできるかぎり、そういう質問には真摯に答えてきた。何故かと言えば、それが推理小説愛好家の裾野を広げることに繋がるわけだし、理解が広まれば、本格や推理小説の面白さを多くの人に知ってもらえるだろう。
 私が思う評論家の姿は、自分なりの立脚点があり、自分なりの評価軸を持っていて、それに照らし合わせてそのジャンルの作品を分析、考察、解説するものである。そして、そうした行為を通じて、世の中の多くの人に、そのジャンル、あるいは個々の作品の面白さを伝授するのが、評論家の仕事だろうと思う。時には、その評価軸を使って、個々の作品を良い、悪いと判断することがあるかもしれない。
 しかし、そうした行為を放棄し、もくしは、立脚点も、評価軸もなく、評論活動をどうやって行なえるのか、まったく想像もつかない。不思議である。

感想3 感想2と被るが、物事を言いっぱなしで、反論を受け付けない、議論もしない、というのも、評論家の行動とは思えない。評論活動から生じる文章や発言も小説などと同じで創作物であり、であるならば、当然、それを他者から評価や批評されることもある。それが気に入らないからと言って、[1−2 他者の意見に対する侮蔑]のような正義的行儀論に話をすり替えて、相手の口を封殺しようとするのはどうかと思う。

感想4 何度も書くが、私は『容疑者xの献身』を「面白い小説」だし「優れたミステリーだ」と言っている。ただ、自分の物差しに照らし合わせて、「本格ではない」と言っているにすぎない。他の人が、自分の物差しでそれを本格だと考えるのならそれはそれでいっこうにかまわない。ただ、私は、それがどういう物差しで、どういう判断に基づくのかを尋ねているのだから、ただ単純に、これこれこういうものだと答えれば良い。
 異なった物差しや定義を比較することで、そこから見出せるものはたくさんあるはずだ。しかし、端からそうした行為を拒否するのは何ゆえからなのか。私にはさっぱり解らない。
 もしも、質問者が私ではなくて、一般読者だったらどうするのだろう。一般読者が、「『容疑者xの献身』って本格なんですか」「本格だとしたら、どこが優れているんですか」と尋ねてきても、同じように答えずに逃げるつもりなのだろうか。

感想5 解ったのは、中心となる定義や本格観を持たず、個々の作品ごとに本格かどうかを定義もしくは判断するらしいということ。どうりで、あれも本格、これも本格と、やたらに本格が拡散・氾濫するわけである。
 しかし、そうした推協的ものの考え方、あるいは、「このミス」的ものの考え方に対する反省から、「本格ミステリ・ベスト10」や本格ミステリ大賞は企画されたのではないだろうか。

感想6 評論家の書く物は、おうおうにして、自分の主張や論題に都合の良い材料は恣意的に取り上げるが、都合の悪いことは無視するという傾向にある。ここでの投稿にもそれが見られる。
 私は、本格系評論家諸氏に、次の質問を発している。

(1) 『容疑者xの献身』が本格であることを説明してください。そのためには、あなたの本格に関する定義を表明してください。
(2) この作品を、「感動」「純愛」「優れた本格」などと評しているが、では、「どこが感動」で、「どこが純愛」で、どこが「優れた本格」なのか、具体的に説明してほしい。

 結局、(1)は答える必要を認めないと言い、(2)はまるっきり無視している。質問されたことにきちんと答えないのが非常に不思議である。特に、「どこが優れた本格か」という質問は、一般読者にとっても重要だと思うのだが、答えがまるでない。評論家個々がそういう判断をしたのならそれはそれで良いと思うが、その内容を、『本格ミステリ・ベスト10』などを通じて、一般読者に伝えるのが、評論家の務めなのではないのだろうか。
 今回、笠井さんが「ミステリマガジン」に用意した場も、そうした「建設的な議論」を交わすためのものだろう。それを活用しようとしないという理由が、私にはまったく解らない。
 ちょっと話がずれるが、『2006 本格ミステリ・ベスト10』を読んで、麻耶雄嵩氏の『神様ゲーム』が、本格としてどのように優れているのか、それが読み取れる人はいるのだろうか。私には解らなかった。解ったのは、評論家諸氏が、あの作品のひねくれた結末を「面白がっている」ことと、キャラの名前の付け方に個人的に「萌えている」ということだけだった。

