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『誘拐犯の不思議』(没原稿)


※以下は、2010年7月刊行予定の『誘拐犯の不思議』用に書いた原稿の一部です。推敲の過程で、使われることのなくなったものです。つまり、没原稿ですね。

   第三章 彩子の告白

     1

 ――ところが、この日の騒動はそれだけではなかった。
 気絶した彩子を、舞台を飛び下りたサトルがあわてて両手で抱き上げ、広美の案内で、大学の医務室へ運ぼうとしている時だった。突然、大きな音で非常ベルが鳴り出し、火災の発生を告げて避難を呼びかける緊急館内放送が流れ始めたのである。
 シオンも、三人の後を追って来たが、「な、何!?」
 と、びっくりして飛び上がったほどだ。
「火事ですって!? まさか、これも、あの〈黒い男爵〉の仕業じゃないでしょうね!?」
 と、広美も怯えた顔で周囲を見回した。
「そんな馬鹿なことがあるはずないよ!」
「でも、火事よ、火事! こんな所で! あの人の、祟りか、呪いかもよ、シオン君!」
 廊下にいた他の人々も、シオンたち同様に驚きと困惑の入り混じった顔をしている。
 ようやく意識を取り戻した彩子が、サトルの腕の中で小さな呻き声を上げた。サトルはその軽い体をしっかりと抱き直し、真顔で二人に言った。
「とにかく、安全が第一だ。外に出よう。広美さん、どこへ行けばいいかな?」
「第二校舎が燃えているって言ってますから、正門の方ではなくて、校庭に出るのがいいんじゃないかしら。そっちへの出口の方が近いし」
「よし、じゃあ、そうしよう。行くぞ、シオン――」
 四人は急いで廊下を走り、広美の先導で、無事に校庭の中央に作られた大きな池にたどり着いた。コンクリート製の四角い池で、南側には、この大学の創設者の石像も立っている。他にも大勢の者がここへ待避のために来ていて、皆、校舎の方を不安げに見ていた。
「あ、ひどい! 見て! あんな凄い炎と真っ黒な煙が!」
 と、シオンは大声を上げ、第二校舎を指さした。校舎と講堂の間から、たくさんの人が走り出てくる。非常ベルの他、悲鳴や怒声や誘導の声で大騒ぎになっていた。
 この大学の敷地を上から見ると、東西に半分ずれた形で第一校舎と第二校舎が南北に並んでいる。火災発生現場は、北側の第二校舎の三階だった。そこ割れた窓から盛大に煙と炎が噴き出ており、壁面を勢いよく焼き焦がしていた。
 生き物のように膨れあがる黒煙は分厚く立ち昇り、たちまち太陽の光を遮った。そのため、あたりが急激に暗くなった。ビニールと木材を焼け焦がしたような嫌な匂いが、ここまで漂ってきた。無数の、金色の細かい火の粉が宙を舞っている。
「さあ、ここに座って、綾子さん」
 ベンチがあったので、サトルは彩子をそっとそこに下ろした。
「……どうして、こんなことに……」
 と、彩子はサトルの首に巻いた手を離さず、弱々しく呟いた。顔はひどく青ざめている。
「大丈夫だよ、彩子さん。ここにいれば危ないことは何もないからね――」
 サトルは安心させるように言い、彼女の横に腰を下ろした。そして、彼女の髪の毛を優しく撫でた。
 しかし、シオンは、綾子の言葉が火事のことを指しているのではなく、別のことに触れたのではないかと思った。つまり、さっきスクリーンに映し出された、三枚の写真のことをだ――。
「おーい、みんな! 無事かい!」
 立ち並ぶ人をかき分けて走ってきたのは、小岩井だった。
「ここよ! ここ!」
 広美は飛び上がって、手を振った。
「水乃さんたち、怪我はありませんか」
 広美に抱きつかれた小岩井は、肩で息をして尋ねた。
「僕らは大丈夫だよ、小岩井君。講堂の様子は?」
 サトルは椅子に座ったまま、見上げて答えた。
「第二講堂からは、全員、避難しました」
