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推理小説論

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「謎解き本格推理マンガ・ブームに関して」
 (これは、「鳩よ!」誌に載せたものの原稿です)



 マンガの世界では、今、謎解き系の本格推理マンガが大人気である。その火付け役となったのは、「少年マガジン」に連載の『金田一少年の事件簿』(天樹征丸・金成陽三郎・さとうふみや)であり、それを加速させたのは「少年サンデー」の『名探偵コナン』(青山剛昌)であった。これらの作品は掲載雑誌の発行部数を相当数押し上げ、テレビ・ドラマ化やアニメ化されて高視聴率を稼いでいる。また、これらの人気に続けと、『Q・E・D』(加藤元治)、『探偵ボーズ21休さん』(新徳丸・三浦とりの)、『秘密警察ホームズ』(立神敦・犬木栄治)、『桜神父の事件ノート』(青木吾郎・小川幸辰)、『椎名くんのリーズニング・ファイル』(あさみさとる)などが続々と世に送り出された。
 さらに、これらの謎解きマンガの人気は、逆に本格推理小説の書き手の側へも飛び火する。我孫子武丸原作の『人形シリーズ』と『半熟探偵団』(河内実加)や、島田荘司原作の『御手洗くんの冒険』(源一)や、北村薫原作の『覆面作家は二人いる』(美濃みずほ)などが描かれた。雑誌「アスカ」における有栖川有栖の火村物のマンガ化も反響が大きかったそうだ。
 では、何故、謎解きマンガがこれほどの人気を得たのか。単に主人公の頭脳明晰さとか、行動の格好良さに惹かれただけだろうか。
 いいや、実はそれらに付加して、マンガにおける表現方法の利点があげられよう。結論を言えば、謎解き推理マンガは、本格推理と相性が良いのである。具体的には、物理的なトリックの解明が図解化しやすいということが上げられる。
 たとえば、密室殺人の古典的トリックに、糸とピンを使ってドアの外部から内部にささっている鍵を操り、錠を下ろすというものがある。これなどは、トリック全体の機構的な動作を、実際に絵柄として段階的に説明すると、非常に説得力を持つ。
 推理小説のトリックは――とくに密室殺人などの不可能犯罪のトリックは――一般的に、心理的な錯覚に基づくトリックと、物理的な作動に基づくトリック(機械的トリックを含む)とに分けられる。心理的トリックは絵画的手法ではうまく消化しきれないし、文章の書き方に依存する叙述的トリックも、やはりマンガ化は困難である。しかし、物理的なトリックはそうではない。
 もともと推理小説においても、読者の理解の手助けの一環として、殺人現場の見取り図や、錠前などの構造図などは頻繁に挿入される。ひどいものになると、文章で解決をつけず、解明図に頼りきったものなどもあるくらいだ。逆に言えば、推理小説のトリックの解は、複雑になればなるほど、絵による例解が必要となってくる。へたに表現力のない文章だったら、単純化した絵解きの方がよっぽど読者の頭に入りやすい。
 だから、ロープで吊り上げた死体の運動とか、鏡に映った物体の見え方とか、足跡のない殺人における雪上の移動の仕方とか――そうした見栄えのするものは、ますますマンガとは相性が良い。
 もう一つ、推理小説と謎解き推理マンガの共通点を上げると、それは名探偵が行なう解明の直前で、読者が、それまでに語られたことや描かれたことを振り返ってみることができるという点である。そこで頁をめくる手を休め、前の方を再度読み返しながら、読者が推理のために頭脳を働かせる余地があるのである。この点が、勝手に物語が進行していってしまうテレビや映画のミステリー・ドラマとは異なっている部分である。
 だいたい子供の場合には(特に男の子は)、理屈っぽいものを好むという性行がある。私たちの世代の昔の少年たちなら、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』に出てくるロボットの内部構造図とか、白土三平の『サスケ』や『ワタリ』における忍術の詳細な説明とか、『巨人の星』における魔球の投げ方などに、ものすごく興味をそそられ、疑似科学的な説明に充分感銘を受けたものである。
 こうした事柄すべてを端的に言えば、はったりやケレン味の具象化と言って良い。マンガはこの二つの要素を強調しながら、読者の人気を得ることが得意な表現媒体だ。結末で名探偵が容疑者を一同に集め、快刀乱麻を断つ神のごとき名推理を披露する――この痛快極まる格好良さは、まさにマンガにとって打ってつけの名場面である。
 したがって、こうした謎解き推理マンガのブームは、まだしばらく続くと想像される。他作の人気にあやかれというのは、昔から出版業界の常套手段である。が、ことにマンガ界においてはこの風潮が強い。あるマンガが流行れば、それに類似したものが紙面を埋め尽くすという安易さは日常茶飯事である。
 今回のマンガにおける名探偵ものブームも、明らかに企画は編集者主導で動いている。原作者付きのものが多いという点が、それを証明している。編集者は、流行や人気の動向に常に目を光らせているから、それは当然の行為だとしても、もう少し主体性を持ち、独自性を尊重してほしい。
 一番の問題点は、やはり《剽窃》や《盗用》や《パクリ》にある。『金田一少年の事件簿』と聞けば、島田荘司氏の『占星術殺人事件』のメイン・トリックを盗用した事件を即座に思い出すだろう。これに限らず。この作品の場合には、既存の推理小説から取ってきたトリックや設定、プロットが多すぎる。それどころか、題名からして、横溝正史の金田一耕助ものの人気に全面的に寄りかかっている。
 筆者はここで、あらためて、本格推理小説におけるトリックの重要性や比重について説こうとは思わない。ただ、前例のないトリックを生み出そうと、常々各作家が切磋琢磨してきた本格推理の歴史的立場から言えば、その一番大事な部分を借り物で良しとする謎解きマンガ全体の安直な創作姿勢には、失望と落胆しか覚えない。
 他作からの剽窃が横行するのは、昔から、マンガは所詮子供のもの、どうせ低俗なもの、稚拙なもの――という、どこかマンガを馬鹿にする考えが、その作り手の側に存在するからなのではないか。剽窃などの愚かな行為を、外部からいくら非難しても無駄である。著作権の侵害などは、己たちマンガ家の恥であると知り、マンガ界全体が、マンガ界内部から自浄努力を続けていくしかないだろう。
 とにかく、マンガにおける名探偵は、今や子供たちの新たなヒーローとなった。私たち新本格推理作家が子供の頃、明智小五郎やアルセーヌ・ルパンに夢中になったように、現在の子供たちは、金田一少年や江戸川コナンから知的な興奮を得るのだろう。このテレビ・ゲーム世代の子供たちが成長した暁に、どんな新しいミステリーを開拓してくれるのか、それが非常に楽しみである。






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