感想7 引用するが「もっと程度の低い危険性もあります。定義を恣意的にいじくることで、意に沿わない作品を「本格」から排除し、あるいは、推理小説の中の嫌いな側面から目を背けることを正当化してしまうおそれです。主観的にその意図がなくとも、議論の仕方がずさんで、他人に厳しく自分に甘い傾向があるなら、おのずとこうした危険に陥ってしまうものです」と、主張するなら、なおさら、それについて議論、啓蒙を行なうべきだろう。黙認して、そうした悪がはびこることを良しとする考えは、私には理解できない。

感想8 引用するが「第一、面白い本格を求める読者の声にこたえるには、定義がどうとか、あれは本格じゃないなどというより、本格の面白さを多方面から解明したり、「こういう工夫をしたらもっと本格は面白くなる」という提言をした方がはるかに有益でしょう」という部分は、私も完全に同感。
 実際に、私は、『新・本格推理』や、自分のサイトを通じてそういうことを続けてきたし、あるいは、新人の原稿や作品を読んだ時には、アドバイスをその本人もしくは編集さんに伝えている。また、新世紀「謎」倶楽部などでも、多くの作家の協力を得て、楽しい本格推理小説をたくさん世の中に発表するよう努力をしている。これに関しては、多くの作家さんや編集さんが、そうであることを証言してくれるだろう。
 では、こちらから尋ねたい。巽さん、あるいは、評論家の皆さんは(巽さんの意見に汲みする方は、としておきましょう)、評論活動を通じてそういうことをしていますか?

2006.01.16-2
 探偵小説研究会の巽昌章氏より、2006年1月15日に、当サイトの掲示板に投稿がありました。そのままでは読みにくいので、本人の許可のもと、こちらの巽昌章氏の投稿のコーナーで全文を公開します。

2006.01.16
[新刊]
 本格ミステリ作家クラブ編『死神と雷鳴の暗号』講談社文庫

 この『死神と雷鳴の暗号』か、先月出た『天使と髑髏の密室』のどちらかをお買い上げの方は、第6回本格ミステリ大賞公開開票式への招待というプレゼントが当たるかもしれません。詳しくは、帯の裏を見てください。

 西澤保彦氏の『腕貫探偵』を読了。これを読んで、やはり西澤さんは、都筑道夫理論の正統なる後継者だと思う人も多いだろう。状況設定型推理小説であるが、ヒントだけ与えて事件を解決に導く腕貫探偵という装置の発明が素晴らしい。この型の推理小説は、推理が牽強付会になる面が強いが、しかし、この作品でも、その強引な推理を率先して楽しむべきだろう。おしいのは、一冊の本にまとめるためか、結末がやや急ぎすぎというか、尻つぼみになっている点。にしても、お勧めである。

2006.01.14
[新刊]
 江戸川乱歩全集第28巻『探偵小説四十年(上)』光文社文庫
 コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』光文社文庫
 黒田研二/二階堂黎人『Killer X(キラー・エックス)』光文社文庫

 ハヤカワミステリ文庫のルパンの新訳(個人訳)に続いて、光文社文庫からホームズの新訳(個人訳)が出ることになった。この機会に、もう一度、全作品を読み返してみよう。誰だろうね、推理小説は一回しか読めないなんていう馬鹿なことを言ったのは。ルパンもホームズも、これまで通して五回以上は読んでいるけど、面白さは減るどこかろか増えるばかり。

 そのホームズの文庫のカバーだが、なかなかお洒落だと思ったが、表紙のイラストはやはり本文同様にシドニー・パジットを使ってほしかったな。

2006.01.13
 昨日からカゼで半分ダウン。

2006.01.11
 本日、小型宇宙輸送船で到着した本は、横溝正史『名探偵金田一耕助(2) 大迷宮』ポプラポケット文庫、チャールズ・ディケンズ『アメリカ紀行 上』 『同 下』。
『アメリカ紀行』は、ディケンズが晩年にアメリカ各地で講演を行ない、自作朗読を披露したりして大喝采を浴びた時の旅行記。冒頭を軽く読んでみたが、なかなか愉快(ただし、訳文は大学教授直訳調でイマイチ)。作家が小説を書けなくなると、講演などを始めて文化人になっていってしまうのはどこの国でも同じ、というか、そのハシリがディケンズなんだけど。