「栗原編集長と上祐レイ氏は?」
 小岩井は申し訳なさそうに、
「それが、正面玄関の方へ案内しようとしたんですが、上祐氏が火事の模様をカメラに納めると言いだしたんですよ。何でも、火事現場には大きな負のエネルギーが溜まって増大するので、死者の霊や邪悪な魂が集まってくるそうなんです。それで、心霊写真を撮るために、正門の方へ行ってしまいました。栗原編集長も一緒にです」
「こんな時に不謹慎な人たちだね。野次馬もいいところだよ。消火活動の邪魔になるだけなのに」
 と、シオンはちょっと不愉快に思い、頬を膨らませた。
 その時、ドレッド・ヘアーの太った女性がたくさんの譜面を抱えて、脇を通りすぎようとした。それを小岩井は呼び止めて、
「おい、芝原。お前、火事の原因を知っているか」
 と、尋ねた。学年が下の友人らしかった。
「あ、小岩井さん。ええ、知っていますわ。どうも、第二校舎三階の、五号室から火が出たみたいです」
「あそこは、確か、理化学研究部の実験会場じゃないかったかい?」
「そうですわ。どうやら、何かの燃焼実験をしていて、薬品配合の手違いで可燃性ガスが発生していたんです。それに気づかずにアルコール・ランプに火を付けたところ、ガスに引火して小さな爆発が起きたみたいなの。で、アッと言う間に、部屋中に火が移ってしまったと、誰かが言っていました」
「怪我をした人は?」
「理化学研究部の部長が、全身にひどい火傷を負ったみたいです。救急車で運び出されたという話ですから――」
 不運であったのは、老朽化した第二校舎を文化祭後に改築する予定だったことだ。そのため、スプリンクラーが作動しない状態になっていた。また、各教室で発表会や展示が行なわれていたため、垂れ幕や張り紙などがそこら中にあって、廊下や階段にも机や椅子やその他の道具が積み出されていた。だから、そうした物に火が移るのはアッという間で、たちまち炎が拡大し、有毒ガスを含む多量の煙が教室や廊下に蔓延したのだった。
 構内のあちこちで、大小の恐慌が起きていた。第二校舎付近では様々な声が飛び交い、そこに、通報を受けた消防車や警察車両のサイレンの音が混じり、大騒ぎになっていた。到着した消防隊員たちは、ただちに放水を始め、鎮火活動や救助活動に入った。だが、予想以上に火の回りが早かったのである。
 まるで、炎の化け物だ――。
 シオンは燃える校舎を見て、激しく動揺し、声に出さずに喘いだ。

     2

 今や、三階と四階の窓すべてから紅蓮の炎が噴き出していて、建物の上半分が、泥粘土をこねたような黒い煙で包まれていた。熱や火炎の勢いによって窓ガラスが割れ、破片がバラバラと落ちてくる。大勢の者が一階の出口から外に逃げたが、中には窓から飛び下りた者もいた。さらに何人かは、屋上へ行くしか手立てがなかったらしく、フェンスから、身を乗り出して助けを求めていた。
 煤煙と火の粉が踊り、灼熱が建物の周囲にある樹木まで焼き始めた。焦げ臭い匂いと化学物質が溶けた匂いが強くなり、時折、中から爆発音が聞こえ、何かが崩れるような音さえ伝わった。細かい灰が、空から雪のように舞い落ちてきた。
「ねえ、これって、あの〈黒い男爵〉の仕業じゃないわよね」
 と、広美が怖々とした顔で、小岩井に尋ねた。
「上祐レイさんのことかい?」
「ええ」
「そんなことはないよ。考えすぎさ。あの人は霊能力者だけど、その力を悪いことに使ったりしないんだ。心霊写真を撮るだけなんだよ」
「でも、さっき、あの人、『この後に悲劇めいたことが起きる』とかって言っていたじゃない! きっと、この火事を予言していたのよ!」
 と、広美がヒステリックに言った時だった。また校舎の中から爆発音がした。窓が二つ吹き飛び、見ている人たちがいっせいに悲鳴を上げた。
「うわっ!」
 シオンも思わず首をすくめた。
 彩子がビクリとしたので、サトルは自分の胸に彼女の顔を押しつけ、両手で強く抱きしめた。
 広美は震えながら、
「あの四階の左端の部屋は、いつも、私と彩子が譜面の授業を受けている所だったのに――」
 と、泣きそうな声で呟いた。
 消防士たちが太いホースを掴み、燃え盛る炎に向かって放水を続けていたが、ほとんど効果がなかった。激しい水流が火炎にぶち当たると、その瞬間に蒸発して真っ白な霧と化してしまうのだ。
「あ、大変だ、広美。あれ、三年生の横山さんじゃないか!」
 と、小岩井が屋上の端を指さして叫んだ。
 シオンは目を懲らした。巻き毛の女性がフェンス際にいて、両手を交差させるようにして振っていた。助けを求めて叫んでいるのだが、周囲の騒音で声は完全にかき消されている。
「そうだわ、樹里さんよ! きっと逃げ遅れたのよ! 助けてあげなくちゃ!」
 と、広美も蒼白な声で叫ぶ。
 後で小岩井から聞いたことによると、彼女は声楽家のソプラノ歌手で、昨年の東京クラッシック音楽祭での準優勝者であるということだった。
 校庭の裏門から、二台の消防車が入ってきた。梯子車だった。停車するとただちに、銀色の防火服を着た隊員を先端に乗せて、梯子を斜め上方へ向けた。周囲で見守る人たちから、救助活動を励ます声援が湧き上がった。だが、梯子の伸びる速さは、ジリジリするほどゆっくりであった。
「頑張れ! もう少しで助かるから!」
 届くはずはなかったが、思わずシオンも叫んだ。
 屋上にいる女性は煙に巻かれ、咳き込みながら膝を突き、崩れ落ちた。恐ろしい煙と物凄い熱が彼女を襲っていることは間違いない。
 梯子の先端が、ようやく屋上の端に届いた。消防隊員が、あたりを確認してから、フェンスを乗り越える。倒れている女性を励まし、何とか立たせようとした。しかし、下の階の爆風に煽られた黒煙と炎が、二人の動きを邪魔した。
 他の消防車は、彼らがいる屋上や、真下の部屋に放水を集中させた。別の消防隊員も梯子を上った。ぐったりとしている女性を、二人がかりで梯子の先端に載せる。
 梯子が縮んでいく。そして、気を失った女性を、下にいた救急隊員が受け取った時、人々から拍手と歓声が沸いた。
 やった! 助かったぞ!
 と、シオンも心の中で喝采を上げた。
 だが、火勢は弱まる気配を見せなかった。というより、むしろ強くなっている感じだった。建物や周囲の空気を焦がす大変な熱が、ここでも解る。
 コンクリートの建物なのに、どうしてあんなに燃えるんだろう。メラメラと燃えるというけど、そんなものじゃない。轟轟と燃えるって言った方が正しい。これが地獄の業火ってやつなんだ――。
 そう考えて、彼は恐ろしさに身震いした。
 学園祭の間、正門も裏門も開かれていて、学校関係者の他に一般の者も自由に自由に出入りできるようになっていた。なるべくたくさんの人に、展示や催し物、研究発表、演奏会を積極的に見てもらおうというのが、学校の方針だったからだ。
 それで、火事が始まる前から構内には、生徒や学校関係者の他にも大勢の見物客がいた。しかも、この火事騒ぎのせいで、大学内外の野次馬が増えるばかりだった。カメラやビデオ・カメラでこの惨事を撮影している者もいたし、いつの間にか、ヘリコプターまで上空を旋回していた。
「――ねえ、あれ、見てよ、小岩井さん」
 広美が急に左手を向き、第一講堂の裏手の方を指さして、恋人の袖を引っ張った。
「何?」
「嫌だわ。あそこで写真を撮っているの、上祐さんよ。違う?」
「ああ、そうだ。彼だね」
 と、小岩井が頷いたので、シオンもそちらへ目を向けた。
 確かに、講堂の角の人溜まりの後ろに、あの黒い霊能者が立っていた。他の人が皆、第二校舎の火災を見上げているのに、彼だけは反対方向を向いて、望遠レンズ付きのカメラを構え、時折、シャッターを切っている。
 いったい、何を撮っているんだろう?