2006.01.10
 高田崇史氏の『QED 神器封殺』を面白くていっき読み。派手な殺人に込められたある意味と、三種の神器にかかわる秘密が交錯するところが圧巻。

2006.01.09
[新刊]
 高田崇史『QED 神器封殺』講談社ノベルス

 連載原稿「僕らが愛した手塚治虫」を書き、亜空間通信で送付。

 LAST AUTUMN'S DREAMの「Winter in Paradise」を聴く。前作(セカンド)がイマサンだったのだが、今回はファーストに匹敵する。よしよし。

2006.01.08
 東川篤哉氏の『交換殺人には向かない夜』を読了。なるほど。これは良いアイデアだね。ただ、前半部をもっと面白くしてほしかったな。

 北森鴻氏の『写楽・考』を読了。語り口がますます鋭利になってきたね。でも、こういう語り口は「冬狐堂」シリーズの方が似合っていて、こちらはもっとくだけた感じでもいいんじゃないかな。

『容疑者Xの献身』は本格か」のゲラが出てきて確認。笠井さんの原稿「『容疑者Xの献身』は難易度の低い「本格」である」も読ませてもらう。なるほど。こうきましたか。笠井さんの場合は、倒叙ものであることの見地から私の論考に反論を行ない、本格であることを容認。しかし、この作品の本格度が低いことを詳しく解剖し、本格系評論家が内容をきちんと分析しておらず、印象的感想を垂れ流している点での罪悪について、私と同様の批判を浴びせかけている。
「ミステリマガジン」では、3月号にこの二つの原稿を載せ、4月号では、反論がある人がいれば、その原稿なり対談なりを載せる予定らしい。

2006.01.06
 皆さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。作家・読者・出版社、力を合わせて、今年も(ちゃんとした)本格推理の世界を盛り上げましょう。

 正月そうそう、締め切りが三つあり(一番分量があるのは、『新・本格推理06』)、ぜんぜん休めない、スキーができない。

「ミステリマガジン」の今月売り(3月号か?)に、「『容疑者Xの献身』は本格か」という論考が載る。年末に書いた原稿がこれで、この日記で述べたことを10枚程度にまとめなおしたもの。笠井潔さんも、たぶん「ミネルヴァ」だと思うが、『容疑者Xの献身』についての本格系評論家たちの対応について(私の論考についても言及し)何か書くらしい。一応、笠井さんは、『容疑者Xの献身』を本格と認める立場らしいが、どんな批評が飛び出すやら、楽しみである。

 今回の問題を含めた、最近の本格系評論シーンのダメぶりを、たとえ話をまじえて説明しよう。ダメぶりとは、本格系評論家がろくに評論活動もせず、印象的読書感想ばかりを垂れ流して、それで責任を果たしていると思っている悲惨な事態のことだ。『容疑者Xの献身』を「純愛だ」「感動だ」などと本格系評論家が思考停止状態で競ったように言い合うのは、その最たるものである。

 人気マンガの『美味しんぼ』の「カレー勝負」(単行本24巻)という話の冒頭に、こんな場面がある。美味しいカレーを出すと評判のカレー・ショップがある。そこに、海原雄山が来て、店主に尋ねる、「一番美味いカレーを食べさせてくれ」。店主がカレーを出して、「まじりっ気なしの本物のカレーですが」と言う。海原は、店主に、「教えてくれ、本物のカレーとはなんなのだ?」と質問する。店主は「え?」と、びっくりする。「本物だと言ったからには、答えてもらおう。まず第一にカレーとはなにか? カレーの定義だ。カレーと呼ばれるためにはなんとなにが必要なのだ?」と、海原。店主は愕然とし、「そ、そんなこと……」と、呟くことしかできない。「では、この店はなにを根拠に、あるいはなにを基準にして、スパイスの調合をしているんだ?」と、さらに海原が言う。店主はやっとのことで答える、「それは、私の好みで……」。海原は厳しい顔つきになり、「カレーの定義もできないくせに、自分の好みというのはおかしいじゃないか」と言って、店を出て行く……。

 どうだろう。海原を私、店主を本格系評論家たち、カレーを「本格推理小説」と置き換えたら。昨年から、私が何を批判しているのか解っていただけるのではないだろうか。私はきちんと「本格」を定義して、本格とは何か、本格には何が必要かを主張している。しかし、本格系評論家たちは、「あれもボクは本格だと思うな……」と、単なる漠然とした好みを述べているにすぎないのである。

 ついでに書くと、そのカレー・ショップの店主は、本物のカレーとは何かを探るために、インドまで渡り、研究と勉強を行なうのである。本格系評論家たちも、初心に返って、もう一度本格を勉強しなおしてほしい。



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