 レンズの向かっている側には、芝生で仕切られた散歩道を経て、植え込みの仕切りの中に、二本の大きな銀杏の木が立っているだけである。その左右には、おでんやクレープを売る山車のテントが並んでいたが、レンズの延長線上には、間違いなく銀杏の木があった。
 無論、イチョウの木にも、その後ろにも怪しい物は何もない。背後は背の高いコンクリート塀になっている。山車のテントにいたはずの者たちも、火事を間近に見るために校舎の方へ行ってしまい、誰もそのあたりにいない。
「何で、火事でこれほど大騒ぎになっている時に、あんな場所を撮っているんだろう?」
 と、シオンが首を傾げると、小岩井は感心したような口調で、
「そうじゃないよ、シオン君。上祐レイさんは、優れた霊能者だ。そのことを忘れちゃいけない。あの人には、一般人には見えない人とか見えないものが、ちゃんと見えるんだ。きっとあの銀杏の木のあたりに、幽霊とか霊魂がいるんじゃないかな。
 ほら、彼が討論会の時に言っていただろう。火事には負のエネルギーが溜まるとね。幽霊や霊魂は、その負のエネルギーに惹かれるんだ。実際、鎮火した後の火事現場に夜行くと、不気味な火の玉が飛び回っていることがあるんだ。あるいは、青白い色をした狐火の目撃例もある」
 小岩井は興奮ぎみに説明したが、シオンは否定的な感情から、眉をしかめただけだった。
 すると、偶然なのだろうが、上祐がゆっくりとカメラを下ろし、こちらを見たので、シオンをギクリとした。しかも、霊能者はこちらを横目で見て、明らかにニヤリと笑ったのだった。ほくそ笑んだのだ。シオンは、自分たちが馬鹿にされたような気がして、ムカッとした。
「霊能者か何だか知らないけど、不謹慎だよ!」
 しかし、サトルはそれには気づかず、ずっと彩子の具合を気遣っていた。
「どうだい。落ち着いた?」
 彩子がうっすらと目をあけたので、サトルは早口に尋ねた。
「……すみません。水乃さん。外へ連れていってください……やはり、気分が悪くて……」
 彩子はまた目を瞑り、苦しげに答えた。
 サトルは黙って頷くと、彼女の両手を自分の首に回してから、もう一度抱き上げた。
「彩子さんの言うとおりだ。ここはうるさくてだめだ。だめだ。どこか静かな場所に移動しよう。できれば、学校の外の方がいいな。小岩井君、適当な所を知らないか」
 小岩井は裏門の方へ顔を向け、
「だったら、バス通りに静かな喫茶店があります。そこへ行きましょう。ソファーもあるので、ゆったりできますから」
 と、提案した。
 だが、目を瞑ったままの彩子が、弱々しい声で囁いた。
「……水乃さんの家に連れていってください。お話することがあるんです……お願いです……」
「話って?」
 サトルはハッとした顔で訊き返した。
「向こうへ行ったら、お話しします……」
 彩子はそれしか言わなかったので、サトルは彼女の願うに従うことにした。
 最初は、小岩井と広美も来るはずだった。しかし、風向きが変わり、校舎の火が学生棟の方にも飛び火しそうだと言うので、そこに部室がある小岩井は残ることになった。
 サトルたちはバス通りでタクシーを捕まえ、新宿区神楽坂にある彼の家に向かった。道中、彩子は力なくサトルに寄りかかり、眠っているかのように一言も口をきかなかった。
「広美さん、水乃さんの家を知っている?」
 すぐ近くまで来た時、助手席のシオンが体をひねり、後部座席に向かって尋ねた。
 広美は首を横に振る。
「ううん。知らないわ。彩子は一度、来たことがあると思うけど」
「だったら、きっとびっくりするよ」
 と、シオンは軽い期待感を込めて言った。
 そこは、神楽坂神社の裏手にある《スカイラーク・マンション》という豪華なマンションだった。とてもサトルのような、一見したところは貧乏学生が住むような場所ではなかった。実は、彼の姉は代議士の妻で、ここは義兄たちの所有物件であった。それを、サトルが借りているわけだった。
 部屋に入ると、サトルは彩子を自分のベッドに寝かせた。具合を診ていたので、シオンが勝手知ったる自分の家だったから、コーヒーを淹れて広美に出した。
「――ありがとう、シオン君」
「別に、コーヒーメイカーで淹れただけだし」
「それにしても、凄まじい家だわね。足の踏み場もないじゃない。彩子に聞いていたけど、水乃さんの興味の広さって、こんなだったのね!」
 と、広美は驚きを隠せずに部屋中を見回した。
 そのとおりで、玄関を入った所から、組み立て中の五大のサイクリング車が置いてあり、このダイニング・ルームの床には、廃線が絡まったパソコンが十何台かと、数え切れないほどのリカちゃん人形とウルトラマン人形が置いてある。そして、その周囲には、戦争関係、鉄道関係、バレエ関係、女性ファッション関係、ペット関係の雑誌が、山ほど積み上げてあったのだ。
「これで驚いていたら、水乃さんの友達なんてやってられないよ。あの人、他にも何千と趣味があるんだから。最近はアロマテロピーとかいうやつに凝っていて、オイルの匂いを研究しているし、グラフィティ・アートにも夢中で、中野の商店街のシャッターに大きな絵を描いているほどだもん」
 と、シオンは自慢げに言ったのだった。
 一時間ほどして、ようやくサトルと彩子が寝室から出て来た。彩子の顔色も、少しだけ良くなっていた。
 彼女をリビングのソファーに座らせてから、サトルは台所でココアを作ってきた。それを彼女の手に持たせて、
「――彩子さん。暖かい物を飲んだ方がいいよ。これ、甘いけれど、元気が出るから」
 と、優しい声で言った。
 カップに口を付けてから、彩子は小さく頭を下げた。
「すみません。御迷惑をかけて。もう平気ですわ。落ち着きましたから――」
 しかし、声も表情も、まだずいぶん弱々しい。
 本当に大丈夫かなあ。
 シオンの心から心配は拭えなかった。
 彩子がココアを半分ほど飲んでから、サトルは彼女の小さな手に、自分の大きな手を重ねた。
「ところで、彩子さん。君はさっき、僕に話があると言ったね。それは何だろうか。教えてくれないか」
 サトルは親身な眼差しで、彩子の古いフランス人形のような端正な顔を覗き込んだ。
 しかし、彼女は何かを逡巡して、唇を結んだままだった。形の良い大きな目の中で、潤んだ瞳が小刻みに震えているのが、シオンにもよく解った。
「討論会の最後に、上祐レイ氏は、あの三枚の心霊写真をスクリーンに映して、僕にこう言った。それらの写真が、僕や僕の大事に思う人の運命を変えるほどの力を持っているとね。それはつまり、君のことなんだよね。
 君は、あれらの写真が映し出された途端、何か恐ろしいものを発見してショックを受け、気絶してしまった。それが何故なのか、僕は知りたい。君は何を見て驚き、何に対して恐怖を感じたのだろうか。それは何かの秘密なのかな。だとしても、僕には言えるよね。さあ、話してくれないか、彩子さん?」
 すると、彩子はカップをテーブルに置き、肩で大きく息をした。それから、力を振り絞るようにして、ようやく口を開いた。
「……すみません。確かに、秘密があるんです。私、水乃さんに対して、ずっと隠していたことがありました。告白しなければならない。相談しなければならない。そう思っていながら、今まで、どうしても怖くて、口にできなかったことがす……」
「大丈夫。僕は絶対に君の見方だよ。それに、広美さんやシオンだってそうだ」
 と、サトルは二人の方を見やった。
「解っています。でも……」
 口ごもった彩子は、目を瞑り、泣きそうな顔になった。
 サトルは真剣な顔で、彼女がふたたび口を開くのをじっと待った。
「うん、そうだよ。僕の口は堅いからね。どんな秘密を聞いても黙っているよ」
 と、シオンは、サトルを応援するつもりで口にした。
「親友じゃないの。私も秘密は守るわ」
 と、広美も深く頷く。
 彩子は目をそっとあけ、唇を小さく振るわせながら、囁くように言った。
「……水乃さん。実は、あの写真の中で、私が驚いたのは、二枚目と三枚目のものなのですわ」
「ギョロ目の男が写っているやつだね?」
 と、サトルは思い出しながら尋ねた。
「はい」
 彩子は、小さく、俯くように頷いた。
「彼は、君の知り合いなのかい?」
 サトルは答を求めて、恋人の大きな目を覗き込んだ。
「――違います」
 彩子は口ごもるように否定して、不安に満ちた眼差しをサトルに返した。そして、重いものを引き摺るように、ゆっくりと答えた。
「けれども、知っているんです。というのも、あの人は、今年の一月に、私のすぐ側にいて殺された人だからです。顔を鈍器で殴られ、潰されていて、流れ出た血で顔が真っ赤だったと聞きました。つまり、あの悲惨な有様の写真は、その時の死体を写したものなのですわ――」





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